2023/03/21

The Actuality of Film Photography フィルムフォトのアクチュアリティー展のお知らせ

フィルムフォトのアクチュアリティー

The Actuality of Film Photography

由良 環  船木 菜穂子  小平 雅尋 
  


誰しもが映像を撮影し、即時に世界に発信できる現代において、フィルムフォトの作品は
どのようなアクチュアリティー(現実性 )があるのでしょう。本展はフィルムカメラを用い
たストレートフォトグラフィーの作品と、写真家同士の対話を通じて、その重要性や可能性
を探ります。三人の写真家はキャリアの始まりからフィルムカメラを使い続けていますが、
それが作品の内容と深く結びついているだけでなく、時代の変化とともにフィルムで撮るこ
とに対してより自覚的になっているようです。作家たちは対話の中で、「シャッターを押し
たことは、種を撒いたに過ぎない」(由良)、「撮った時の感触が良かったら、見るまでず
っといい気分。」(船木)、「自分が思い描くものとは別の答えが導かれる。」(小平)と
述べています。これらは作品の中でどのように活かされているのでしょうか。本展は写真と
いうメディアの在り方について、改めて考える機会となることでしょう。


 会  期:2023年4月1日(土)- 6月25日(日) 
 開館時間:11時~18時30分(入館18時まで)
      * 5/13(土)はトークイベント開催のため15:30まで
 開  館  日:木・金・土・日曜日
 入  場  料:一般 500円 / 大高生 400円 / 小中学生 300円
 会  場:東京アートミュージアム

 主  催:東京アートミュージアム
 企  画:一般財団法人プラザ財団
 展示企画:小平雅尋


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 ◉ 出品作家三人によるトークイベント 
  日 時:2023年5月13日[土]16:00 ~17:30 
  会 場:ミュージアム館内(イベント開催時間は一般の入場をお断りいたします) 
  要予約:film.photo.tam@gmail.com
  定 員:30名 
  参加費:入場料のみ

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由良 環/Tamaki Yura

4×5の大型カメラを構え、世界の主要都市の外縁部から中心に向けて撮影した『TOPOPHILIA 』(コスモスインター ナショナル 2012)で日本写真協会賞新人賞受賞。朝と夕方の決まった時間に定点撮影するという厳密な撮影ルールと、 偶然との交錯の中に、都市の記号性を解体するかのような細部の豊かな写真像を出現させた。フランス、キューバ、ポー ランド他、国内外で数多くの個展やグループ展に参加。近年は 6×7の中判カメラを用いて世界各地を巡り、新たな視点を獲得し展開させたスナップショット作品『Partir(』BOOKS白水沢 2021)を上梓。

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船木 菜穂子/Naoko Funaki

2000 年代後半に gallery Archipelago を共同運営する。静謐さと饒舌さが同居するような
独特の質を湛えたカラーフォトで、風景と女性のポートレー トを呼応させた作品を中心に
「ジョンとジョンと」、「あおあおとグリーン」、「みっつの点のきまりごと」など数々の
展示を行う。代表作に『Vol.21 船木 菜穂子』(ツバメブックス 2012)がある。2022 年、写
真展「I'm OK.」(gallery 711)の際には、第三者が簡易な写真集を自由にプリントし鑑賞で 
きる、コンビニプリントの注文ナンバーを公表した。清里フォトアートミュージアムに作品
が収蔵されている。

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小平 雅尋/ Masahiro Kodaira

モノクロームのスナップショットによる根源的な風景の探求を通じて、自己と世界の関係性を探る。代表作に『ローレン ツ氏の蝶』(シンメトリー 2011)、『他なるもの』(タカ・イシイ フォトグラフィー/フィルム 2015)がある。近年は新たな アプローチとして、いつも同じ時間に現れる青年を定点観測した『同じ時間に同じ場所で度々彼を見かけた』(シンメトリー 2020)や、コロナ禍の自室の生活をセルフポートレートしたモノクロームと、その部屋の窓に見える光景のカラーフォト を組み合わせた『杉浦荘 A 号室』(シンメトリー 2023)を出版。サンフランシスコ近代美術館に作品が収蔵されている。


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東京アートミュージアム〒182-0002                                                         
東京都調布市仙川町1-25-1
TEL:03-3305-8686
FAX:03-3305-7491            

                                                    

                          小平雅尋

                   


 








 

                 船木菜穂子

                 

                                                                                                              由良環

                 



         
                                             


                         

2021/10/07

ギャラリートークを終えて

大日方さんとのトークで印象的だったことは2つあります。
ひとつは、パリの写真について最後に語っていた言葉です。
「厳しい関係とは限らず、無関係の者同士が都市って交差し合う訳じゃないですか。その時に生まれる何か・・・パルスの交わし合いみたいなものを、どの写真からも感じます。それはどの国でも違う現れ方をしていて、今の段階で僕はそう見ていて、それが面白いなぁ、と思っています。ー」
これはわたしが作品を作る上で最も意識し、苦慮した部分のことに触れていると思います。場所や街や人々に対して、自分をどう馴染ませて行くか、ということを念頭に街を歩き撮影をしていました。
そのため「どの国でも違う現れ方をしている」という大日方さんの見解はうれしい驚きでした。

ふたつめは[ギャラリートークの記録]の最後の大阪の写真についての部分です。
大日方さんは大阪の写真の中での話をされていた。あくまでも写真の中に限った話だったのだけれども、私はいつしか大阪の街に、人々に、それを置き換えて聞き、考えていました。
単に私の読み違い、理解不足だったとも言えるのですが、そのズレが面白く、ずっと尾を引いています。
それは大日方さんと私の立ち位置を明確にしてくれ、なかなか興味深いギャラリートークになったと思っています。

この作品の写真で起こる人と人との交錯や掛け合いが、トークの中でも起こったことをうれしく思います。
(下記をクリックするとトークの文章を読むことができます)

   2021年10月6日 由良環

ギャラリートークの記録 


2021/09/20

展示終了のご報告

由良環写真展「Partirー出発」が無事終了しました。
緊急事態宣言下において、多くの方に観に来て頂きギャラリートークを行うことができたこと、皆さまのご協力と応援に感謝の気持ちでいっぱいです。
会場に来ることが叶わずメッセージを下さった方々にも、こころよりお礼申し上げます。

   

                      会場撮影/湊 雅博

             



                                  

       



2021/08/08

由良環写真集『Partir』上梓












由良環写真集『Partir』が完成しました。
4の国と6の地(ネパール、パリ、ハバナ、大阪)でー。

この作品の撮影で私が最も興味をひかれたことは、人が反応する姿です。
(写真を撮る)私に対する反応、人と人とが反応し作用し合うその立ち振る舞いは、生の根元的な魅惑に溢れていました。それはキラキラと輝きながら砕け散る小さな破片の様で、それを見たい一心でずっと歩き続けてきました。

人と場所との呼応、その痕跡をもう一度記憶に擦り付けるように筆圧をかけて描いています

落葉を一枚づつ大事に拾って掌に重ねていった、そんな趣の本になりました。

Partirー出発

写真:由良環
執筆:日高優、由良環
翻訳:Fontaine Limited

デザイン:秋山伸+上妻森土/edition.nord
プリンティング・ディレクター:前川孝雄/サンエムカラー
印刷・製本:サンエムカラー

発行:BOOKS白水沢/2021年8月8日発行
¥3.637+税[¥4,000]

*写真集はShopページでご注文頂けます。(送料無料)




 


2021/06/13

由良環写真展のお知らせ


 

由良環写真展 Partirー出発

2021年9月9日(木)~9月15日(水)

AIDEM PHOTO GALLERY [SIRiUS]

10:00-18:00 日曜休み(最終日は15:00まで)

東京都新宿区新宿1-4-10アイデム本社ビル2F 03(3350)1211

東京メトロ丸の内線「新宿御苑」駅下車徒歩2分/東京メトロ丸の内線、都営新宿線「新宿三丁目」駅より徒歩7分

http://www.photo-sirius.net

<ギャラリートーク>

9月11日(土)16:00-17:00

大日方欣一(フォトアーキビスト)・由良環(写真家)

大日方欣一氏を招いて、写真展会場でクロストークをします。

参加費無料

*新型コロナウイルスの感染予防のため、完全予約制の上、少人数で行います。(人数制限を設けています)

*定員に達しましたので、受け付けを締め切らせて頂きます。

参加ご希望の方は、下記のメールアドレスまで、お名前とご連絡先をお知らせ下さい。

books.shiromizusawa@gmail.com














2021/01/18

宇波彰さんへ

 宇波彰さんがこの1月6日に亡くなられた。

この方との不思議な出会いと関係性は、印象的と言う他ない。

朗読家の岡安圭子氏から贈られた本『旅に出て世界を考える』(宇波彰著:論創社)の中からTOPOPHILIA(トポフィリアー(場所への愛))という概念を知り、自身の写真集を『TOPOPHILIA』と命名したのだった。

「TOPOPHILIA」という言葉を写真集のタイトルにしても大丈夫か、という(岡安さんの友人ではあるけれど)見ず知らずのわたしからの手紙に対し、宇波さんはすぐにお電話を下さった。「問題はないけれど、本を読んだ方が良いです」というお返事だった。

「本」というのは、イー・フートゥアン著の『TOPOPHILIA』だ。

TOPOPHILIAという概念を提唱した文化人類学者のイー・フートゥアン氏の書いたこの本は、こんな機会がなければわたしにはあまり縁のない類の内容だった。いわゆる、やわらかい学術論文である。

理解が追い付かない部分も時に現れてきたが、読み進めるうちに次第にその内容に引き込まれた。

8年を経た今も、この本のラストに書かれてある行が、ふとわたしの脳裏によぎることがある。

ーひとは、自然豊かな場所で思い切り息を吸い込み、自然と一体となってリラックスする時も必要、その一方で、N,Y近代美術館の一室で、現代美術の作品を前にするような心地良い緊張感のある時の、両方が必要だーと。(イー・フートゥアン氏は中国系アメリカ人)

いま、こころからわたしはそのように思うのだ。

2014年、中国へ撮影旅行に出かける前に宇波さんにお手紙をしたところ、中国は好きで20回以上も行かれたとの旨。そして好きな場所が幾つか記されていて、そのひとつに黄山ー山東省とあった。調べてみるとそこは水墨画のモデルとなるような風光明媚な場所であった。都市をテーマに写真を撮っていたわたしは、いつかそこに行ってみたいなぁと、かなり羨ましく感じたことを覚えている。

仏文学科を卒業されているのに、アメリカ合衆国とフランスが嫌いだとおっしゃったことばも、印象的だった。(文化ではなく、国政として、とのことだと思う。それにはわたしも同感だ)

宇波さんが自宅で行っていらっしゃった、月に1度の講義、そのレジュメをいつも送ってきて下さり、東京造形大学出身の画家の作品についての評論を書かれた際にコピーを送って下さったり、新聞の誌面でのお仕事、面白い版形の、若い人が作っているという自主制作冊子にノーギャラで寄稿したりと、その活動の幅は様々な垣根を悠々と越え、独自のスタンスを貫いていらっしゃったように思う。

宇波さんが亡くなられたと聞いてもあまりピンと来ないのは、既に昔から宇波さんのことばや魂が、わたしのこころに住んでいるからなのだと思う。

2019年にネパールからお葉書したのを最後に、宇波さんとの文通は途絶えた。というのも、ネパールという国は、首都の中央郵便局から出した手紙さえ届かない、それも仕方のない国なのだ。

それならばわたしから再度お手紙すれば良かったのだとも思うのだが、わたしはもう十分満足してしまったのだ。

2018年の7月、台東区の櫻木画廊でのわたしの写真展の中、岡安圭子さんによる朗読会(「リルケを読む」)が行われた。宇波彰さんも若き日に熱中したとおっしゃっていたライナー=マリア=リルケのことば、ハバナのモノクローム写真に囲まれた空間、そこに宇波さんも居られた。

そのときー岡安さんがリルケに、彼女自身の魂が入っていったような感じに、わたしは襲われた、あの時あの場所で・・・・・。


宇波さんとの会話を、わたしはこれからも続けていく。









2020/10/07

大阪から離れ・・・

 「人間至る処青山あり」ということばの放つイメージが昔から好きだ。意図せずに転地を求められた(半分は自分から求めた)若くない知人に、このことばを贈ったのは3、4年前だったか・・・。

大阪から離れて東へ向かいながら、車窓から見える京都の山(というよりも、丘それか、古墳かもしれない)の表面に生えたやわらかく、ふわりとした藪が目に入る。角が削がれた感じがなんとも長閑で、これはこれで美しいのだな、と思う。

故郷の景観だけが特別に美しいと思うこと何て、到底できない。

ノートを見ると、2年前に大阪で書いたことばがあった。

ー街とは、ひとりの人間にとって親のようなものだ。好きだったり嫌いだったり、そのもとを離れることもできるし、居続けることもできる。そうして年齢とともに、街への見方も変化していくー







2020/10/01

大阪にて。

初めて撮影のために滞在した2018年の大阪から早いもので2年。まだ撮影を終えられないでいる。

今年に入ってからは、コロナ渦の中での撮影で、大阪で暮らし、働く人の心の動きのようなものを感じることができているように思う。

ずっと昔、大阪出身で東京で暮らしている人に「本当の大阪の人は品が良いのですよ」と言われたことがある。たいへん失礼ながら、そのころはメディアなどから植えつけられた一方的な大阪のイメージを持っていたわたしには、それは簡単には信じられなかった。

しかし今大阪の街を歩いていると、実感としてそのように思う。

撮影をしながらわたしはとてもゆっくり歩いている。急に止まっては撮れないし、そのようにしたら、挙動不審者になってしまうからだ。そしてゆっくり歩かないと見えてこないこともある。(1日の終わりに近づくと単に足が疲れているという理由でもあるのだが・・・)

そうすると、自転車に乗った人や慌てて歩いてきた人に必然的にこちらが道を譲ることが多くなる。その瞬間「ごめんなさい」と、やさしく、やわらかく、もの静かに言葉を掛けてくるご婦人が昨日だけでも三人はいた。

その声の発し方、タイミング、ボリュームなどが本当に素晴らしい。この方達は普段から言い慣れているのだと感じた。

大阪は、都市としてのボリュームが大き過ぎないことが、この街を「人間の街」たらしめていると、わたしは思う。

柴崎友香氏の小説の中で「大阪、この街が大好きだ」という行を目にして、はっとしたことがある。同時に、人にそう思わせる街とは一体どんな要素が揃っているのだろうか?とも思案した。

大阪市内の其々の地域性や特性を体感としてざっくりと認識でき、自由に移動できる範囲内に、この街(大阪市)の体積は何とかおさまっているとわたしは思う。丁度良い大きさの都市ーと聞くと、パリやローマの街も頭をよぎる。

そしてきっとそれは自転車でも市内を隅から隅まで駆け抜けることができるような距離感であると思う。

山や海に囲まれているため、街がこれ以上膨張することを自然の力が阻止したのだが、それで良かったとわたしは思う。

今、大阪市民は大きな過渡期にいる。

大阪都構想を進めるか反対かの選択を、市民は迫られている。

都市の機能だけが先走った街に未来はない。どうか良い部分をずっと変えないで、守っていってほしい。






2020/05/27

角度

 石が多い、多すぎる・・・・・。
そして大きく、角が丸っこいものが目立つ。
近所のよくお世話になっている方が、あまりの石の多さに「昔川だったのかな?」と呟いた言葉にピンときた。
多分そうだ、それも急な川。
うちの庭で採れる石は、大きく、角が丸い。
急で短い川ほど、水が運ぶ石も大きくなる。

山の上で知られる或る村は、鯨の化石が発見されたそうだし、冬の野尻湖はナウマンゾウの化石の発掘場で有名だ。

そして2019年春、わたしはネパールに居た。
ネパールでは、水洗トイレは稀、水は本当に貴重で、手を洗うほどの余裕はあの時も今もないと思う。
ハリオンでの地域のフェスティバルの会場で。夜になって「トイレに行きたいのだけど」と孤児院の女の先生に尋ねたところ「トイレはありません」と残念そうに言われた。
その時の先生の申し訳なさそうな顔は忘れられない。「仕方がないのです」という落胆の表情とともに。

ネパールで見た幾つかの居住の形に、わたしは大きな影響を受けていた。
日本では当たり前と思われている住宅設備の整った家はどれ程あるのだろうか。
住宅というものは雨風を凌げ、大らかに空間を囲えばそれで十分ではないかと、そんな考えに変わっていく。
そして実際にその5か月後、電気が通っていない我が居に3週間過ごした。ここは日本だし、夏だったので、さほど問題はなかった。電気の灯の代わりになるものはいくらでもあった。
今ではあの時の、陽が昇れば起き出し、暮れれば眠るという、自然のサイクルに乗っ取った生活が懐かしい。

今わたしは、何千万年も前の地層の事と、昨年の旅の経験を遡りながら、我が居を見つめている。

そんなことをしていると、色々なことが音をたてて自由に開いていく感じが、来る。









2020/05/21

全方向

すこし急な坂地に建つ我が居は、東西南北に、まったく違う景色が広がる。
田園地帯の微笑ましい小径が見える東側、手前にリンゴ畑と盆地の鉢のあちら側の斜面が見渡せる南側。北側は庭の多くの部分があり、友達のようにわたしが思っているケヤキの木もある。それから小径の境界があり、隣家の敷地へと続く。
西側は隣地の林がすぐ迫っているのだが、それは2階の窓辺から高い木々をかなり近くに感じられる絶好の場所だ。
全方位すべての景色が個性を持ちかなり違うということは、10代のころは気にも留めなかった。
しかし今はその事に驚きながら暮らしている自分がいる。
東側の窓がある部屋は良い景色と朝日が入ってくる特別の部屋だとは思っていたが、西側と北側の魅力は、今初めて分かったような気がする。

北北西にある大木の幹を見ながら用を足すことができたら最高の贅沢なのでは・・・と、妄想したことがあった。
以前東京に居るときに、新しい家の設計図を勝手に作ったことがある。
それはーフォルムや外壁はロンドンで見た集合住宅と、ドイツの或る建築家の設計した住宅から着想を得ており、2階の横長の窓からはいつでもケヤキの大木が眺められる。樹を感じ、樹と共に暮らすような家だ。そしてトイレは大木の幹の近くに据え、大きなガラス張りになっている。

残念ながらいまトイレの位置は真北なのだけれど、そのことはもうあまり気にならなくなっている。

2020/05/20

monochrome

モノクローム写真を撮り、それを続けている理由が、この何ヵ月か庭とその周辺をずっと見て過ごしていたからだろうか、ふと浮かんだ。

真冬から春へ・・・そして初夏へと移り変わる自然の変化は実にドラマチックだ。体感する日の気温差は、想像以上に激しい。
そして春に近づくにつれ、茶褐色だった地面は、弱々しい黄緑色の草たちが顔を出す。それらはやがて逞しく地面を覆い始め、茎や枝は太く固く力を増していく。
そして無数の緑色は、徐々に淡い色から、青に近く、深く変わっていく。

そう、色は変化していくものだ。

だからこそ、変化しないこと、ものをわたしは撮りたいのだと思った。
それは何かーものごとの成り立ち、そこに在ること、存在するということ。
モノクロームとは光、もの、影、そのシンプルなハーモニーのみで命を与えられる。
そして頭の片隅に何ものかを持っていて、
更にそれと被写体がうまく融合すると、真価を発揮する。

では、カラーの映像表現とは何だろうか?
カラー表現とは、まるで氷や水の上を滑っていること、それが止まらないような景色がわたしには浮かんでくるのだ。
同時に、そのものに入り込む、一緒くたになる、ものと混じり合っていく行為のような気がする。

ものと対峙して、それを見つめているイメージのモノクロームに対し、そこに飛び込んで混ざりあっていくのがカラーだとー。
庭を見つめながら、ふとそんなことを思った。



2020/05/19

庭で

朽ち果てる前の何とも言えない哀愁、時が落ち葉のように積み重なったぶ厚い何か、それさえも脆く崩れてしまいそう・・・・・。
物事が終わりを迎えるその少し前の、燻し銀の哀愁ーそんな言葉が浮かぶ。
そして芭蕉の世界観がスルリと目の前を通りすぎるような感覚を持つ。
我が家とその庭を見ていると、いつもそのような気持ちが沸いてくる。

現在読んでいるメイ・サートンの『海辺の家』には、国と時代が違えど、このように捉えてくれる人がいるのだという嬉しい発見の行があった。

12月10日の日記より
メイ・サートン『海辺の家』(武田尚子訳 みすず書房)

私は長いあいだ、心を強く引きつけるニューイングランドの大きな魅力の一つは、農村地域の威厳ある貧困だと感じてきたのだ。

はじめて、ネルソンの「甘美な格別にひなびた情景」がむしょうになつかしくなり、ノスタルジアの鋭い痛みを感じた。

古い家を少しずつ直しながら、(時には業者さんに入ってもらい)夏に向けて伸びる植物達と追いかけっこをするように、わたしは毎日庭仕事をしている。

(リルケが言うように)木は誰が見ていなくても春には新緑、そして夏には葉を大きく繁らせ、太く、高く成長していく。
石は、表面が少しだけ削れたとしても、何十年も変わらない威厳と存在感を発している。
シダ植物のまっすぐで凛とした美しさは、驚くべきものだ。太古、地球はシダ植物の時代が長きに渡って続いたことを理科の時間に習ったことを、ぼんやりと思い出す。
そして40年程前に植えたと思われる球根植物も、春になると決まったように咲いてくれるという発見は、こわばっていたわたしの心を柔らかくしてくれることに、大いに貢献してくれた。




2020/04/01

メイ・サートン著『独り居の日記』

このところの朝の日課になっている読書は、メイ・サートン女史の『夢みつつ 深く植えよ』そして『独り居の日記』 である。
これは、メイ氏がアメリカの片田舎に買った広い家でひとり暮らし、自然や隣人たちとのふれあい、日々や季節の出来事を、研ぎ澄ませた感性で綴っているものだ。
そして、現在のわたしの感覚にぴったりと沿うものである。


『独り居の日記』  メイ・サートン 武田尚子訳 みすず書房

「10月11日」 —より抜粋

今という時代は、ますます多くの人間が、内面的な決断はますます少なくしかできない生活、真の選択はますます減少してゆく生活のわなにはまっている。ある中年の独身女性が、家族の絆を何一つもたず、静まりかえった村のある家に一人住み、彼女自身の魂にだけ責任をもって生きているという事実には、何かの意味がある。
彼女が作家であり、自分がどこにいるか、そして彼女の内面への巡礼の旅がどんなものであるか語ることができるのは、慰めになるかもしれないのだ。海沿いの岩の多い島に灯台守りがいると知ることが慰めになるように。ときどき私は暗くなってから散歩に出かける。そしてわが家に灯がともされて、生き生きと見えるとき、私がここに住んでいることにはかけがえのない価値がある、と感じる。私には考える時間がある。それこそ大きな、いや最大のぜいたくというものだ。
私には存在する時間がある。だから私には巨大な責任がある。私に残された生が何年であろうと、時間を上手に使い、力のかぎりをつくして生きることだ。
これは私を不安にさせはしない。不安は、私が知りもせず知るすべもない多くの人々との生活と、アンテナかなにかでつながっているという自分の生活の感覚を失ったときに起こるのだ。
それを知らせる信号は、常時行きかっている。

私にとって、詩が、散文よりもよほど魂の真実の仕事だと思えるのはどういうわけだろう?私は散文を書いたあと、高揚感を味わったことがない。意志を集中したときには、良いものを書いたし、少なくとも小説では、想像力はフルに働いていたわけなのに。たぶんそれは散文は働いて得るものなのに、詩は与えられるものだからだろう。どちらも、ほとんど無限に訂正を加えることができる。
また、私は詩を努力なしに書くといっているわけでもない。ほんとうに霊感を得たときは、一篇の詩に何度となく下書きを書き、高揚感を保持することができる。けれどこの闘いを続けることができるのは、私は恩寵にあやかっていて、心の中の深いチャンネルが開かれたときであり、そうしたとき、つまり私が深く感動し、しかも均衡を保っているとき、詩は、私の意志を超えるところからやってくる。
私が無期限で独房に入っていたとしたら、そして私が書いたものを読む人は一人もないと知っていたとしたら、詩を書きはするのだろうが、小説は書かないだろうと、よく私は考えたものだ。
なぜだろう?それはおそらく、詩は主として自分との対話であるのに、小説は他者との対話だからではないかと思う。この二つは、まったく異なった存在の形式からくる、思うに私が小説を書いたのは、あることについて自分がどう考えたかを知るためであり、詩を書いたのは、自分がどう感じたかを知るためだった。
                                           (『独り居の日記』は1970年の一年間のもの)





                                                                                                                                                                             Osaka,2018

2019/12/30


      止まぬよう―


                                                                                                                                                                                           Haneda




流れ



     続けますよう―





                                                                                                                                                                                           Haneda

2019/12/26

師走のグループ展・ステートメント より



「木について -Hakodate,Tokachi,Nagano            由良環

 

いつのころからだろうか、木の真摯な存在を気に留め、それを確実に意識するようになったのは・・・。

きっかけは数年前。

実家のケヤキの大木を切るか切らないかの問題が持ち上がってからだと思う。

管理が大変過ぎるので切ろうという意見は肉親から。

どうしたものかと思っていた頃、近所に住む床に伏している或る方が、窓辺でこの木を朝に夕に目に触れることを頼りに生きていることを知った。

木を切ることに反対だったわたしはその話を聞いて、判断は間違っていなかったことが確認できたようで安堵した。

同時にそれは、暗闇にぽつんと灯を見たようだった。

木は、灯の役割もするのだということをおぼろげに認識し始めたのはその頃からだったように思う。

頻繁には庭の手入れに行けないわたしに代わって、今でも「今年はアプリコットがたくさん実をつけたね」とか「竹藪に鶯が住んでいたんだよ」などとうちの庭のことを近所の人が報告してくれると、こころの一番やわらかい場所に小さな花弁がひらりひらりと舞い降りてくるような景色が浮かぶ。

それはやさしさに満ち、幼年期に還ったような、懐かしく穏やかな気持ちにさせてくれるのだ。

 

2019/12/03

師走のグループ展のお知らせ

終了いたしました。
寒い中のご来場、どうもありがとうございました。


祐天寺、Paper Poolでのグループ展に参加します。
お近くにいらっしゃる際は、お立ち寄りいただけたら嬉しいです。

自身は4×5と6×7による、自然の風景(モノクローム)を展示します。

Paper Poolは飲食店のため開店時間が不規則になっております。お気を付けください。(特に飲食を注文しなくても構いません)

会期:2019年12月12日(木)~12月22日(日)
会場:東京都目黒区祐天寺2-16-10たちばなビル2F

*開店時間 木 18:00-22:30
                     金 18:00-22:30
                     土 15:00-22:30
               日 12:00-18:00

                     (12月22日最終日は17:00まで)


 <詳細はこちらまで>                                                              
https://www.facebook.com/events/560270421469877/

2019/11/09

写真のこと、そして日々。(11)


家屋を含めた220坪ほどの敷地の庭の手入れをしていると、日々色々なことを感じる。
雑草が生えると手間だとか、荒れ地になって大変だというのは常識的でごく一般的な考え方ではある。

しかし庭と付き合っていると、どうもそう思えないことが多々あって、〝草″についてのアウトローな感慨が草を刈るその最中にも幾つもの泡のようになっては浮かんでくる。

雑草は切ったり抜いたりして退治するもの―その常識さえも疑わしく思うのは、ヨモギ餅が大好きだからーいつか手作りしてみたい、だからヨモギの葉は、本当は抜きたくない。他にも役立ちそうな草が結構生えている。
そして人間(父母がかつて植えたであろう)が植えた植物はそのまま残し、そのどちらだろう・・・?と判断しかねる草の前ではうーん・・・と悩んで手が止まってしまうことも暫し。

そして今、この庭は一体誰のための庭なのだろうか、なぜ草刈りをしているのだろうか・・・という疑問にまで辿り着いている。



東京で写真作家として活動していた糸井潤さんが木こりに転職し、その仕事の様子を撮った写真展を今春品川で観た。
その挨拶文の中に、とても印象的なことばがあった。

かつて糸井さんがフィンランドで一年間アーティストインレジデンスで滞在し作品を制作していた際のこと。
森が皆伐された平原を見て悲しいと感じた糸井さんがそのことをフィンランド人に伝えたところ、何を言っているのだとあきれた顔で返されたという。
「再生可能」「持続性」ということが森には当てはまると知った―ということだ。

自然に対してのひとの価値観は、本当に多様だ。そして人種や民族によっても異なるのだろう。

その中でも日本人は、とりわけ自然に親しむこころが細やかなのだと思う。

庭の手入れをする中で様々な葛藤や疑問を抱きつつも、草や木と戯れながらそのことを大切にしたい・・・とわたしは思っている。

[糸井さん、写真展挨拶文より抜粋]
木の枝ひとつ折る事、木の幹を傷つける事を悪しき事とする、ボーイスカウトの自然愛護の教えが少年時代から身に付いていた。そして、撮影をしつつ北欧の森の中をさまようなか、皆伐され切株で埋め尽くされた平原に出会った。その出来事を悲しいと感じたと、フィンランド人に伝えたら、何を言っているのだ、とあきれた顔で返された。「再生可能」、「持続性」という言葉が森に当てはまると知ったのは、そこからだった

[今春の糸井潤さん写真展案内URL]https://cweb.canon.jp/gallery/archive/psj-tokyo2019/index.html




                                                                                                                                                                              Osaka,2018



2019/11/02

写真のこと、そして日々。(10)


2018年のハバナの展示で、写真の隣に置きたいこととして、リルケを題材にした。
ハバナの写真とリルケは直接的な関係はないのだが、その時期にわたしが通りがかった大きな出会い、そして出来事として、ぜひリルケを写真展と併せてみたいと思った。
ロシア、そしてヨーロッパを旅した詩人だったので、ハバナの写真で大丈夫だろうか・・・というちっぽけな心配はまったく不要だった。
それだけリルケのことばはわたしの内側に響いたのだろう。

それらは単に文学のみならず、芸術全般に行きわたるようなものとなっていると思う。
そしてリルケが詩人だからこそ-ことばの幅、深さがあるからこそ、写真のこととしてわたしは拾い、抱き、感じ入ることができるのかもしれない・・・・・。


いま大阪の写真を振り返りながら、一度忘れ、またジワジワと浮かび上がってきた一年前の記憶と感覚を、リルケのことばと共になぞっている。


マルテの手記』より

詩。ああ、詩というものは、若いころに書いたものにろくなものはない。
それは待つということが大切だ。そうして一生かかって、それもたぶん長い一生を倦まずたゆまず意味と甘味とを集めねばならない。その果てにようやくたぶん十行の良い詩を書くことができるのであろう。なぜなら、詩はひとの言うように感情ではない。[感情ならはじめから十分あるわけだ]—、それは経験なのだ。

一行の詩句を得るためには、たくさんの都会を、人間を、物を見なければならない。はじめての土地の、なじみない道のことを、思いがけない出会いや、もう久しくその近づいてくるのが見えていた別れを思い出すことができねばならない、—まだよく意味が明らかにされていない幼年時代のことを、また、両親がぼくたちをよろこばせようとして持ってきたものが、ぼくたちにはなんのことかわからず(ほかの子どもならよろこぶものにちがいないものだった)、両親の心を傷つける破目になってしまった思い出や、実に奇妙な始まり方をして、思いがけない深い重い変化を伴う子供の病気のことや、ひっそりとつつましい部屋の中ですごす日々の事を、海辺の朝を、海そのものを、多くの海の事を、高い天空をざわめきながら、星々とともに飛び去って行った旅の幾夜さの事を、—そしてたとえ幸いにも、そういう一切のことを思い出すことができても、それはまだ十分ではない。ひとはまた、その一夜もほかの夜に似ることのなかった多くの恋の夜の思い出を持ち、陣痛にあえぐ女たちの叫びと、生み終えてかろやかに、しろじろとして眠っている女たちの思い出を持たねばならない。
しかしまた、死んで行く人々の枕辺にはべり、死んだ人と一つの部屋にすわって、あけた窓から高くなり、低くなりしながらきこえてくる外の物音に耳傾けた経験がなくてはならないそして思い出を持つだけでも、まだ十分ではない。思い出が多くなれば、それを忘れることもまたできなければならない。忘れた思い出がいつかふたたび戻ってくる日を、辛抱強く待たねばならない。なんとなれば、思い出はそれだけでは、まだ何物でもないのだ。それがぼくたちの内部で血となり、まなざしとなり、身のこなしとなり、名もないものとなってはじめて、いつか或るきわめてまれな時刻に、一つの最初の詩の言葉が、それらの思い出のただなかから立ち上がって、そこから出ていくと考えられるのだ。
    (『人生の知恵Ⅵ リルケの言葉』  高安国世:詩編 彌生書房)より抜粋






2019/11/01

写真のこと、そして日々。(9)


ちょうど一年前に大阪に滞在していた。

身体を包み込む空気が、「ここは他所の土地だよ」ということを伝えてくる。
その粒は少し粗く、そして生あたたかい。

不安と安堵、諦めとしたたかさ・・・。
相反するものを投げかけてくる。
そんなことを大阪の街を歩きながらわたしは嗅ぎ取っていた。

街に露出している傷跡、あるいはひとびとの生活感は、時に人間味が感じられ、温かみさえあると知ったのは、滞在の終盤、ずっと経ってからだった。

ひとが居るから起こること、そして人がいるからこそできること。

都市が正直に歩く姿—と言ったら良いのだろうか・・・。
そんなものを大阪から感じている。





2019/10/24

写真のこと、そして日々。(8)

―暗室での時間—
久しぶりに暗室に入った。
実に3ヵ月以上振りだ。
わたしの暗室にはエアコンがない。
それなので夏は液温の調整が難しいので、なるべく入らず済ませるようにはしていたが、それにしてもこんなに空けたのはいつ以来だったかな・・・とちょっと思い出せない。

そしてまたすぐに戻ってくる、感覚。
薄暗い中での動線やプリント作業の手順など。
それと共に、溜まっていた記憶や一時保留にしていた考えるべきことがドッと押し寄せてきた。

頭の中の記憶を司る部分が、暗室に入るとどうも反応してしまうらしい。

走っている時も同様だが、こちらは正統派の課題が浮かんでくる。
いま何を優先すべきとか、いま迷っていることはどうすべきだとか、現実の問題に則した課題を走りながら検討するような感じだ。
そしてやがて走り終わる頃には、問題解決とはいかないまでも、考えが整理されていることが多い。

一方暗室で浮かんでくることは、もっとマイナーなことだ。
あのときどうだったとか、誰が何を言ったとか・・・。そのときは気にしていなかったようなことで、一見してどちらでも良いようなことの記憶が、ポツリポツリと湧いてくる。

暗室の時間とは、無意識の領域を刺激するのか、夢の中のような時なのかな―


                                                                                                                                                                                     Osaka,2018

2019/10/21

写真のこと、そして日々。(7)


そうだ、聴覚、だと確信した。
以前、五感のどの感覚が際立っているかということを写真家の友と話したとき、「耳かな・・・?」と何となく答えたことは間違いではなかった。

今夏、まだ電気が開通していない家で3週間ほど過ごしたとき、家中のあらゆる窓を開け放ち、風通りを良くすることに、まず力を注いだ。
破けた網戸を何枚張り替えたか、そして一階で寝ていたので、同じ大きさの窓の網戸を二階から一階へ付け替えたり、網戸そのものが付いていない窓には簾を付けたりした。
そして家の窓の多さに驚いたものだ。

昔、インドのニューデリーの中産階級のお屋敷にひとつき間借りをしたことがある。一泊が30ドル近く、インドの物価からするとかなりハイクラスの貸部屋だったと思う。そして冷房器具は扇風機だけであった。
季節はまだ冬から春にかけてだったのだが、何ともじんわりと暑い・・・。
しかし、風が通るように建物はよく設計されていて、それがずっと私の中で印象に残っていた。

風を通してあげるように我が家の窓に手を加えたお陰で、暑くて寝苦しいと感じた日は僅か2.3日だったと思う。

夜、網戸を介してだけれど、家中の窓が開け放たれているため、あらゆる音が聞こえてくる。
蝉の大合唱は8月中旬を過ぎるころから、やがて鈴虫の美声に移行する。風が葉を揺らす音、トタン屋根の壊れたパーツがギシギシ軋む音、坂を急速に上ってくる車の音や、夜にはしゃぐバイクの音などが、眠りに落ちる寸前までわたしにささやき続けた。
初日、真夜中にハクビシンがウチの縁側に上がって喧嘩をしているような激しい鳴き声を聞いた。
ちょっとしたカルチャーショックだった。

そしてそうだ、わたしは幼少期からずっと暗闇の中、音に包まれて何百時間もしかすると何千時間を過ごしていたのだな・・・と思いだす。

聴覚(音)ともう一つ挙げるとするなら、気配を感じるような鋭い感覚も持っていると思う。
触覚とも違うし、それを第六感と言って良いのかどうかはわからないが、それは空間に包まれているときに発揮されるような身体感覚なのだ。

隈研悟氏が『僕の場所』の中で、建築についてこんなようなことを言っていた。
ー音楽やことばは、地球の反対側ほどの遠くの人に伝えることに長けたメディアであるが、建築はそうではない。
そこの場所に行かなければ絶対に感じ得ないものがあるのだーと。
その件にはわたしも賛成する。
建築は、視覚的なものではない。どんなによく撮れた映像を見ても、その建築の本質は伝わらないからだ。映像によって伝わるのはその建物の情報の一部分と言って良いかもしれない。
それはなぜかー(特に)優れた建築の内部に入ると、何とも言えない感覚に襲われた経験がわたしは何度もあるからだ。それはちょうどわたしが今夏、我が家でひとり横になっているときに体験した、その感じに近いものがある。
包まれている感じ、建築がわたしに発信している感覚とでもいうのだろうか。

そんなことをこの夏感じながら、わたしが建築に興味を持ったことは、ごく自然の成り行きだったこと、そして今は写真で何ができるだろうか、ということに思いを巡らせていた。



                                                                                                                                                                         Osaka,2018



2019/10/16

写真のこと、そして日々。(6)




永遠のごとく止まっていると感じた世界が流れ出した。
それも勢いく・・・・・。
そして、わたしは見事にそれに流されている、、ような気がする。
それは自らが望んで流されているのか、本当に流れがきて飲み込まれているのか、それがよくわからないでいる。

しかし流されることを望んでいる部分は確かにあるのだろうと、薄々感じてはいる。

いつも辿り着く思考の先ーそれは写真とのこと。
ー写真と自身のカンケイ、そして人とのカンケイー
わたしのテーマと考えるべき問題は、そのことに尽きるのだろうと思った。





                                                                                                                                                   Osaka,2018

2019/10/07

写真のこと、そして日々。(5)


わたしが生まれ育った故郷は、第一次産業とそれ以外の半々の暮らしが今も続いている。
東京のように貨幣経済が中心ではないので、人足の返礼として、自ら育てた食物が返ってくる。

そのことが、東京生活何十年も経たわたしには、甚だ新鮮なことであった。

東京だと、とても自分では買えないような立派なブドウやリンゴ、それに好物の枝豆は房ごともらえ、初めてなつめの実を口にし、その奇妙な食感にわたしは病みつきになった。


そしてよくよく考えてみると、都市というのは何と不可思議で特殊な区域なのだろう・・・、と改めて驚嘆する。

複雑に絡み合ったコードのような街と人。
それらが織りなす無限のドラマ。それは光を、そして闇をも生み出し続けている場所なのではないだろうか。
そしてひとと街とがダンスをしているその行先は、だれにも分からない・・・・・。

その一筋縄にはいかない、何とも名状しがたい都市の作用のある一部分に惹かれ、ずっとわたしは街の写真を撮ってきたのかな、と思う。

そしてそれが、故郷に帰り、また東京に戻る度にジワジワと浮かび上がってきてくれることは、何とも不思議である。
山の頂上で視界が開けたときのようなーそんな単純な話ではないのだけれど、何か自分に必要な感覚のような気がしている。




                                                                                                                                   Osaka,2018

2019/09/26

写真のこと、そして日々。(4)



鳥が死んでいた。
少し大きめの鳥、ムクドリかな?
離れの2階の南側のガラス戸から下を見ると
ちょうど一階の縁側の上に備え付けた雨避けと採光のためのガラスの廂の上に。
隣の林の木々の枝が伸びてきて、その大きな窓を半分近くまで覆い隠す格好になっていた。

獲物として捕獲し、仮置きされてるというのは、ひと目見てわかるような置かれ方だった。
鳥はこんな風にこんな所では死なないから。
それを偶然わたしは見てしまった、という場面だった。
2~3ヶ月後、その部屋のちょうど真裏に当たる窓下の一階の屋根の上に、小さな鳥がうずくまっているのを見た。
弱っているのか、休んでいるのか、死んでいるのか、よくわからなかった。
しかし決して触ったり手をだしてはいけないことー自然界のサイクルは死を含めたものだということが、幼い頃からの経験から身に付いていた。

自然の中で動物の死を目撃したとき、地を這う蔦の根の頑強さを目の当たりにしたとき、ハクビシン、カラス、鳥たち、蜂や蜘蛛や蚊などとの遭遇、そして彼らの底なしの生きることへの希求を見たときに、ちっぽけな存在であるわたしを感じ、そこに包まれている感覚がぐわっと襲ってくるのだった。
緑の中に埋もれるように暮らしていると、一種包まれたような感触を意識するようになったのは、確かここ最近のことだと思う。

都市を撮影するときに、わたしはそんな感覚を頼りに撮っていたことを、今はっとして思い出している。

                                                                                     Osaka,2018                                                                                                                                                                                                                                                                                                    


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

2019/09/10

「ロバート・フランク展―もう一度、写真の話をしないか―」より。


この展示会場に入る前に、わたしはメモ帳と鉛筆をまず用意した。
1992年、ロバート・フランクはジム・ジャームッシュの行ったインタビュ―*の中で、「書くこと」について、こんなことを言っている。
「上手に書けたためしがないんだ。二、三の文章を除いてはね、それは・・・・・書くことは骨折りでね、私に書けるのはまったく個人的な手紙、心の内にある個人的なことを書く場合だけなんだ。(略)
論理的に組み立てることは私にはとてつもない難問なんだ、つまり、骨組みを建てることが。
私の心は自制がきかないから。私の心には筋道がない、直感だけなんだ。論理的じゃない。だからかじ取りをしてくれる人と仕事しなくてはならないんだ。個人的な手紙ならうまく書けるが、それ以外は本当に書きたいと思ったことはない。」
しかしだからこそ、フランクの仕事についてメモをする重要性をわたしは感じていたのだと思う。
年表や重要事項、写真から発せられるメッセージや感触など、書きとめておきたいと強く感じた。
写真とことばの関係に対して、真摯に、正直に、向き合っている作家であり、その関係性や自身の写真について、とてもよく理解していると感じたから・・・・・。

                  ―ロバート・フランクのいくつかの印象的なことばと、出来事―


「アーティストとしてはときに激怒することが必要、
 自分の直感に従い、自分のやり方で撮り、譲歩しない。
 私はいかにも『ライフ』的な物語は作らない。
   
 そういうことは嫌いだし、起承転結のある物語に
 立ち向かいそうではない何かを生み出すために努力する、
 と思うことができた

『ライフ』紙の募った写真コンクールで2位になったときのフランクの言葉より

「陰気な人々と暗い出来事
 穏やかな人々と心安らぐ場所
 そして、人々が触れ合う物事

 それが、私の写真で見せたいこと。」

・1950年フランクはN.Yの11丁目53番地に移り住む。

「市場への無関心と、彼ら自身が成功と捉えることへの献身」
という10丁目の画家たちの精神に深く共感し、かれらと精神的な交流をもち、またポートレートを残した。
 

*1992年9月号の『Switch』特集/ロバート・フランクのために、1992年6月にマンハッタンの南端、バワリー街のジム・ジャームッシュのロフトで行われたもの。


                                                                                                                                Osaka,2018

2019/09/08

ロバート・フランク展―もう一度、写真の話をしないか―


まずはロバート・フランクに謝罪を。
このところわたし自身が写真を考える際に大きなウエイトを占める鈴木清の写真と比べて、どうあっても西洋の構造主義、構成主義を壊したとしても、アジアの無秩序的な混沌とその破滅の様には到底叶わないと先入観で思ってたが、その考えを撤回します。
(少なくとも今日の展示を観る限りでは・・・)

ロバート・フランク氏の23歳から38歳までの15年間の作品がまとめられた展覧会を、清里フォトアートミュージアム*で観た。
「15年間、アメリカ、南米、ヨーロッパを旅し、模索と挑戦を重ねた若き写真家の歩みと眼差しを辿ります」と、チラシの紹介文の最後は締めくくられている。

目にしたことがある写真もあるのだが、この展示では初めて取り上げられるようなものの方が多かったような印象がわたしにはあった。
写真家にとっての新しい世界への感触と初々しい眼差し・・・・・
その中にあっても、安定を良しとしない、常に模索を続けるロバート・フランクの姿が〝目″の記憶ではなく、別のどこかに宿った。

帰宅した後、ロバート・フランクの写真の絵面(えづら)を、殆ど落としてきてしまったことに気づいた。
どんな写真展だったか、気になった写真や好きな写真は頭の中で思い出しては、そのことを考えたりするものだが、
絵面が殆ど浮かんでこないということはどういうことなのか?

それほど記憶力は悪くない筈なのだが、あんなに静かな環境で穏やかにゆっくりと鑑賞したのに・・・。

展示会場内の作品の下のキャプションの文章の中に、フランクの写真行為に対して「直感」という言葉が繰り返し当てられていたのが印象的だった。
ロバートフランクは、「直感の写真家」ということに、どうもなっているらしい。

しかし直感というのは、子どもでも動物でも持っているものだ。
むしろ子供や動物たちの方がそれを兼ね備え、能力はずっと高いのではないだろうか。

ロバート・フランクの「直感」は、経験があってこそ、のものに違いない。
そして、フランクが(というか多くの写真家も直感で撮っているのだが)直感の写真家だとしても、
フランクは「直感的に外している」とわたしは言い換えたいと思う。
構図や全体感がうまくおさまり、決まり切ったような写真は撮らないし、選ばない。
へんてこりんな空虚感、抜け殻のような後味、緩められたネジ・・・言い切るような強さや、安定した画面への姿勢が、どこにもない。

世の中の片隅にあるのも、片寄り、ズレのようなもの、襞、余白などを、常に画面上に出し続けている。
そしてそれがこの展示の根底に流れているとわたしは感じた。

彼が見せたいものは、画面上の秩序とか整えられたもの、或いは目をひくようなものではない、ということが分かってきた。
それが、わたしが今日観たフランクの写真を思い出せない要因のひとつでもあるのかもしれない。

そして「自身のこころの震えに反応している写真家」と、ひとつ補足をしたいと思う。

*清里フォトアートミュージアム
 ロバート・フランク展    もう一度、写真の話をしないか。       6/29-9/23,2019


                                                                                                                 Osaka,2018










2019/09/02

写真のこと、そして日々。(3)


そのひとつの話として、何年も、何軒もの家を直してきたアーティスト夫婦の友人がいる。
フランスでの話なので、あちらは新築の家の方が少なく、家は直して使うものだし、地震もないから、耐震とかそういうことはあまり考えなくて良い。だから日本とは条件も環境もまるで違う。

それでも、自分たちのパリのアトリエを何年もかけて改装し、田舎に買った家を改装し、別の地方都市に買った小さな家も、住みながら改装し、遂に見つけた理想の場所に立つ家とアトリエを含む大きな家を改装し、現在はそこに住んでいる。

丁寧に生きること、暮らすこと。
改装を早く終わらせなくちゃ、と、焦ったり慌てたり決してしない。
夫婦は画家と彫刻家なのでお互いに拘りが強く、白い壁にフックをつけるかつけないかで、何日も意見を主張し合う。

防寒のため、床下に羊の毛をフワフワに解したものを入れた話や、(建築の工法として、とても贅沢なことらしい)
売るために改装した家なのに愛着が湧いて、それを躊躇しているという話もいつか聞いた。
一軒の小さな家や小屋を買い取って、早くても2,3年。
長ければ数年、工期が終わるまでに年月を要したのではないだろうか・・・。

性格的に、わたしはそんなに気長にはできない。
それでも、彼らのやり方や、生きることへのエッセンスがずっと深くまで自分の中に浸透してきていることに、同じような局面に立つ今、感じているのだから、不思議なことなのだ。



                                                                                                     Osaka,2018

2019/09/01

写真のこと、そして日々。(2)



随分時間が経過したな、と思う。

今頃になって、30代後半から40代にかけて、大した目的意識もなく写真を撮って旅をしてきた経験が、わたしの中に深く積もり、腐葉土となり、自身を形成する糧となっていたことを知る事となる。

いま現在、さまざまな決断をする価値基準が、そのあたりにあることを実感として感じる。

その時は何も思わないのだ。
ただじっと見ている、聞いている、感じている。
出来事やフウケイの全てを受け入れているだけで、何の判断もしない、たそがれる一本の樹のように佇んでいた。

出来事があった、そのことすら忘れかけていたのだけれど、
こういう形で現れてくることは、思いもよらないことだった。




                                                                                                                       Osaka,2018