2019/07/23

ネパールを旅して


ネパールから戻って今日でちょうど5ヵ月となって、そのことに気づき少しはっとした。
ネパールでの体験は確実にわたしの生活や価値観にまで入り込んで影響を与えていると、実感としてわかっているからだ。

ひとびとの暮らしの質素さ、自然に逆らわずに生きること、そして運命を受け入れることー
水は山から引き、燃料を燃やして灯りを取る。煮炊きのための火は薪でおこすなど、それを不便と感じていない、そして昔から延々と続く生活を見た。

そして写真ー
今回の旅ほど、写真の大切さを、その持つ意味の深さを思ったことはない。

写真を媒介に置くことで、ひとに、場所に、わたしが関わること、関係するための丸太のような一本の棒を渡してもらったような感じである。。

しかし今は、まだそれだけの状態である。

写真の展示や発表も良いことだが、この仕事がどんなものだったのか心底わかるまでには何年も掛かるのだろうということを、ここ最近わたしはようやく知ることになる。
それは解き明かすことではなく、大きな宇宙の精神の空間にさらに掻き分け入り込み、作品を広げていくことなのだ、と・・・。
そして精神の草むらで別の横道や庭を作っても良い、休憩しても良い、いくら時間を費やしても良いのだ。

そこで見えた景色をぼんやりと受け止められたとき、はじめてあるひとつの作品としておぼろげながら輪郭を滲ませてくるのではないかと。
このところずっと思い、考えている*ある写真家の写真のことと、自身のネパールの写真とを錯綜させながら、写真の迷宮のことを考えている。

*ある写真家ー鈴木清氏

2019/07/16

ネパールへの旅-カトマンドゥ17-


カトマンドゥはどんなところだったのかと振り返ると、おぼろげに、ぼんやりと浮かび上がってきた像は、繁雑な都市性が凝縮され煮詰まっている部分、それは一方通行の行き止まりのような息苦しさがあると同時に、人びとの力の抜けた大らかさが風のように自由にそこを抜けていくようなところだと、今そのように思う。



2019/07/12

ネパールへの旅ーカトマンドゥ16-



わたしにとってのカトマンドゥの光景は、もしかしたらこの一枚に集約されるのかも知れない・・・と。
それほど朝のカトマンドゥには出来事が、そして思い出がある。








2019/07/10

ネパールへの旅-カトマンドゥ 15-




よくわからない絵柄、身に覚えのないものが写ってしまうことは写真だから当然なのだけれど、でもどこか懐かしいような気もする。
だからこの写真を掬い上げたのだ、と思う。

かつてこのフウケイを見たのは、小説の中か、映画か、自身の体験か、将又夢の中かな・・・。










2019/07/09

ネパールへの旅-カトマンドゥ14-



伝統と、時代を追いかけること。
守るべきものと、手放すもの。
そんなものが交互に見え隠れしている、カトマンドゥ。
都市に生まれ、そこで育つ若ものたちは、どんなことを考えながら生きているのだろうか・・・ふとそんなことを聞いてみたくなる。











2019/07/06

ネパールへの旅-カトマンドゥ13-




この都市に生きるひとたちのことを捉えようとしてわたしは日々カトマンドゥの町を歩いていた。
彼らの仕草を眺め、話している姿を見聞きし、町の食堂で毎日食事を取った。日中コーヒーを飲んだり、パンを買いに行く店のウエーターたちとは、にこやかにあいさつをするようになった。

そしてカトマンドゥはわたしがこれまで滞在した多くの都市と違い、旅行者でここに長く滞在する人はそれほど一般的ではないと感じた。
トレッキングや他の土地へ向かう通過地として利用されているような、そういった感触だった。








2019/07/05

ネパールへの旅-カトマンドゥ12-




写真を撮るという特殊な精神状態で、日々ひとびとの身体の動きや表情を見ていると、かれらの抱える複雑さが徐々に見えてくる。

ひとびとの表情のちょっとした憂いに表れるのは
個人的な事情や感情はもちろんのこと、その都市や社会を体現しているようなところがあると、わたしは信じている。






2019/07/03

ネパールへの旅-カトマンドゥ 11-



時間と記憶のカンケイ Ⅱ

東京から故郷のある町まで高速鉄道を使うと僅かに一時間半余り。だから車内販売は省略されてしまったことを最近知った。

高すぎると思いながらも、ポットから注いでくれる熱いコーヒーは飲みたくなるし、ビールもお弁当もできれば車内で買いたいと思う。

第一、一時間半では、ビールとお弁当、その後のコーヒーを頂いた後、余韻を愉しんでいる暇などはない。

三重か和歌山のあたりで、ポマードをたっぷり付けたテカテカの髪の背広を来た男性がいたなぁ、とか、18歳、沖縄からの帰途、関西から名古屋までの車内、隣の席の人とずっと話していたなぁ、と何十年経っても覚えているのは、そうしたこころに引っかかる出来事が幾つも重なっているからに相違なく、そういう意味に於いて、車内販売の担う役割はとても大きかったように思う。

その点、カトマンドゥから地方に向かって発車されるバスの旅は、日本とは比較にならないほど、出来事満載のものだった。

シートが壊れていてずっと踏ん張って座っていないと前にずり落ちてきてしまうものだったときもある。
ヤギと一緒に乗ってきたお婆さんや、農作業用の大きな籠を背負ったおじさんも普通に乗り込む。
そして途中下車して取る食事や、ドキドキのトイレ休憩、疲労困憊しながらもモモを食べて美味しかったな、という思い出もある。
バスが発車してから「待って~!」と、追いかけてきた女性もいた。女性も車掌も別に慌てていないところをみると、ネパールではよくあることなのだろう。

そう考えると、ネパールのバスの旅は幾つもの事柄がテンコ盛りで、記憶に残らない筈はないのだろうな、という人間味溢れるものばかりだった。




















2019/07/02

ネパールへの旅-カトマンドゥ 10-

時間と記憶のカンケイ Ⅰ

カトマンドゥの市街地から離れ、郊外へ向かって歩いていく。
そこは時の流れが極めて鈍く、まるで止まっているかのように感じられた。

ゆったりとした時間の流れというのは、豊かな実をつけた瑞瑞しい果実のような重みがある。
だからその歩みは自ずとゆっくりだ。
そしてその時間は、少しづつだけれども、確実に自分の中に記憶として積もっていくと感じられる。

早急な時間は軽く、時とともにわたしから離れ、どこかにとんでいってしまう。

だから敢えて早い方を選ばないこと、写真の方法も、そのための移動も。



2019/06/28

ネパールへの旅-カトマンドゥ 9-



カトマンドゥー
地形、気候、ひとびとの性質そのすべてが関わってきているのだろう、有機的でゴチャゴチャとした迷宮でありながら、地に吸い込まれるような沈み込んだ静けさと、そしてあるときは、抑えた低音で流れる熱風の音を聞き、感じることができる都市・・・。













2019/06/27

ネパールへの旅ーカトマンドゥ 8ー





ストリートでわたしが撮りたいと思うひとは、その人から発せられる輝くようなものーそれがずっと向こうから歩いて来るときから、感じられるのだ。
人が放つ光、見えないエネルギーとしか言いようがないのだが、それを感じるのは動物としてのわたしの本能からなのか、あるいは魂のことなのか、それはまだわからない。







2019/06/26

ネパールへの旅—カトマンドゥ 7—






カトマンドゥの雑踏の中で、感じたこと。
どの国の都市でも、わたしがストリートを歩いているときに、そこで働き、生きるひとびとの放つ、鋭さのようなものを感じたいと願う。
言い替えれば、わたしはそれを手がかりにして写真を撮っているのだと思う。

ここカトマンドゥのばあい、それが限りなくソフトに近かった。

日本に手紙を書いて投函したが、かなりの確率で届かなかった。人と待ち合わせをしても、遂に現れなかった。
緩すぎる国の仕組みや、人々の時間に対するルーズさは、別の意味ではひとを許すことにも繋がっているのではないだろうか。

これほど写真家冥利に尽きる国はない。









 


























2019/06/23

ネパールへの旅—カトマンドゥ 6—


ネパールのバス料金は日本では考えられない程、安い。
カトマンドゥ郊外から市中心部まで約10キロの道程で25ルピー(25円)だ。
バスというより、大型のバンやミニバスが主流で、人々の通勤通学などには欠かせないのだが、こちらに来てまだ日が浅い人間にとっては、どのバスに乗るのかの判断がかなり難しい。
車掌のような人(たいがい若い男性)が、そのバスの行先を大声で叫びながら近づいてくるので、ネパール語が読めない人でも乗車できるようになっている。
もしくは目的地のバスはどれか、どのあたりにくるのか、その辺の人に聞くという手もある。

ある日の早朝、マッラホテルの前で迎えの車をわたしはずっと待っていた。
車の到着が遅れて、45分ほどその場で待っただろうか、その間行き交うタクシーがわたしに合図してくるのは思えば当然だったが、バイクや車の運転手が、どこ行きのバスに乗りたいのかと聞いてきた。
推測するに、きっとわたしがバスを待っている困っている外国人に見えたのだろう。

ネパールの人はわりと内気で、これ見よがしに助けてくれたりはしないのだが、こうしたじんわりとした親切が嬉しいと感じた。












2019/06/22

ネパールへの旅—カトマンドゥ 5—



カトマンドゥ西方へ、宿からチャトラパティチョーク(チャトラパティ交差点)を北西へ折れると、ぐっと庶民的な空気に変わっていく。
ヴィシュヌマティ川を越えたあたり、その界隈の空気を感じるようにして、わたしはゆっくりと歩いた。

店やタクシーの呼び込みや声掛けがぷつりと途絶え、朝の人々の姿を多く見ることができる。
行商人や小さな修理工場で働くひとびと、店の前にたむろす男性たちや、通学する子供たち。

この辺りは学校がたくさんあるようで、いろいろな制服、年齢もバラバラな子供たちが、早い子だと午前7:00前から、通学のためわらわらと歩いている様子を見ることができる。












2019/06/21

ネパールへの旅—カトマンドゥ 4—


タメルでの日々は、撮影と食事のことを考えれば良いだけの(慣れてしまえば)至ってシンプルな生活だったが、最初はまったくそうはいかなかった。

タメル地区の中の道は、陥没、段差は当たり前で、ぼんやり歩いてはいられない。
車やバイクや人力車はスピードを緩めないし、予想できない凹凸や段差、そして突如現れる水たまりは、都市の中にあってさまざまな障害物を超え、バランスをとって歩かなくてはならない。
トレッキングをしているような、或いはトレイルランの練習のような、そんな不思議な感覚さえ与えてくれた。

東京のように、滑らかに舗装された歩道をぼんやり歩いている毎日からすると、注意と緊張感を途切れさせず、予想以上に骨盤や足を使って歩く街、というのが今とても懐かしく思える。

このように歩いた体験は、恐らくわたしのネパールでの日々の記憶のことと深く関わってきているのだろうと、写真を観ながらそんな風に感じるのだった。



2019/06/20

ネパールへの旅-カトマンドゥ 3-


カトマンドゥのタメル地区(滞在した宿のある場所)は、旅人のためのホテル、飲食店、土産物店、日用品から専門店までありとあらゆる店が揃い、東京で言えば新宿歌舞伎町とアメ横をミックスし、もっとずっと庶民的にして、そこに土埃が舞っている、迷宮・・・といったイメージだろうか。
(ネパールは舗装されていない道路が多く、カトマンドゥでは常に土埃が舞っている)

仕上がったばかりのカトマンドゥのプリントを見ながら、当時の撮影記録ノートを開いてみる。
それによると、2月6日は小川さんにタメル地区を案内していただいたとある。小川さんが「入れ歯通りがあるのよ」と言って、迷宮を分け入って連れて行ってくれたのは、入れ歯専門店ばかり並ぶ界隈だった。
他にも布生地、香辛料といった、専門の小売店がかたまっている。それで自ずと客層も決まってきて、女性しか歩いていない通りなど、エリアごとの特色を感じることができた。
両脇に高く立ち並ぶ建物の二階三階部分の窓や壁などはネパール様式の木彫装飾が施され、実に素晴らしい。
ただ、2015年4月のネパール大地震によって傾いてしまった建物を、つっかえ柱などで何とか支えているという、凝った彫刻を壁面に持つ木造建築を幾つか目にした。

そして、ここをひとりで歩けるようになるのはいったい何日かかるのだろうか?という不安がわたしの頭をよぎった。

それは、初めての土地での初日はいつもそう思うのだが、ここは極めて難易度が高いぞ、というワクワクした気持ちの方が勝った不安ではあったが・・・。









2019/06/19

ネパールへの旅—カトマンドゥ 2―


約四ヶ月前に撮影した写真は、最初からあったのではなく
ここにきてようやく目にすることができた像という感慨がある。

それは、フィルムの現像、ベタ焼き、プリントと段階と過程を経てきたということがあるからなのだが、撮影から現在に至るまでの自身の時間、経験といったものまで引き連れて、内包しているような感じさえする。

写真とは、まったく奥底計り知れないものだと思う。



2019/06/17

ネパールへの旅—カトマンドゥ 1―


ネパールの首都カトマンドゥは、東西南北数キロ四方に広がり約51k㎡、ふたつの河が貫通する。
5山に囲まれた盆地は、標高1,400メートルにもなる。

カトマンドゥでのひとりの日々が始まり、
この都市はどんなものなのだろうという興味と同時に、
ここに暮らすひとびとの素の暮らしが見たいと思った。

そして足は自然と観光地以外のリングロード(市を隔てる環状道路)へと向いていった。





2019/05/20

ネパールへの旅-マイディ村からカトマンドゥへ―


麓の村へ用があるというジープに乗せてもらい、山を下る。
途中店舗で集金をしながら下っていく、この車は燃料屋さんか何かだろう。
本来人を乗せるためではないので、帰途のジープの値段は格安だった。

麓のプチャールバザールでは、カトマンドゥ行きのバスのチケットを買うと、待ち時間なしであっという間にバスは出発した。
車内は地元の人々でごった返していたが、みな短い距離で降りてしまうので、やがて車内は空いて落ち着いてきた。

壊れていて、前方にズリ落ちてくる座席のシートをときどき後ろに戻しながら、バスはせわしなくカトマンドゥへ向かい峠道を急いだ。






 

2019/05/19

ネパールへの旅—マイディ村 12―


マイディ村―ここでの時間は何だったのだろうと考えた時、
二重、三重にもなって体験と記憶が押し寄せてくる。

クリニックの家族との夜宴、バッドリさんのご両親とのひととき。
実際にあったことと、かつて見たような懐かしさが層になって、あらわれては消えていく。
そして日本でのマイディ村についての新たな体験*が、それらの記憶を輝かせながら再度思い起こさせてくれる。

それはまるで床屋のサインポールのようであり、ずっと回転し、流れ続けながらも景色を見せてくれている。

同時にわたしはひとりの青年の目を、計らいを、ふとしたところに感じるのだ。

*上田達さんの写真展に足を運んだマイディ村に行かれたという男性や、その方が作った
 マイディ村の写真集を目にしたこと、そして小川博子さんとの再会。



 
 

2019/05/17

ネパールへの旅—マイディ村 11―


マイディ村のメインストリートは舗装されておらず、ひどい悪路が続く。
子どもたちが難儀しながらもワイワ通り過ぎていく姿は、かれらの身体のリズムを生み、こちらは音楽をみているような感じにさえなって・・・。




 


2019/05/16

ネパールへの旅―マイディ村 10―


マイディ村に限らず、ネパールには子供が非常に多い。
そして日本でいう保育園から高校くらいの歳の子が、ここでは同じ敷地内にある学校に通っているようだ。

仮設教室なのかもしれない、壁と天井があるだけの小屋のような教室が敷地の隅に建てられていたので覗いてみると・・・。



2019/05/15

ネパールへの旅—マイディ村 9―


お父さんの教えてくれた山道を行くこと20~30分。
道程からの景色は見晴らし良く壮観で、グラデーションのように重なり続く彼方の山の稜線、そして手前には山裾が谷に深く沈んでいく様子が、くっきりと見渡せた。

村のメインストリートに辿り着くと、激しい登り階段の上に学校のような建物があったので立ち寄ってみることにする。

校舎の中に入ることも、教室を覗くのも、撮影も自由。

この時はちょうど昼休みの時間だったのか、多くの子どもたちが教室にはおらず、外に居るか家に戻ったか、のようだった。

薄暗い教室で職員会議のようなものが行われていた光景が少し異様だったが、いかなる時でも節電、節電なのだろう。





2019/05/14

ネパールへの旅—マイディ村 8―


たっぷりとした波が押し寄せるような豊かな時の層、角ばったものは何ひとつなかった。

果てしなく長く続く時、というのはこういうことを言うのかもしれない・・・。 

しかし、そろそろこの家をあとにしなければならなかった。わたしたちの荷物はまだ、昨夜泊まったクリニックのお家のベッドの上に置いたままだったから。
 

足の悪いお父さんが、家の北の坂道を登り、見送りにきてくれた。

そしてわたしたちの姿が見えなくなるまでずっと立っていた。

この光景は過去に何十回も、そして映画などでも飽きるほど観ているのに、胸を掻き立てられるのはなぜだろうーそんなことを思いながら、わたしは山道を登っていた。


そしてこの二日の体験がどこか他人事に思えるのは、確認しなくてはいけないことや、このことを話さなくてはいけない人がいるからで、まだわたしの仕事は終わっていないのだということに気づいたのだ。

 





2019/05/13

ネパールへの旅―マイディ村 7―


そのあとのことは夢の中の出来事のような、幻想的な時間だった。
ビカスさんは、バッドリさんのお父さんからずっと話を聞いている。
その姿はジャーナリストが村の長老から話を聞くというよりも、友人のおじいちゃんから話を聞いている姿のようであった。
その横で、お母さんはチヤを出してくれたり、ダルバート(ネパール風定食)の準備のためにすぐ下の畑で青菜を収穫し、それを山から引いてきた水で洗い、料理に取りかかっている。
「わさび菜かな?」と言いながらその様子を興味深くわたしたちは見つめた。

よく整えられ、きれいに掃除された土の上にゴザを敷いてくれ、その上でわたしたちはダルバートをいただいた。
途中、放し飼いにしている子ヤギがダルバートの匂いにつられわたしのところにやってきた。
その子の首を持って、向こうの方へ追いやる姿だけが唯一
毅然としたふたりの態度だったのだが、あとは、そっとやわらかい仕草と穏やかな表情がとても印象的で、いまでもずっとこころに残っている。