2016/12/31

羽田 (73)


羽田のだだっ広い地に独り佇んでいると
それだけで穏やかな気持ちになる。

この一年は羽田と時間と空間を共有し
その世界観に自分が包まれているような感覚だった。

河口付近、岸に波が押し寄せる様子をずっと眺めたり
かつての滑走路に草がキラキラと生い茂る姿が目に入るだけで(無理に撮影しなくても)私の気持ちは満たされた。




2016/12/12

羽田 (72)


12月はほかの月とは何かが違う感じがするのはなぜだろう。

様々な人の発した印象的な言葉が、私の頭に浮かんでは消えていく。
残るのは後悔と満足、惰性と新たな発見。

その流れる時間と空間の中でも
作品を作り出していくことが、年を取るということかもしれない。




2016/11/03

展示終了のお知らせ






都市の距爪—パリ— 由良環写真展は

無事終了いたしました。


日高優さんとのトークショー(2016年10月30日)では
私のこれまでの作品の変遷と今回の作品に至った経緯
なぜ都市を撮るのか、パリへの切り込み方について
そして場所への愛(TOPOPHILIA)などについて
日高さんの鋭い分析と考察を交えて話がされました。

日高さんとトークショーについての打ち合わせは約2ヶ月前から始まりました。
日高さんから私への幾つかの投げかけにより
私が作品について継続して深く考え続けたことは
とても貴重なことでした。

日高優さんと、私の仕事に対して理解し協力してくださった方々に改めて感謝申し上げます。
                            

                                                   撮影 : 湊 雅博

  
 










 
 

2016/09/15

羽田 (71)


都市の中であっても
ここでは自然の強さを感じ、再確認することができる。



2016/09/13

羽田 (70)


いつも足を止めてしまう弁天橋のポイントは、歴史的、地理的
そして哲学的にも羽田の肝となる場所に間違いない。




2016/09/10

羽田 (69)


羽田に通った2度目の夏が終わろうとしている。




2016/09/04

羽田 (68)


すべての芸術の表現はローマ時代までにすべてやりつくされた・・・
というが、写真はローマ時代にはなかった。

「写真はまだ始まったばかりのメディアで、今からだと思う・・・」
というある人の言葉を聞いて、私は安心した。





2016/07/25

羽田 (67)


羽田のモノレールにはパーソナルスペースは、ないのだろうか。
こんな真下にいつでも入っていけて、お咎めなし。





2016/07/17

羽田 (66)


水平線の向こう側は東京湾だとは分かっていても
そのまま天に向かっているような気がする。



2016/07/07

羽田 (65)


私の都市論的に言えば
ここは東京における最果ての地だと思う。





2016/06/30

羽田 (64)


前向きな気持ちの時も、そうでないときも、
ここは平静さと力を与えてくれるところ。



2016/06/27

羽田 (63)


圧倒的な水辺の風景、その向こうは工業地帯。
ここはコントラストを極めた場所なのだろう。



2016/06/23

羽田 (62)


不気味な静けさ。
私はコンクリートの柱と同化するよう努め
息をひそめる。


2016/06/17

羽田 (61)

動から静―
静から動へ


2016/06/08

羽田 (60)


撮影スタイルでも生き方においても
踏みとどまる選択、変わらないことの自由意志というのがある。

もしそれに真価を見出すことができるなら、私はそうありたい。






2016/06/05

羽田 (59)


緊張と緩和の極み。
キワ地の持つ厳しさと清々しさをいつも突き付けられる。



2016/05/30

羽田 (58)


羽田をずっと撮ってきてわかってきたこと。

それはスケールが大きく、
把握することが極めて難解で複雑な要素をもった場所という事。





2016/05/23

羽田 (57)


日々変わっていくのは風景の方だけでなく
場所や写真に対する私の心情も、そうです。





2016/05/19

羽田 (56)


日々の生活と羽田の作品を
どんな形でつなぎ合わせ、まとめ上げる事ができるのだろうか・・・と考えている。



2016/05/16

羽田 (55)


強烈に掻き立てられるざわざわした気持ちになるのは
被写体とカメラと精神が一体になったときのみ。





2016/05/08

羽田 (54)


空港整備場裏の飛行機の格納庫はいつも目が行ってしまう。

スケール感が常軌を逸している。
粗雑でありながら余計なものが一切ない。
それでいて味がある。


2016/05/05

羽田 (53)


そこにあるのは
強い日差しのもと、密度の濃いアスファルトだけだ。

-無の空間-は様々なメッセージをおくってくる







2016/05/01

羽田 (52)


風薫る五月

写真とは・・・新しい発見
そして
記憶を蓄積していくことの繰り返しである。


2016/04/28

羽田 (51)


空と水平線が同化してしまいそうな曇天の朝。

水面が小さく震えるように呼吸をしているようだ。




2016/04/25

羽田 (50)


ひとつの決めた場所に何度も通って撮る・・・
ということは(例外は除いて)これまであまりしてこなかった。

物事を複雑にもつれさせる行為のような気がしていたからだ。

しかし今、羽田に何度も通っているうちに
モノの見え方、捉え方が変わってきた気がする。




2016/04/17

羽田 (49)


この場所はいつ来ても別の表情を見せるのは何故だろう・・・
という疑問は未だ謎のまま。

その要因は干潮、満潮、季節や気象の変化だけではないはずだ。



2016/04/10

羽田 (48)


一年前の事を思い出す。
この地をどう捉えようか、まだ私は探しあぐねていた。
そしてあの頃はまだ何も始まっていなかった、
多摩川の河岸工事。

慌ただしくなっていく様子を肌で感じ
生滅流転のもの悲しさを強く意識しながら、羽田を歩く。


2016/04/04

羽田(47)


以前と変わらない羽田・・・
しかし前とは別の場所を撮っているような感覚になる。
2020年に向けたインフラの整備など
ずっと忘れ去られていたこの地に変化の足音が聞こえてきた。




2016/04/02

羽田(46)


新しい年に入って再び羽田へ。
誰も居なくなった冬の羽田は
孤高のきらめきを湛えているように見える。




2016/03/26

函館・十勝への旅

(十勝 4)

私は美しくないものを美しく撮ることは得意だが
美しいものを美しく撮ることは苦手だ・・・(と自分では思っている)

私の撮りたいことの本質はそこではないのだ。

十勝ではその風景の姿が美しすぎて「手も足も出ない」と思う事は何度もあった。

しかし、やがてそれも考え過ぎなのかな・・・と思う。
第一「美しさ」という言葉の定義も人によって違うはずだ。

久しぶりに十勝の皆さんと時を一緒に過ごしているうちに
ここ最近突き詰めて考えていた写真のことからふっと解放され
気持ちが軽くなる。


十勝の自然と、親切にして下さったみなさんに心から感謝します。





函館・十勝への旅

(十勝 3)

ジャズナイトの余韻を引きずったまま
翌日は撮影ツアーへ。

人生初スノーシューを履いて森の中を縫うようにして進み
歩きながら樹について、森の話など地元の方にしていただく。

木々の間からの木漏れ日が雪上に陰を作り
まるで森全体が踊っているみたいだ。





函館・十勝への旅

(十勝 2)

帯広に着くとプレミアム・ジャズ・ナイト

毎冬、石井彰さんをお招きして
ジャズライヴを開催している。
今年はその4回目。

石井さんの弾くピアノは、構築的で洗練された形式。
そこに空気や風を吹き込んでいくような繊細な演奏だ。
音の間、余白・・・そして石井さんとピアノの距離感が絶妙だと
聴くたびに思う。

石井さんとセッションするのはギタリストの小沼ようすけさん。
情熱的で時に優しく、何かを語りかけてくるような
重厚なギターの音は
思わず身体がふわっと浮き上がるような感覚になる。





2016/03/25

函館・十勝への旅

(十勝 1)

函館を後に十勝へ向かう。
汽車で約6時間、距離はおよそ440キロ。

内浦湾沿いに長万部を過ぎ、室蘭、苫小牧と順に停車していく。
ひとつひとつの駅に下車したい衝動にかられるがガマン。

しかしかなりの距離を移動しているにも関わらず
不安や圧迫感をまるで感じない。
これは車で移動するときも同じ事が言えるのだが
道内で長い距離を移動しても、変な疲れを感じないのは不思議な事だ。

南千歳の乗り継ぎで外気に触れたとき
函館では感じたことのない寒さが足もとからぐっと伝わってきた。



   






















函館・十勝への旅

(函館 5)

函館山の山裾の海岸線を歩く。東から南、北から西へ。
海沿いは漁港が続き、漁業を生業とする人々の家々や
納屋が軒を連ねている。

途中、猛烈に吹雪いてきた。
しかし一時間も経てば天候はやがて変わる。
函館の天気は変わりやすい・・・ということが3日の滞在で
身に染みた。
海が近く山が接近しているためか気圧の変化が起こりやすいのだと思う。

気象状況と同様に
出ていくものと入ってくるもの、変わるものと変わらないもの。
様々な文化や変化を受け入れながら
これまで200年余りをやってきたのだな・・・と思う。

函館の都市としての強靭さ、タフさのようなものをふと感じる。






2016/03/24

函館・十勝への旅

(函館 4)

函館郊外にあるこの場所はまだ雪深い。

山道を登り始めて10分あまりだろうか、視界が急に開けてきた。
どうやら私は脇道から来てしまったらしい。

海から一直線に山の修道院へ続く動線が造られている。
そして、急で長い長い坂道が
修道院の荘厳さと美しさを一層引き立てていた。

神を感じるような場所との出会いだ。

しばしその風景を前に固まって、
ただただその場にいるだけだった。



2016/03/23

函館・十勝への旅

(函館 2)

私が興味を抱いたのは函館の起伏に富んだ地形だった。
津軽海峡に突如として突き出したような函館山は
山裾の東西南北それぞれ目に入ってくる景色が大きく異なる。
海、海峡、湾・・・そして周囲の半島を見渡せる
類まれな恵まれたこの場所は
蝦夷地開拓の歴史舞台に選ばれるのは必然だったのだろう。

ここに立ってみて実感する。




函館・十勝への旅

(函館 1 )
そもそも函館に旅に出ようと思い立ったのは昨年の秋。
東京在住で函館出身の女性の話がきっかけだった。

「蝦夷地の開拓の歴史を辿るように北海道を観た方が良い」
「空路で北海道に降り立つのはもったいない」

2時間ほどの話ですっかりその気になった私は
函館に航路で行こうと決めた。
(実際は時間と経費が大幅に掛かるため東京-青森(新幹線か空路)青森-函館(航路)
ルートは断念した)



果たして函館の街は、複雑に入り組んだ歴史の波を感じさせ
いくつもの文化が厳しい自然の風景と美しく調和する姿を見た。





2016/03/04

パリジェンヌ

昨日は雛祭り。様々な国の女性を取り上げた番組が組まれているのを見て、パリでの日常の一コマを思い出す。

パリの女性は強い、攻撃的、平たく言えば‘恐い’のだ。
毎日通うスーパーの代金を大きいお札で出そうものなら
ため息をつかれ、ゴネられ、こっちの方が気が滅入ってくる。
だからメトロの切符を一枚だけ駅の自動販売機で買ったりして
常に小さい額の札をたくさん準備している。

ある日、毎朝通うパン屋の若い女性(普段は無愛想)が
私が毎回三脚を持っているのを見て「Photographe?」と話しかけてきた。
こちらはびっくりたまげ「Oui」としか言えずそれ以上の会話も
できなかった。
それが残念で仕方なく、私がもし男性だったら会話が弾んで
デートの約束でも取り付けていたかもしれない。
(フランス映画のセオリーに乗っ取るとそんな感じだ)

でも、その朝に限って優しく話しかけられたことは
胸に温かい膜が一枚加わったような気持ちだった。

そうやって私はパリの街に少しづつ溶け込んでいった。



2016/02/28

旅のプロローグ


旅は準備している段階が私は一番楽しい。
その国や街を舞台にした小説を読んだり
できれば映画を捜してDVDを観たり・・・。

詳細な観光情報よりも、小説や映画の方がより良いと思う。

そして土地や場所に対する無限の想像力が
現地に着くまでの数週間のあいだ
頭の中を自由自在に駆け巡るのだ。


                                                            -都市との対話- 「フランスの風」より

2016/02/26

フランスの風


「この国、この都市は一体何なんだろう?」という疑問を
2004年に初めてパリに住んだ時から・・・
今でもずっと私は抱き続けている。

未だフランスやパリの写真を撮っているのは
それを知りたいから・・・という好奇心以外に他ならない。


思い通りに物事が進むことはまずない・・・事や
どうしても理解できない彼らの思考回路に辟易しても
この国、街、人々の大らかな魅力を一旦知ってしまうと
興味が絶たれることはない。




                                                  -都市との対話-  「フランスの風」より


2016/02/22

Domaine (ドメーヌ)


Domaine(ドメーヌ)とは
畑を所有し、葡萄栽培から醸造などワイン製造を一貫して行う生産者を差す言葉だ。 本来はフランス・ブルゴーニュ地方で使われる称号)

最近、長野県の葡萄栽培やワイン作りの面白い本に出会い
その製法やプロセスに大きく興味を奪われている。
                            (玉村豊男著:『千曲川ワインバレー』など他多数)

そして私がやるなら絶対ドメーヌだ、と思ってしまった。

写真なら撮影、フィルム現像、プリントまですべて自分でやる事と
ちょうど同じことが言えると思う。

全ての行程が作者の意図したところに落ち着き
且つ連携が取れたら、これほど説得力のある作品は無いと思う。
ワインも写真も・・・。

私の現在の写真作りは、全行程を自分で行ってはいるが
まだちぐはぐな部分が多々ある。

行きつくところは
良くできたドメーヌワインのような・・・
そんな作品を目指している。


                                                    -都市との対話- 「フランスの風」より

2016/02/18

パリの街


私は写真を撮ることに限って言えばパリの右岸が好きだ。
住むのにはのんびりした治安の良い歴史的な地区の左岸が断然良いのだが
こと、撮影となると話が変わってくる。

都市のダイナミズム、コントラスト、動き、どれをとっても右岸の方が圧倒している。

「よそ者は足を踏み入れないほうが良い」エリアが
パリには幾つかあるが
それらは右岸に集中しているのも頷ける。

                                                     *セーヌ川を挟んで北が右岸、南が左岸

                                          -都市との対話- 「フランスの風」

2016/02/14

ストリートスナップについて


昨年3月、パリでの撮影の後半
人を撮りたいという強い気持ちが芽生えてきた。
ノーファインダーでも何でもとにかく人を撮ってみよう・・・と。

ストリートスナップは人物が入る途端に生き生きと輝きだす。
そして撮っているとき、現像、プリントのときも
心拍数は通常の倍位?と思える程どきどきする。

反面、人物が入っていないスナップの方が
より都市の悲哀、深い闇の部分など如実に映し出している時がある。

                                                       -都市との対話- 「フランスの風」


2016/02/12

写真と記憶


約1年前に再撮のために訪れたパリでの写真を
今頃、プリントして整理しているのだが
ベタ焼きを見ていると撮った瞬間と、その前後の情景が
まざまざと甦ってくる。

面白いのは、私の精神状態(フラットな時、前のめりな時
アンニュイな時など)が、かなりはっきりと思い出され
また、それが写真の絵柄と連動している点だ。

写真を撮るときの記憶は、どのようにして脳に溜めこまれるものだろうか・・・とふと思った。


                                                    ‐都市との対話- 「フランスの風」より