2014/12/28

年末


年が押し迫ってくると街は気忙しくなる。

いつもと変わらない日常を願う私は
それを避けるように荒川の河原に出る。
だいぶ冷たくなった風が吹いているが
太陽の日差しがあたたかく心地よい。




2014/12/24

羽田 (8)

―空の上から―

東京に戻る飛行機の中で窓からの景色に見とれる。

大気の層と空のグラデーションの美しさ、
地上に広がる山や河川の自然の造形美。
あるいは、煙が上る工業地帯、
直線に切り取られたような埋立地の海岸線。

遥か遠くには日本最高峰のシルエットがうっすらと浮かび上がる。

羽田に着いた時には一種感慨深いものがこみ上げてきた。




2014/12/18

羽田 (7)



羽田には他の空港と異なることなく、明るさがある。

そして首都の圧倒的な現実的性質と落ち着きを伴って
埋立地のキワでスレスレにやっている。

そんな風だから私は惹かれてしまうのかもしれない。





2014/12/10

羽田 (6)

        

しばらく休んでいた4×5カメラでの撮影を再開する。
カメラの故障もあったのだが
夏に10カット程撮って以来の撮影だ。

4×5の何が好きかと聞かれたらいくつかあるのだが
大らかな表現力と世界観はもちろんのこと
撮るまでに時間が掛かるという点かもしれない。

4×5で撮りたい程の景色に出会うことが簡単ではない。
そして出会ったとしても撮るまでに数々の操作と時間が要る。

4×5で撮影するという一連の行為や気持ちを
どんな風に例えたら解りやすいか、昔考えたことがある。

そして異性に例えたら良いと思いついた。

その場合、空想上・・・
私は男性、4×5は女性になっているのが常だ。






2014/12/09

羽田 (5)


過去の遺産というべき小屋がそのままになっていた。
どこの、誰の所有か曖昧になってしまったのだろうか・・・。

関係者以外滅多に外部の人が通らないから
さして問題にならないのだろう。

ここは特異な土地なんだ・・・と改めて確認する。







2014/12/02

羽田 (4)


初めての土地、街を歩くとき
その場所から発せられる声を聴きたいと耳を澄ます。
そしてメッセージが届くまで気長に待つことにしている。

私にとって羽田は初めての土地ではないけれど

沈黙を守っている大地からまだ返事はない。





2014/11/30

羽田 (3)


こんなにも人に出会わない都内は無いと思う。

延々と続くだだっ広い平坦な土地。

そして、次々に現れるイメージを掻き立てるモティーフ。







2014/11/25

羽田 (2)



「東京は冬が良い」とある写真家が書いていたので
冬に意識して写真を撮るようになったのは何年前のことだろう?

空気が澄み渡り、透明感がでるのが東京は冬だけなのだろう。

親日家の外国人写真家の友人に
「東京を撮るなら冬が良いよ!」と言ったら、
本当に冬に撮影に来てしまったことがある。

でもその気持ちは痛いほどよく分かる。

そこの場所のその時しか出会えない風景があるとか聞くと
写真家は居ても立っても居られなくなる性分だ。

















 

2014/11/22

羽田 (1)



十数年前まだ20代後半のころ、首都圏の中で
特に好きな場所だった羽田空港周辺。

思うところあって、再び写真を撮り始めた。

あの頃と変わってしまった部分、変わらない部分が
つぎはぎ状に現れる。

それでも野原・・・空き地・・・といった使途曖昧な土地がまだ残っていて
都市の余白、隙間を追いかけている私には
相変わらず魅力ある場所だ。











2014/11/17

羽田 Introduction


32年振りに羽田空港から国際線を大々的に飛ばすようになったのは、ここ最近のことだ。(2010年10月21日)

二十歳前後の頃よく聴いていた
矢野顕子さんの「SUPER FOLK SONG」のアルバムの中に
「塀の上で」という曲があった。
鈴木慶一さん(はちみつぱい)のカヴァー曲だが
その歌詞には「羽田から飛行機でロンドンへ(君は)お嫁に行くんだね」という切なく印象的なフレーズがある。

無論私が聴いていた当時は羽田から国際線は
飛んでいなかった。

だから少し不思議な気持ちと、時代性を感じながら聴いていたが

今度は羽田が国内線のみだった時代が
人々の中では懐かしく古ぼけた記憶として作られていくのだろう。












2014/11/09

十勝へ

初冬の十勝、
少しの時間だが
行きたかった場所で撮影をすることができた。

初冬の十勝は私にとって初めてだが
いつ来てもここの風景は
心に風が通り抜けるような気持ちの良さがある。


樹や草むらに言葉を投げかけ
会話するように撮ってみた。














2014/10/30

『TOPOPHILIA』の編集者・河野和典さん

河野和典さん(Studio Ray代表)に最初にお会いしたのは2011年の夏の事。私の作品TOPOPHILIAの編集をお願いに写真を観て頂いた時だ。

最初は乗り気ではなかったようでしたが、作品を観るうちに
目が輝きだし、すぐに引き受けて下さるお返事をもらう。

河野さんがTOPOPHILIAの作品を観た最初の言葉は
「一貫性があって見やすい。畠山直哉の写真のような独自の構図だ」とおっしゃってくれた。
油絵を描いたり大辻清司さんに師事していた畠山さんとは、僭越ながら、写真一本ではなく色々なことやったという意味では自分も共通点がある。
今考えればとても嬉しい言葉だった。

その後の河野さんの本作りへの情熱はすばらしかった。

本の構成に関してはほぼ100%私の意図を通してくれたが、
一点だけそうではなかった強い思い出がある。

「著者あとがき」の文章を書いて見せたところ、(河野さんにとっては)私の文章があまりにひどかったのだろう。

赤ペンで修正した箇所が無数にある原稿が返されてきた。
河野さんが頭に血が上って熱くなりすぎたのか、或いは
達筆のせいもあり、ほとんど読めない部分もあるが簡単に言えば書いたものに対して全否定だった。

それで書き直したものが実際の本に載っているわけだが、
今読んでみると取り立てて良い文章とは思わないが
「あなたが10都市を回った実感を書きなさい」という言葉だけを頼りに書いたものだ。
様々な事を一度に考えなければならないぎゅっと凝縮した時間は
本当に思い出深い数か月だった。

河野さんのような方に編集をしていただき幸運だったと思う。

河野さんからHPのリニューアルのご案内がきました。
ぜひご覧になってください。


http://www7b.biglobe.ne.jp/~studioray/books.html









2014/10/25

ベルゲール

贈り物のプリントを作るときのために…と
ずっと取っておいたベルゲールのバライタ紙でプリントをしてみた。
予想以上の美しさに少しの驚きを覚える。

まったく同じカットを他社製品のRCとバライタでもプリントしたばかりだ。
それも悪くないのだが、もうひとつ遊び心がない。

ベルゲールのバライタ紙は紙一枚にフランスの豊かな文化が凝縮したような表現力がある。

(残念ながらこのブログの写真では、その諧調を確認することはできません)


2014/10/23

台風一過

台風が2時間前に過ぎ去ったばかりの空は
普段とは確実に違う様相をみせていた。

もう最近はあまり撮らなくなった東京の景色を撮ろうと
外に出てみる。

ドラマチックな空と空中で重なり合った高速道路を
下から見上げると、有機的な美しさと無機的な美が調和して
胸をしめつけるように迫ってきた。





2014/10/13

写真とは。



建築家の板茂さんは何十年も前から紙管を構造体とした
建築物を作ってきた。
近年は大学の学生と海外の被災地へ赴き、
紙管による仮設建築や仮設住宅を作るプロジェクトを実践して
その活動は高く評価されている。

坂氏はその中で学生に対して
「今、日本にいて建築を学んでいる環境がどんなに恵まれているかわかってほしい」と語っている。
「カルチャーショックを受けることがモノを作る原動力になる」とも言っている。

私もその言葉に大いに共感する。

海外で過ごす中で、人はさまざまなカルチャーショックを受ける。
そうすると、気持ちの中で多くのものがそぎ落とされ、本質だけが露わになっていくのがわかる。

写真を撮ることだけに神経が集中していく過程が
自然に実践されるという訳だ。

海外に撮影に行く訳はこれだけではないが、
かなり回りくどく遠回りなやり方をしてでも、
私は、本質に迫る写真を撮りたいと思っている事は確かだ。












2014/10/09

新たな風景との出会い


とても内面的に言えば
私がこれまで都市を撮ってきたのは
自己と世界との関わり方を確認する作業のような部分があった。

もっと言えば、都市写真は「自己」と「世界」との関係を問題にしてきた故に選んだ被写体だったといえる。
その関係性にずっとこだわり続けてきたのだ。

一方で自然を撮ることは自分そのものを撮ることのように捉えて
いた。
生まれてから18年間ずっと自然の中で育ってきてというもの
自己と自然とを同一のものとして認識していた。
それ程自分の中に自然が入り込んでいたのだ。
だからセルフポートレートのような作品を撮る気はしなかった。

しかしここ一年の間にその位置関係に大きな変化が生じた。

自然は自分そのものではなく、もちろん都市でもない—と。

まったく別の他者として-新しい「何か」-として
私の目の前にスッと現れてきたのだ。
それはとてもさりげない現れ方だったので
認識するのに少し時間が要った。

そしてこれは私が写真作品をこれからも作っていく上で
とても大きな出来事だったと言える。


























2014/10/06

風景との出会い


何年も前、晩秋のベルリンの公園でカエデの落ち葉が
雪のように地面に積もっているのを目にした。
あまりにも綺麗だったので拾い集めていた。
その私の姿を、もの珍しそうに見ているご婦人がいた。

モスクワのホテルでは、昼間拾い集めて窓辺に並べておいた
美しい落ち葉を、ルーム係のおばさんがゴミだと思って見事に
捨ててしまった。
それ以来、気に入った落ち葉は本やノートの間に挟んで保存するようにした。

自然をこのように愛でる感覚は日本人ならでは・・・
と聞いたことがある。

美に関しての感覚は日本人は独特のものがあると
欧米に行くとかなり強く感じる。

それ故に、受け入れられることもあれば
理解されない場合も多々あるのだ。





























2014/10/01

風景との出会い・人との出会い


フランスの田舎町、ヴィトレに行った写真を見直してみた。
あれはもう一年近くも前になる。

「大都市と地方都市について」の作品には直接掛かってこないが
思い出深いカットが見つかった。

これらは人と話しながら・・・あるいは人が近くにいる時に
撮った写真ばかりだ。

旅の中で出会う様々な場面は
自分以外の誰かが介在することで
より鮮明でなつかしい記憶になりうるからとても不思議だ。















2014/09/27

助走

助走は長い方だと思う。

思えばこれまで助走しかしてこなかったのかもしれない。

表現するということを考え続けて、はや25年近くになる。

完成度の高い作品を出したいとは思うが
ひとつに完結してはいけないと思っている。

何か含みや次の展開、示唆がある作品をつくりたいと
ずっと思っている。
















2014/09/14

ずっと見ていた風景 3


実家のケヤキの大木は裏庭の奥まったところにあって
ふと思い立って近づいてみるときがある。
ケヤキは孤高の輝きをまとい
神聖な雰囲気さえ漂わせている。

幼いころは鳥の巣箱を幹に掛けて
友達のように仲良く遊んでいたのに、
今はどうしてひとりでこんなに大きくなってしまったのだろう・・・と
少しさみしく思いながら
私は見上げるだけだ。




2014/09/11

ずっと見ていた風景 2


よく写真家の心象風景は育った環境が大きく影響するというが
では他の何が心象風景に影響するのか逆に聞いてみたい。

頭の片隅にある懐かしい子供の頃の記憶は
風が通り抜けるのが得意だった我が家の内部の造りのように
ス-ッとあらわれては、一瞬でどこかに消えてしまう。

好きだった南東向きの小さな部屋。
トラ色のペルシャ柄の絨毯が敷き詰められていて
それを見るとなぜか不思議な気分になった。

玄関はいつも暗くて、どうにかならないかな・・・とずっと思っていたが
今住んでいたら、屋根をくり抜いて天窓を作っているだろう。


ずっと見ていた風景 1


 
  実家に庭の手入れのためしばらく滞在してひとつ気が付いた
 ことがある。

 それは私は18年間、家の中から見える風景を長い時間見てい  たことだ。

 家そのものを見ていたのではなく、窓越しに見える風景を見て  いた。


 当たり前と言えば当たり前の事なのだが

 1階や2階、東側や南側に色んな窓やガラス戸があり
 
 そこから切り取られた風景は、全部違っていた。




2014/08/27

新作をUPしました

人間と環境

―大都市と地方都市について-


Galleryページに新作をUPしました。
 今後「人間と環境」という大きなテーマの下で幾つかの作品を作っていきたいと考えています。

 その中で今回は「大都市と地方都市」をテーマに
フランス(パリ・ヴィトレ)と中国(上海・紹興)で撮影をしています。

作品発表はもう少し先になると思いますが

HPで先行して一部を発表いたします。

この作品を作るうえでお世話になった方々にこの場を借りて感謝申し上げます。


                                                                                                        パリ November2013




                                                                                                                                           紹興 May2014
                                                                                                                 


2014/08/11

樹について


 「植物は人がいなくても少しもかまわずに生活するが
人間は植物がなくては一日も生活することができない」

という言葉をのこしたのは、植物学者の牧野富太郎博士だ。

 人間がいなくても、樹は関係なく成長していくことを
私はこの数週間で目撃し、しっかり思い知らされている。

 そして後者の方も間違いはない。
 牧野博士ほどではないにしても、もし植物がなくなったら
きっと自分は枯れていくように思う。


 この一方通行の思い、依存関係は何なのだろう?と思う。

 人間は弱く、様々なものに依存してバランスをとりながら
生きているという事なのだろうか・・・。





一年




 帯広の北のれんがで「TOPOPHILIA」の写真展をしたのが
ちょうど一年前になる。

 「北のれんがというすてきな空間があるよ」
帯広在住の姉から話を聞いて3年余りが経っていた。

 HealingArtの倉前君も十勝出身とのことで
コラボレーションできるイヴェントを考えてようやく実現に
至ったのだった。

〝北のれんが"は実に魅力的だった。
大らかなれんが倉庫の造形も、中庭の造りも
場所全体が人を包み込むような雰囲気を備えていて
「ただそこに佇んでいるだけで十分」と思わせてくれるような
何かがあった。

 しかしそれ以上に、十勝の人との出逢いがあった。

 この一年は私自身にとって変化の多い年だった。
 そのスタートとなったのがこの展示であり
それを支えてくれたのが北海道の大地と
ここで出逢った人であることを、今実感している。
























2014/08/04

樹について

長野 2


庭のケヤキの大木を切るかどうか?という話になっている。

どうしたものかと思いながらいると
近所の高齢の御母さんが2階からいつもその樹を見て
心を和ませてるという話を聞いた。

このケヤキは私と一緒に成長し、ずっと家族を見守り
誰も居なくなった今は、隣人の心の支えとなっていた。

樹の成長した年月からすれば、切ってしまうのは一瞬の作業だ。

ふと、樹にも心はあるのかな・・・と考える。









2014/07/27

湖の底

長野 1


ある人が長野のことを「湖の底に沈んだような街」と
文章に書いていたことがある。
読んだ当時はピンとこなかったが
長野を離れ東京で20年以上も暮らしていると
その意味するところが良く理解できるようになってきた。

その人も私も長野市出身だが
静かで、変化がなくて、
新しいものが入ってきても弾き返されてしまうような土地・・・
というイメージは共通しているようだ。

そのことは若い時分、恐怖にさえ感じた。

では今はどうだろうか。

ここに来て、故郷について様々な角度から考えてみる
機会がおとずれたようだ。











2014/07/20

観念的・写真論

  

世界をどう捉えるか?
というのが写真家の使命だとしたら
その〝世界″と向き合うだけの自分というものが
なくてはならない。

では〝自分″をつくるにはどうしたら良いか・・・。

できるだけ感性を刺激するような新しい経験、
色々な経験をしたほうが良いのは言うまでもない。

そして写真以外の事をたくさんしなくてはならない。

故に私は旅に出るのだろう。

旅が目的か、
写真が目的の旅か・・・

その両方のようにも思う。



2014/07/14

4×5

 ―縁の色―     森田城士 写真展

 4×5の良い写真を久しぶりに観た。

 森田城士さんは大学の後輩にあたるが面識はなかった。

 4×5・ネガフィルムによるカラープリントは、限りなく続くと思えるような深く、やわらかなグラデーションによってあらわされ
4×5の受容力の大きさとその可能性に改めてはっとした。

 この写真展‘縁の色”(ふちのいろ)はカラー作品で自作のプリントだが、森田さんが今年初めに出した写真集『Kosmos』は
4×5モノクロームで、これはとてもユニークな写真集だ。

 判計はパノラマサイズと言ってよいのだろうか。
 実はこれ、横位置の4×5のプリントをヨコに切ったサイズだ。
 通常通り撮影しプリントしたのち、1/3のサイズに切ってトリミングしたものを完成形にしている。

 写真の内容は、東京、千葉、ソウル、香港、台北、N.Y、バルセロナそして森田さんが生まれ育ったメキシコシティーなど、都市を俯瞰撮影したシリーズだ。
 これらの都市のオフィス街、集合住宅、工事現場や高速道路など、野暮ったくなりがちな被写体を横長で見せることで、都市のエネルギーというものに再び注意が向けられるような作品に仕上がっている。

 都市写真は往々にして、情報量が多すぎることがある。
 目がいくポイントは1,2ヵ所で十分なのかもしれない。
 それをうまくクローズアップしたかのように整理して見せると
思いもよらない新鮮さや、場所への親しみが生まれると、この写真集を観て思った。

 しかし4×5を縦で撮影し、タテに切ったバージョンもあり、
今年初めにニコンサロン銀座で個展をしたと聞いて
二度びっくりした。







森田城士写真集
『Kosmos』
蒼穹舎
2014年1月発行

2014/06/30

池澤夏樹『スティル・ライフ』

朗読会にて

 

 岡安圭子さんは、池澤夏樹著『スティル・ライフ』をこの日の朗読の会のために選んでいた。

 池澤夏樹氏についてと、岡安さんにとっての氏の小説について
簡単にふれたのち『スティル・ライフの』朗読が始まった。
 
 初夏の東京日本橋、オフィス街の土曜の夜は人気がなく、古いビルの5階の白い部屋は、雑音がほとんどしない。

 主人公の、坦々とした日々を描いたストーリーの中に、
時折するどい、しかしとてもやさしい物言いで
人々へのメッセージともいえる言葉がちりばめられている。

 「世界と自分との間に橋を架け、それを関係させることが大切なんだ。」という意味の一文がとても心に残った。

 「自分のやりたいことを社会の中でをどう折り合いをつけていくかが大切なんだ・・・」という解釈は正しいかわからない。
 しかし私はそう受け取った。

 そして「ああ、この人がずっと自身に問いかけてきたことなんだろうな・・・」と感じた。
 池澤さんがこれまでしてきた多くの旅や、住んだ土地土地で
このことをずっと考えてきたのだろうな・・・と。

 それくらい自然で、普遍的で、氏自身に言っているようでもあり、すべての人に言っているようにもとれる言葉だった。

 池澤氏の言葉は、岡安さんの声と共に、すっと私の中に入ってきて留まった。


        岡安圭子さんホームページ             www.okayasukeiko.com




                                                                                              







2014/06/23

26日の月

          月展

        展示作家有志による有終展
        7/8-7/13  11:00-20:00

銀塩写真専門のギャラリーバー「26日の月」が惜しまれつつ、7月31日で閉店する。

明日香さんがお店をオープンさせたのが2001年9月1日。
「写真とお酒とJazzが好きで始めた」と語った明日香さんは写真家でもある。

オープンしたてのころ、私の作品「ラフレシアを探して」で
ポートレート写真の撮影とインタビューの取材をさせて頂いた。

あれから約13年・・・。
「26日の月」で何度仲間と写真談義をしたか数えきれない。

明日香さんへのオマージュを込め、13年前のポートレートを1点出品します。




2014/06/02

中国の旅を終えて

 中国の旅を終えて

「大都市と地方(田舎)」をテーマにした2回目*の取材。
中国では、上海と紹興で撮影することに決めた。
取材都市をこの2都市に絞る前に、私は北京往復の航空券を取ってしまっていた。
そのため北京上海紹興の往復という長旅を経験することになる。
しかし、この一見無駄ともいえる上海―北京間往復の長旅が、気持ちの切り替えになり、中国を理解する上で多くの気付きを与えてくれたことは、後に感じたことだ。
上海と紹興だけにとどまらず、北京そして鉄道の中から見る様々な都市や田園の風景は、私の中国への想像力を大いに膨らませてくれた。
*1回目は2013年末、フランスのパリとヴィトレでの取材です。
[上海]
上海は中国最大の都市と言われる。
首都でこそないが、その歴史の類まれでドラマチックな変遷と、ダイナミックな都市の構造は、上海の最大の魅力といっても良いだろう。
上海は時代と空間が立体的に交錯した都市だと思う。
そこには多くの国の文化が入り込んでいた歴史と、垢抜けした部分、昔ながらの庶民の暮らしが、明るさ、にぎやかさを伴って共存していた。
 都市の良さとは、人間の様々な状況や状態に対応する器があることだと、私は思っている。そういった意味でも、上海にはそれがあった。
「都市の空気は人を自由にさせる・・・」というイーフートゥアン氏の著書『トポフィリア』の一節があるが、その表現がぴったりな都市といえるのではなかろうか。
そういえば、氏も中国系アメリカ人だった事を思い出す。

  
[紹興]
紹興は江南地方の小さな都市で、水路が市の縦横に走っているのが最大の特徴だ。
ここでは水路と共に生きている人々の昔ながらの暮らしを間近に見ることができた。
市街地では都市生活の部分ももちろんあるが、それは一部にすぎない。
紹興を舞台にした魯迅の短編小説『明日』にも描かれているように、隣近所や1つの集落が親せき同士の様に近い関係が、いまだに残っていると感じた。
どこの家の誰がどうしている、といったことが隣近所に把握されているというのは、個人主義の生活スタイルに慣れてしまった都市生活者からすると、驚くべきことだ。

紹興では水路のごとく、ゆったりとした時間が流れていた。


   

2014/06/01

中国への旅

30May 2014 北京 そして日本へ
約3週間ぶりの北京。
この広大な国の首都としての重みが
北京にはあると、改めて思った。

北京、上海、紹興そしてまた上海、北京と戻ってきた。
3都とも都市の性質がまったく違う。
異なるのだが、朝の行商や露店で売られているもの
食べる物、人の暮らしなど、そう違いがないようにも感じる。

その点をこれから考察する必要があると思う。
今後の課題ができた。