2019/09/10

「ロバート・フランク展―もう一度、写真の話をしないか―」より。


この展示会場に入る前に、わたしはメモ帳と鉛筆をまず用意した。
1992年、ロバート・フランクはジム・ジャームッシュの行ったインタビュ―*の中で、「書くこと」について、こんなことを言っている。
「上手に書けたためしがないんだ。二、三の文章を除いてはね、それは・・・・・書くことは骨折りでね、私に書けるのはまったく個人的な手紙、心の内にある個人的なことを書く場合だけなんだ。(略)
論理的に組み立てることは私にはとてつもない難問なんだ、つまり、骨組みを建てることが。
私の心は自制がきかないから。私の心には筋道がない、直感だけなんだ。論理的じゃない。だからかじ取りをしてくれる人と仕事しなくてはならないんだ。個人的な手紙ならうまく書けるが、それ以外は本当に書きたいと思ったことはない。」
しかしだからこそ、フランクの仕事についてメモをする重要性をわたしは感じていたのだと思う。
年表や重要事項、写真から発せられるメッセージや感触など、書きとめておきたいと強く感じた。
写真とことばの関係に対して、真摯に、正直に、向き合っている作家であり、その関係性や自身の写真について、とてもよく理解していると感じたから・・・・・。

                  ―ロバート・フランクのいくつかの印象的なことばと、出来事―


「アーティストとしてはときに激怒することが必要、
 自分の直感に従い、自分のやり方で撮り、譲歩しない。
 私はいかにも『ライフ』的な物語は作らない。
   
 そういうことは嫌いだし、起承転結のある物語に
 立ち向かいそうではない何かを生み出すために努力する、
 と思うことができた

『ライフ』紙の募った写真コンクールで2位になったときのフランクの言葉より

「陰気な人々と暗い出来事
 穏やかな人々と心安らぐ場所
 そして、人々が触れ合う物事

 それが、私の写真で見せたいこと。」

・1950年フランクはN.Yの11丁目53番地に移り住む。

「市場への無関心と、彼ら自身が成功と捉えることへの献身」
という10丁目の画家たちの精神に深く共感し、かれらと精神的な交流をもち、またポートレートを残した。
 

*1992年9月号の『Switch』特集/ロバート・フランクのために、1992年6月にマンハッタンの南端、バワリー街のジム・ジャームッシュのロフトで行われたもの。


                                                                                                                                Osaka,2018