2018/02/28

ハバナ (30)


地球上の国々がどこへ向かっているのか、という問いに対して考えるとき
キューバは鍵になる国だと思う。

2018/02/27

ハバナ (29)


この国は隣の芝生なのか、それとも本当のユートピアなのか・・・。
そのことは、メキシコシティにいたときから考えていたテーマだった。

旅に持参した大江健三郎の『「雨の木」を聴く女たち』
によるところが大きい。




2018/02/26

ハバナ (28)


この都市の開けっぴろげさはどこから来るのだろうかと
考え着いた先には・・・
彼らが圧倒的にもっているものは「時間」だと思った。

反面、わたしたちは時間を売り渡してしまっている。


2018/02/25

ハバナ (27)


ハバナでは、人の存在感が都市に負けていない。

モノへの崇拝がないからだとおもう。

ここは稀有な都市だ。




2018/02/24

ハバナ (26)


都市の孤独ということばは、ハバナにはあまり合わない。

個人で何かを所有するという感覚が薄く
町はみなのものである、という共通認識のようなものを
すごしていく中、わたしは感じていた。


2018/02/23

ハバナ (25)


キューバには〝からっとした明るさ″という言葉がぴったりくる。
気候は暑く乾燥していて、ひとびとはオープンで裏表がない。

レンズを向けると、ムッとするか、笑うかのどちらかだ。

この反応は、わたしにとってはとてもありがたいことだった。






2018/02/22

ハバナ (24)


「飛び立った跡、溶け込む飛行機雲のイメージ、それは見る者を、コメント、文章を読むものをふわっと今でも浮かせます。」

以前あるひとからもらったことばだ。

20歳のころのわたし、その中にはジャンボジェットくらいのスピードの時間が流れていたのかもしれない。

いまはゆっくりと走っている、そんな感じだ。
飛行機や新幹線の中からでは、外の季節を感じ入ることは
なかなかむつかしい。
もっと時間を掛けてもいいよ、ともうひとりの自分の声が聞こえる。




2018/02/21

ハバナ (23)


隆起して路肩にななめに食い込んだような道路や
風雨にあらわれ続けてきた外壁。

それらは、これまでに体験したこと、過去に映像や写真でみたフウケイにどこかでつながっている。

その回路を思うことーそして記憶のふたをそっとあけてみる。



2018/02/20

ハバナ (22)


このまちの時間は、にぶくゆっくりと流れている。

まるでスローモーションの連続をみているようだ。

それは記憶に痕跡をのこすための儀式の様にもおもわれる。



2018/02/19

ハバナ (21)


キューバは貧しい国と言われるけれど
本当にそうなのだろうか。

まずしさとはなんだろう。
富とはなんだろう。



2018/02/18

ハバナ (20)


芸術において
天使の入る隙間、天使の訪れる場所を空けておくということはなんだろう―
ということを最近考えている。





2018/02/17

ハバナ (19)


すこし東京の下町の路地を思わせるようなところもある。

ここでは肌の色やルーツが違っても、みなで一緒にくらしている。








2018/02/16

ハバナ (18)


この都市はなんだろう・・・?と
ハバナは考えさせてくれない。
その前に人がくる。

ひとのエネルギーや熱量が
街という器からこぼれ出し
そこかしこにただよっている。



2018/02/15

ハバナ (17)


ハバナの若い女性が街を歩く身ごなしは、
あふれ出る強さと、かがやきをまとっている。



2018/02/14

ハバナ (16)


キューバのことをおもうと今でも不思議な気持ちになる。
本当におなじ地球上にいま存在している都市なのだろうか・・・と。
白日夢か映画の中の世界だ、ここは。

キューバの人が東京に来たら、同じことを思うかもしれない。


2018/02/13

ハバナ (15)


ハバナ旧市街のはずれは、およそ観光の雰囲気からは遠く
ひとびとの生活のにおいがする。

都市のなかへ入ってきた、という空気がつよく漂う。


2018/02/12

ハバナ (14)

カラーとモノクロ写真の違いをしばらくの間、考えていた。

ふとリンゴの木があたまにうかぶ。
19歳まですごした実家の敷地の隣と、向かいの2方向はりんご畑だった。
冬季、りんごの実はもちろん、葉のすべてがおちる。
樹はそのごつごつした太い幹や、仁王像の掌のような脈々とした枝は、そのむきだしの姿をさらす。

そぎ落とされ、質感と最低限の要素だけが際立つ。

雪の中にぽつぽつと在るグレイのその立ちすがたは
まさにモノクロの世界だった。

一方、春、葉の青々とした姿にはやがて花が咲き
蝶や虫や鳥もやってくる。
たくさんの生き物が木のまわりで歌っているようだ。
いのちが動いている、時間が流れている。
それがカラーだと思った。



2018/02/11

ハバナ (13)


ハバナではひとがうごめいている。
それは掟破りで、ちぐはぐ、ヒリヒリするようななまなましい感触とでも言えば良いだろうか・・・。




2018/02/10

ハバナ (12)


―ある写真家に捧ぐ―

絵の中と外を行ったり来たり
時間も場所もとびこえる

翼をつけて羽ばたいたり
ときに海底奥底に潜ることも厭わない

その中にいるときも
その前に立つときも
いつもあなたは
本気で追いもとめている

そしてわたしもそうなりたい、と願うようになりました。

2018/02/09

ハバナ (11)


いまではファッションの一部だが、スカートの短さは彼女たちの革命の意思の象徴だった。

かつて女性が権利を奪われそうになったときに
女性たちがスカートを短くして立ち上がった、という出来事があったそうだ。 (カーサ デ アジアで働くフレグラさん談より)


2018/02/08

ハバナ (10)


ここに住むひとびとのあいだに、境界線はない。

2018/02/07

ハバナ (9)


頭では整理できないことでも、こころでは感じられている、
それが写真だ。

ことばはあってもなくてもよいのだが
次に進めるのは、ことばがあるからだと思う。




2018/02/06

ハバナ (8)


ハバナは、わたしに力を抜くことをさせてくれる場所だったようにおもう。
あっけらかんとした空気、途切れることのないおだやかな日常。
だからひとりで力を入れても仕方がないと思えてくる。

そして時に、向こうから明るさやあたたかさをポンと投げてくる。


2018/02/05

ハバナ (7)


都市空間に何か漂うものを見出したとき
それが都市の本質へ向かうときの助けになってくれる、
道みちしるべになってくれるであろう、と思う。


2018/02/04

ハバナ (6)


すべての動物の回遊(旅)は、今いる環境に不都合を感じていることが発端になっていて
動物の旅の衝動は、いやな場所が耐えられず脱出することが原初の形だそうだ。(魚類学者・塚本勝巳氏の談より)

人間の場合もそうなのか、自身に問うてみる。

確かに動物的本能がそうさせている部分は多々あると思う。
しかし、好奇心や社会的興味といった人間に備わった別次元の希求がそれらと複雑に絡み合い、旅への原動力になっているように思う。

そして東京-戻ってくる場所-その存在が、わたしのなかで
否定することも、すんなり受容することもできない位置に、
いつもいるのだ。



2018/02/03

ハバナ (5)


ハバナでの滞在から5ヶ月が経ち、やっとこの都市におこっていることを整理し、何とか呑みこむことができるようになってきた。

それはキューバ社会の仕組みや歴史、気候、産業、人種、文化など今のわたしの環境とはまるで異なる多くの事が一度に押し寄せてきたからだと思う。
スムーズに直ぐにそれを受け入れることができずに、わたしはいくつもの出来事や要素をバラバラに抱えたままの状態で持ち帰り、妙な中途半端で消化不良の心持ちでいたのだった。

ハバナでの撮影のフィルム現像が終わり、プリントをする段階に来た今、ようやく感得しあらたに作り上げる準備が整ってきたのだと思う。

そしてそこからは、実に多くの気付きを与えられている。


2018/02/02

ハバナ (4)


ハバナは亜熱帯性海洋気候で、
自然の植物の圧倒的な伸びやかさ、
そこにひとびとの姿が呼応するように交ざりあっている。


2018/02/01

ハバナ (3)


ハバナの旧市街では、異なる時代の建物がいくつも混在していて修復作業が全然追い付いていないと、カーサ・デ・アジアの館長でディレクターのテレシータ・エルナンデスさんが、石畳の旧市街をゆっくり歩きながら説明して下さった。

そんなことを遠い昔のことのようにわたしは思い出している。

そして瀟洒なコロニアル建築の建物の前を過ぎたとき、ここは妊婦やシングルマザーが相談に来る施設で、費用はすべて無料だとも教えてくれた。
(キューバは医療費も教育費も無料)