2021/01/18

宇波彰さんへ

 宇波彰さんがこの1月6日に亡くなられた。

この方との不思議な出会いと関係性は、印象的と言う他ない。

朗読家の岡安圭子氏から贈られた本『旅に出て世界を考える』(宇波彰著:論創社)の中からTOPOPHILIA(トポフィリアー(場所への愛))という概念を知り、自身の写真集を『TOPOPHILIA』と命名したのだった。

「TOPOPHILIA」という言葉を写真集のタイトルにしても大丈夫か、という(岡安さんの友人ではあるけれど)見ず知らずのわたしからの手紙に対し、宇波さんはすぐにお電話を下さった。「問題はないけれど、本を読んだ方が良いです」というお返事だった。

「本」というのは、イー・フートゥアン著の『TOPOPHILIA』だ。

TOPOPHILIAという概念を提唱した文化人類学者のイー・フートゥアン氏の書いたこの本は、こんな機会がなければわたしにはあまり縁のない類の内容だった。いわゆる、やわらかい学術論文である。

理解が追い付かない部分も時に現れてきたが、読み進めるうちに次第にその内容に引き込まれた。

8年を経た今も、この本のラストに書かれてある行が、ふとわたしの脳裏によぎることがある。

ーひとは、自然豊かな場所で思い切り息を吸い込み、自然と一体となってリラックスする時も必要、その一方で、N,Y近代美術館の一室で、現代美術の作品を前にするような心地良い緊張感のある時の、両方が必要だーと。(イー・フートゥアン氏は中国系アメリカ人)

いま、こころからわたしはそのように思うのだ。

2014年、中国へ撮影旅行に出かける前に宇波さんにお手紙をしたところ、中国は好きで20回以上も行かれたとの旨。そして好きな場所が幾つか記されていて、そのひとつに黄山ー山東省とあった。調べてみるとそこは水墨画のモデルとなるような風光明媚な場所であった。都市をテーマに写真を撮っていたわたしは、いつかそこに行ってみたいなぁと、かなり羨ましく感じたことを覚えている。

仏文学科を卒業されているのに、アメリカ合衆国とフランスが嫌いだとおっしゃったことばも、印象的だった。(文化ではなく、国政として、とのことだと思う。それにはわたしも同感だ)

宇波さんが自宅で行っていらっしゃった、月に1度の講義、そのレジュメをいつも送ってきて下さり、東京造形大学出身の画家の作品についての評論を書かれた際にコピーを送って下さったり、新聞の誌面でのお仕事、面白い版形の、若い人が作っているという自主制作冊子にノーギャラで寄稿したりと、その活動の幅は様々な垣根を悠々と越え、独自のスタンスを貫いていらっしゃったように思う。

宇波さんが亡くなられたと聞いてもあまりピンと来ないのは、既に昔から宇波さんのことばや魂が、わたしのこころに住んでいるからなのだと思う。

2019年にネパールからお葉書したのを最後に、宇波さんとの文通は途絶えた。というのも、ネパールという国は、首都の中央郵便局から出した手紙さえ届かない、それも仕方のない国なのだ。

それならばわたしから再度お手紙すれば良かったのだとも思うのだが、わたしはもう十分満足してしまったのだ。

2018年の7月、台東区の櫻木画廊でのわたしの写真展の中、岡安圭子さんによる朗読会(「リルケを読む」)が行われた。宇波彰さんも若き日に熱中したとおっしゃっていたライナー=マリア=リルケのことば、ハバナのモノクローム写真に囲まれた空間、そこに宇波さんも居られた。

そのときー岡安さんがリルケに、彼女自身の魂が入っていったような感じに、わたしは襲われた、あの時あの場所で・・・・・。


宇波さんとの会話を、わたしはこれからも続けていく。