2018/08/12

ステイトメント/都市の距爪—ハバナ—


 「都市の距爪-ハバナ-」のために

                        由良環                


 

 

                                    
キューバの首都、ハバナのホセ・マルティ国際空港に降り立ったのは2017817日だった。
市街地に着いたのは午後7時近かっただろうか。
激しいスコールの後、涙を流しているような街の光景を
見た。
水たまりからは蒸気がたちのぼり、それは建物をキラキラと輝かせ、暗くなりかけた雨上りのストリートをそぞろ歩く人々の姿は実に幻想的で、わたしの脳裏に鮮明に焼き付いている。
前の2週間ほど、同じテーマでの撮影をするためにメキシコシティに滞在していたのだが、ストリートで撮影することが予想以上に困難で、量、質ともに十分な撮影ができなかったという悶々とした思いを、わたしはひどく持て余していた。
(しかしそのことがハバナでの撮影の助走となり、加速させたということに、ずっと後になって気がついたのだった)

 ハバナの街に、恐らくこれまで訪れたどの都市にも感じたことのないオーラのようなものをわたしは読み取った。
ここでは人種もルーツも異なる人々が一緒に暮らしている。
(移民や奴隷など人々のルーツは多様であるが、キューバは世界で唯一人種差別のない国と言われている)
それは人々のしなやかな身体から発せられる独特の高揚感や躍動感から端を発し、人のエネルギーが都市という器からはみ出して街中に溢れだしている、というイメージだった。
その姿はシンプルで飾り気がなく、人間のもつ原初のエネルギーがほとばしる在りように、わたしは打たれた。


また、キューバでは個人がものを所有するという感覚が極めて薄く、そのため街も道も皆のものであり(中国でもそうであるように)路地を居間のように捉えてくつろいで過ごしているひとびとの姿を多く目にした。
家の前で近所の子供たちが玉蹴りなどをして思い切り遊んでいる、そのようすを多くの大人たちが石段や壁際で思い思いの姿勢で穏やかに眺めているといった風景は、日常的に目に入ってきた。
彼らの内と外の差がきわめて少ない、隠し事のないあからさまであっけらかんとした生活スタイルは、わたしがこの都市を理解することの大きな助けになっていた。


 日が経つにつれて、キューバの国とハバナの都市が抱える経済的な矛盾や格差について、わたしは徐々に気になり始める。
これまでわたしはいくつかの国に滞在して撮影を行ってきたが、その都市での庶民的な水準の生活をするということを自らに課していた。
それは、街やそこに暮らす人々と同化したいと願ってのことなのだが、ハバナでは土台無理な話であった。
キューバでは外国人旅行者が使う兌換ペソ(CUC)とキューバ人の使う人民ペソ(CUP)2種類の通貨が存在し、1CUC26.5CUPという法外な格差を示していた。
しかし民泊や個人タクシーの運営で、外国人観光客を相手に富を増やしていく人々が一部に存在し、市民の間に徐々に経済格差が広がっていくことは誰の目にも明らかだった。その先の、格差による社会の歪みのようなものがどうしても懸念されたからだ。
そういった自分の力ではどうすることもできないキューバ社会の格差や矛盾に対する苛立ちや悲しさのようなものが、日々わたしの中に募っていった。



ハバナでの最初の4日間は旧市街を撮り歩いていたのだが、
5日目にふと新市街へ行ってみようと思い立つ。
そこは地元の人々が働き、生活をする、およそ観光地とは程遠い市街地や住宅街が続いていた。
ここでわたしは、ハバナの街独特のにぶい時間の流れというものを初めて体感した。
街の時間に呼吸を合わせ、街から発せられるものを受け止めるようにしてそれに向き合い、ゆっくりと撮った。
潮の匂いの風を受け、太陽に焼かれ、記憶に痕跡を残すように風景を身体と感覚に焼き付けるように・・・・・。
そして新市街で過ごした時間の中で、新たなハバナ像というものがわたしの中に芽生えてくるような感覚をおぼえたのだ。



メキシコシティを経てハバナへの旅の約1ヶ月間、繰り返し読んでいた大江健三郎氏の『「雨の木」を聴く女たち』がある。
小説の舞台はメキシコ、日本、ハワイなどで、それは複雑に物語が絡み合った連作小説集なのだが「世界はどこに行ってしまうのだろうか?」という大江氏の立てた強い問いを、旅の間中わたしはヒリヒリと感じていた。
そして「世界の終り」とか「死と再生」というこの本の核心であろうと思われるメッセージに対するひとつの返答を、この国でみたような感覚をわたしは後に持つことになる。


人と人とが関係し合い、ともに生きていくこと。
―都市の中で根をおろした人間のあるべき姿―を、わたしはハバナで見出だすことができたように思う。

そしてそれは写真活動を通して立ち上がってきた、きわめて個人的な感覚によるものである。