2017/01/31

羽田 (85)


表現することに於いて、
脈略ある部分と説明がつかない領域のどちらも
私は大切だと思う。
そして後者がどれだけ魅力的かで
その芸術家の真価は問われるのだろう。




2017/01/30

羽田 (84)


写真とは何だろうか?

時空、時代性、人間の在りようなど
画面に写っていること以外にも
実に多くの考察を含んでいることを考えると
私がもし写真家でなかったとしても
一目置くべきメディウムである。




2017/01/29

羽田 (83)


人は何を思い日々生きているのだろうか。
そしてどんな時、生きる力が湧いてくるのだろうか。

私の錯綜した思いは宙を舞い、羽田の空や水や草むらに点在しているように見える。




2017/01/28

羽田 (82)


都市でもなければ自然でもない
いくつもの要素を含んだ複雑さに惹かれ
私はここに通っているのだと思う。



2017/01/27

羽田 (81)


羽田を撮り始めてから2年余り、
気が付いたら羽田と私の心の距離は、相当近いものになっていた。

写真を撮り作品を組み立てていく過程で、ただの風景が意味を持ち始める。
羽田の存在が、自分の歴史に組み込まれていくような感覚を憶えている。

それは
羽田空港周辺のような名もない場所だとしても、同じことなのだなぁと・・・。




2017/01/26

羽田 (80)


「映画はどんな内容の映画でも、内へと向かい
写真はどんな表現でも、外へと向かう特性がある」と・・・。

これは学生時代、映像表現の講師が言っていた言葉である。

かなりざっくりとした概念ではあるが、当時良く理解できたことを覚えている。

映画表現にも少なからず興味のあった私だが
この言葉で「私は写真だな・・・」と直感した。




2017/01/25

羽田 (79)


アンリ・ベルクソンは
人が生きること(生の持続)と、映像の本質の関係性に鋭く言及し持論を展開しているのだが

私が写真をやっていること、そしてなぜ自分が写真を選んだのか、ということを
こんな形で説得力を持って紐解かれていくことは、驚きである。





2017/01/24

羽田 (78)


私はつい“快”を感じる「撮る」方にばかり重きを置いていたけれど、それではいけないと気が付き始める。

写真家はただ写真を撮るだけのマシーンではダメだと思う。
それを吟味して、選んで、意味を考えて、言語化して・・・
というかなりしんどい作業が必要になってくる。

それに少しづつ慣れてくると
すべての写真の見え方が俄然違ってくる。


2017/01/23

羽田 (77)


この場所を拠り所としている人々が一目で見渡せる場所がある。

昔ながらの小さな船で漁に出る漁船、ただぼんやりと海を眺める人々、野良猫に餌を運んでくる人
それから釣り人たち。

それらはあまりに自然で
まるで彼らの毎日の日課のようでもある。

そして自分のような観点でここに思いを寄せている人間も、いる。


2017/01/22

羽田 (76)


ここは単なる河口ではなく
不思議な土地の力や人の“気”が宿っているようだ。

そして私が感じようとしているのは、都市の“気”だ。



2017/01/21

羽田 (75)


羽田の多摩川河岸工事が進む様子が視界に入ってくると
時代の流れを感じずにはいられない。

場所の様子が変化してもしなくても
羽田を撮る意味は私にはある。

だが東京湾沿岸のここ2,3年の変化は
かなり急激なものになるだろう。




2017/01/01

羽田 (74)

2017
謹賀新年