2014/05/31

中国への旅

29May2014 上海から北京へ
動車組(中国の新幹線)で上海から北京へ。

時速300キロで走る高速鉄道は
中国の雄大な大地の光景の中を
駆け抜けていく。





中国への旅

28 May 2014 紹興から上海へ
紹興は今日も快晴、暑くなりそうだ。
最後に一度、紹興城内(市内)の水路のある
お気に入りの場所へ行ってみる。
やはりいつ見ても心にひびく風景だ。
この暮らしと風景を守ってきた人々への
感謝の気持ちがわいてくる。
そしてこれからも変わらないでいてほしいと願った。

午後、上海へ向かう。


中国への旅

27 May 2014 紹興
昨日に続き、市街地(紹興城内)北部の
水路の入り組んだ東湖鎮(東湖村)を回る。
この辺りは近くに大きな病院や
バスターミナルがあり交通の要だ。
市場や村には活気がある。







中国への旅

26 May 2014 紹興
紹興市の地図を開いてみると
市街地北部から郊外に向けた一帯が
湿地と陸地の面積がほぼ半々になっているのがわかる。
陸地の中に水路が入り込んでいるのか
湿地の中に陸地が点在しているのか
地図上では判断が難しい。
どんな暮らしがあるのか見てみたくなり行ってみる。
水路を利用した農業、
漁業そして畑作、工場、村などがあった。





2014/05/25

中国への旅

25 May 2014 紹興
―東浦鎮へ―
東浦鎮(東浦村)は紹興市北西部
市の中心部からバスで20分程の所に位置するのどかな集落だ。
水路は村の中を縦横に巡り
人々の生活と自然に溶け合っている。




中国への旅

24 May 2014 紹興
紹興市街地から東へ10キロ程の集落。
朝市が開かれていた。
中国の一人っ子政策は?と思うほど
子供がたくさんいて活気がある。
水路と鴨と子供の村だ。



中国への旅

23 May 2014 紹興
―古鎮安昌―
紹興からバスに揺られることおよそ1時間。
安昌古鎮には屋根付きの水路沿いの歩道が約1キロ続き
両脇の古い家屋と水路の景観は壮観だ。
雨の多い気候がこのような建築様式を作った。






中国への旅

22 May 2014 紹興
紹興の市内バスに初めて乗ってみる。
町はずれの適当な場所で下車。
地元の人しか歩かない集落の
路地裏をそっと歩いてみる。
紹興に限らず、中国の人は自宅の前の通りで
野菜を刻んだり、食事したり、くつろいだり、
おしゃべりしたり。夕方になれば
子供が宿題をする姿も見かける。
どうやら路上をリビングの延長として捉えている節がある。





中国への旅

21 May 2014 紹興
―水路の街―
水路が網の目のように張り巡らされた
紹興では、朝昼晩と洗い物を水路でしている
光景に出会う。
朝、瓦屋根の葺き替えや行商そして洗濯。
働き者の人の姿を多く目にする。



中国への旅

20 May 2014 紹興
この旅のもうひとつの目的地、浙江省紹興市へ。
夕方宿に到着し、日没までの少しの時間
近所を散策する。
白い壁と黒い瓦の街は、
何百年前に造られたのだろうか。
威厳と歴史が感じられる。
しかし長年風雨にさらされた結果
変色した白塗りの壁や塀、
湾曲して丸みを帯び、崩れかけた屋根瓦は
とても哀愁をさそう。






2014/05/20

中国への旅

19 May 2014 上海最終日
今日で上海とはお別れ。
明日は浙江省・紹興へ向かう。
今の心境は早く紹興を見てみたいのと、
上海を離れるさみしさの気持ちの半々だ。
撮影に関しては上海の人はとても寛大だった。
大きなカメラ*でバシバシ撮っていても
文句を言われたことはほぼゼロに等しい。
様々な顔を見せてくれた
上海の街と人に感謝しつつ―上海サヨナラ―

*6×7のモノクロフィルムで撮影。
このブログの写真はスマートフォンで撮影。






中国への旅

18 May 2014 上海
日曜の朝、
ふだんよりのんびりした様子の人々が
遅い朝食を買いに商店街に集まってくる。

私も毎朝「鮮肉大包」と「青菜包」と書いた紙を
お店の女性に見せて買っていたが*、3日目から
私の顔を見るとその2つ(肉まんと野菜まん)を
手渡してくるようになった。
それがとてもうれしい。

*中国語の発音はとても難しく
書いて見せた方がずっとすんなり通る事が
多々あります。






中国への旅

17 May 2014 上海
―近所―
私の宿のある界隈は
小さな商店街と住宅がひしめきあう
ローカル色の強い下町だ。
加え、もともとフランス租界だったため
欧米人のたむろすバー・ストリートがある。
そこで飲む珈琲1杯の値段で、
安食堂でおなかいっぱい食事ができてしまうから、とても不思議な気分になる。





中国への旅

16 May 2014 上海
―竹の足場―
中国では本当に竹で足場を作っているか
見てきてほしいとある人から言われていた。
竹の足場が壊れて人が亡くなったニュースが
日本で報道されたからだ。

実際に上海で、竹の足場は数多く見かけた。
竹と竹の接点は太い針金でぐるぐる巻きにされ
かなり頑丈に作られているように見える。
日本では考えにくいが、ここは竹の国。
軽く丈夫な竹は足場には最適と考えるのは
理に叶っていると思える。




中国への旅

15 May 2014 上海
虹口エリアは上海市北部に位置し、
19世紀後半日本の租界地として大きく栄えた。
また魯迅*が晩年過ごした家や内山書店跡などもある。
人々の生活の場は道端にまで広がり、
朝は市場、夕方からは男たちのマージャン遊びの場へとガラリと変わる様子が面白い。

*魯迅
中国近代文学の創始者。
日本で医学を学び医師を目指すが
真に人民を救うのは精神性の改革が急務と考え、
文学の道を選択。
その後55歳で亡くなるまで、
常に終始論争の修羅場に身をさらし続けた。







中国への旅

14 May 2014 上海
進化し続ける開発区、浦東エリアへ。
西新宿でもなくN.Yでもない上海の高層ビル群。
1990年から浦東開発プロジェクトが始まり
まだ24年しか経っていないとは信じがたい。



2014/05/14

中国への旅

13 May 2014 上海
この辺りはかつてフランスの租界地*として
形成された住宅街だ。
およそ80年前にフランス人建築家によって設計され
その後時代が移り変わる中で、中国人の著名な翻訳家も住んだことがあるという家。

*居留地
19世紀後半から20世紀前半にかけて
上海には日本を含む列強(最大時は8ヶ国)の
居留地が発展した。




中国への旅

12 May 2014 上海
外灘(通称バンド)から見た浦東エリアと
黄浦江の眺め。
朝、幻想的に浮かび上がる浦東エリアは
上海市が最も力を入れる開発区だ。
長江(揚子江)から枝分かれした黄浦江には
貨物船がひっきりなしに往来する。
河幅500メートルもの広大さだが、
隣を流れる長江の河口付近の
河幅の1/40にも及ばない。



中国への旅

11 May 2014 上海
第二次大戦前は、アジアで最も魅力的かつ
危険な魔都として名をはせていた』と
ある本の記述にあった上海。
現在はー外国と自国の文化、風俗が共存する
自由な空気のメトロポリタンシティ
というのが私の上海の第一印象だ。



2014/05/11

中国への旅

10 May 2014
初めての街、上海へ。
海が近く緯度が低いためか
開放的な空気が漂っている。
やさしい雨が地面を濡らしていた。