2018/12/13

西成にて

大阪市、西成区に居を構えていた2.3週間のあいだ、ずっと一人だったが、常にまわりに人が居る気配があった。
人が居る、というのは単に物理的な状況を意味する訳ではない。

わたしがお世話になった〝ココルーム″は、詩人の上田假奈代さんが代表を務める、NPO法人
「こえとことばとこころの部屋」の運営する、広い庭とカフェのあるゲストハウスだ。

ココルームでの滞在は、わたしにとって安全で、こころ温まる、鳥の巣のようなイメージだった。
実際にここでは鳥を飼っていて、インコとオウムの中間くらいの大きさだったので「太っちょインコ」と勝手にわたしは命名していたが、ピーちゃんと呼んでいる、ココルームによく遊びに来るお父さんがいたから、その子はピーちゃんという名前なのかもしれないし、そのお父さんも勝手にそう呼んでいただけなのかもしれない。


西成区に居ると、時間軸がいわゆる“世間”とは異なっていることに気が付く。
早朝から銭湯はやっていて、喫茶店(モーニングは300円~500円)も早くから開いている。
午前6時、7時位にいつも盛況なスナックのような飲み屋の前をわたしは毎朝横目で見て、通り過ぎる。
かなりの安価で作りたての総菜を売る店も7時前にはいつも開いていた。
三角公園に行く途中の煙草屋さんは日の出と共に開いて、店先に座っている店主(おじさんかおばさんのどちらか)の姿を確認すると、なぜかわたしはほっとした。
ここの人を早朝から見守っているんだ・・・そんな感じを受けたからだ。

夕方、大阪市西成区の動物園前一番街のアーケードの通りはそれなりに活気づく。
入り口のガラス戸がガタガタで閉じないような古い建物に入っている、カウンターだけの趣ある飲み屋を何軒か通り過ぎながら、わたしが男性ならふらっと入ってしまっただろうと、通る度いつも同じことを思った。


昨年キューバを旅したとき、新しく建てられたばかりの五ツ星の白いホテルを見上げながら思った。
このホテルのバルコニ一で、キューバ人の月給の一ヶ月分(3,000円程)の豪華な食事をひとりで食べるのと、
ハエを手で払いながら皆で食べる、決して美味しいとは言えないけれど温かい食事のどちらを選ぶかと考えたとき、すぐにわたしの答えは後者だと思った。(ハエを払いながら食事をすることはこの国では一般的)
そんな問いを常に突き付けてくるハバナ―という都市がわたしの中に脈々と生きている。
キューバでのことは、あれからずっと続いているのだ。




相対的にしか都市を見ることができないわたしが考えたことは、大阪を撮るに当たり西成区に拠点を置こう思った。
ここで写真を撮ることは、倫理的、治安的にも、最も困難だと思われたからだ。

毎朝わたしは西成の太子や萩之茶屋の三角公園、あいりん地区職業安定所などに向かった。
大概の人にじっと見られることにも、少しづつ慣れていった。
写真はほとんど撮れないのだが、そこから大阪市内の別の場所へ移動し一日歩き、夕方また西成区・太子に戻ってくる―そんな生活を変わらず続けていた。

そういったことから、写真を撮るという目的がなければこの町に滞在するということはなかっただろう。
自分が見たいもの、撮りたいものを捜していく途中、西成区に立ち止った、という感覚だ。
逆に言えば、写真がきっかけで、大阪市・西成区に少しの期間、居ることができたのだと思っている。

「1,000円しか所持金がないおじちゃんが、自分にご馳走してくれようとした」
西成に滞在した旅の人のブログに記されていた言葉だ。

そんなことが決して不思議ではない感じが、確かにこの町にはあると思う。

わたしはこの旅で、この町をただ歩いただけなのだと思う。
そっと触れるようにして。
それだけでも、刺さるような感覚や、ずしりとこころが重くなるような時もあった。
人のやさしいことばや、明るさに触れることも多かった。
その体験で十分だと、今思っている。

























2018/11/29

大阪のアーケード・考

大阪をはじめとして関西圏にはアーケードのある屋根付き商店街がとても多いように思う。
雨風をしのぐとともに、夏の強い光からも、ひとびとを守ってくれる。
わたしの小学生の頃の尼崎の思い出も、アーケードのある生き生きとした商店街の風景が真っ先にうかぶ。
そこは人やものがあふれ、ことばや活気が飛び交う場所で、おおよそ地元の長野では見られない光景に、幼いながらも心が踊った。

今年の夏、下見に訪れた8月初旬の大阪は、目も眩むような暑さ・・・息ができないほどの、と言った表現が適当だと思う。そんな大阪の市街地でスナップ写真を撮ろうなんて呆れられるような行為だが、アーケードの存在がとてもありがたかった。
直射日光は避けられるし、ファサードはとても高いので、それほど暗くはない。
写真を撮るにはやや暗いのだが、歩いて空気を感じるには適している。
大阪市内の商店街が赤く記されている地図がある。この夏の8月8日に、規模が大きそうなものを5箇所を選び1日で回ったのだが、その殆どはアーケードのある商店街だった。

半分くらいシャッターが閉まっているところもあれば、賑やかで活気づいているところもあった。

「大阪は商人の町」という言葉はあまりにも有名だが、その言葉の本意をこの旅で初めて知ったように思う。
大阪で飲食店に入り食事などをしていると、お店の人のその対応の良さに、他所から来たひとは最初は驚くかもしれない。
某駅前の不味い蕎麦屋でも、会計を済ませると「ありがとう」や「おおきに」をおばちゃんから10回以上言われ、500円の蕎麦を食べただけでそこまで言われると、蕎麦が美味しくなかったという印象もまるで変わってくる。
下町、九条のカレー屋では、ライスの量を尋ねられ、解説してくれ、最初はこれを食べてね、とメニュー選びもアドヴァイス。食後のコーヒーにミルクを入れすぎてその事を指摘されたりと、最初から最後までおばちゃんとの会話が途切れなかった。余計なお世話とも言えるのだけど、サービスで緑茶やおかきを出してくれたりと、お店に来ているのか人の家にお邪魔しているのかわからなくなってくる。
このおばちゃんのことは「面白い店だな、今度来た時は注意されないようにしよう」と思った。

通天閣商店街は、串揚げや鉄板焼、海鮮を食べさせる飲食店の激戦区だが、呼び込みのお兄さんたちの振る舞いはさすがである。セリフなんかは東京とそう変わりはないのだが、間が良いというか、タイミングが良いというか、呼び込みの仕事の肝をちゃんと心得ていると感心した。思わず付いていってしまいそうな気持ちに一瞬、なる。

毎日外食していた大阪での何週間か、たまたまかもしれないが店の人の態度が良くないお店というのは、なかった。

そして「商人の町」という本当の謂われるところは、品物を売り付けたり売り上げに躍起になることではなく、客が不快にならないようにすることなのだということに、わたしは薄々気がついてきた。
お客さんが不快にならないー雨の日でも日差しの強い日でも、いつもと変わらず気持ちよく過ごしてもらい、気が向けば買い物をしてもらうーそれがアーケードという発想に繋がっているのではないだろうか。

ー都市はひとである、ひとは都市であるーということばが、この町ではストンと実感として落ちてくるのだった。





 











2018/11/26

大阪は水路の街

大阪市の市街地西側はかつて海だったことから、海や川や水辺を思わせる地名が多い。
わたしが歩いた地域や場所に限っても
 阿波座、立売堀、西長堀、難波、剣橋、汐見橋、南堀江、北津守、桜川、心斎橋、道頓堀、土佐堀、鰻谷、天満橋、あみだ池、どふ池ストリートなど。
ユニークで好奇心を刺激するような名前が連なる。
そして橋の名前がつく駅が非常に多いことに気がつく。

幅の狭い川を都市計画のために完全に埋め立ててしまっていない大阪では、街の中心部にも川が流れ、橋が架かる。

市街地中心部の北側は、大川(旧淀川)から流れ込んだ川が中之島によって二手に別れ、堂島川、土佐堀川となる。
やがてひとつに合流した川はすぐに別方向へと行く先を変え、安治川、木津川へと名前を変える。
そこでの合流地点は、まるで水上のジャンクションといったところ、壮観である。

中之島の両岸は川岸に風景を楽しむための街並みが、少しパリのセーヌ川を思わせる。

橋を渡るためにゆるいアップダウンが絶えず出現し、風景が開けていく大阪市の街は、都市の余白といえるような空間がちりばめられている。
橋によって作られる空間ー橋の上や下、階段や川沿いの細い路や坂道など、たくさんの仕掛けがひとびとに働きかけている、そんな風にこの町をわたしは理解した。

小池昌代の『幼年、水の町』を読んだ。
江戸、深川で育った筆者が、そこの水辺の風景と幼年期を重ね合わせるように書いている。
水のようにさらさらと書かれたこの人の文を読み、江東区にわたしが住んでいた頃を思い出す。
親水公園や小名木川、荒川土手に西大島のクローバー橋と、思いでの舞台は事欠かない。

大阪は、東京よりも街路樹や植栽があまり多くない。
けれど、水路が街の縦横に走っている、それが大阪の人にとって親しむべき自然なのかも知れないな、と思った。


















2018/11/22

大阪での記憶、を辿って。

「大阪のおばちゃん」と呼んでいた人がいる。
小学生のころの春休みの長い休みには、毎年のように尼崎の「大阪のおばちゃん」宅に姉妹3人で預けられていた。
彼女は父の叔母で、独身で一人暮らしで、子供好き、5部屋ある一軒家に住んでいたので、わたしたちが泊まっても、どうってことはなかった。
「大阪のおばちゃん」には、よく旅行に連れて行ってもらった。
京都、奈良、兵庫、岡山などのお寺や歴史的な場所や、風光明媚な自然の美しい場所が多く、子供ながらに、楽しいとかつまらないという感情は特に生まれなかった。
ただただ、何か経験が積み重なっていく時間ーたとえば砂時計が静かに落ちていくだけのようなーそんな日々だった。

その「大阪のおばちゃん」とわたしたちが、あるお寺に出掛けた時、たまたま有名な写真家が寺の撮影をしていたそうだ。
わたしがその写真家の仕事の様子をずっと見ていたと
わたしが写真を志して随分経った頃、手紙で知らせてくれたことがあった。
それは一体誰だったのだろう?と今となっては聞く人はいない。人からの手紙は全部取ってあるわたしは、膨大な中からその手紙を探し出せばその名前は判明するのだろう。
おそらく土門拳か入江泰吉だろうと予想するけれど、幼年のころの記憶はあまりにもさりげなくたよりない。まるで野に咲く細い一輪の花のようである。

先日、入江泰吉記念奈良市立写真美術館に初めて行った。
良いところだった。
美術館に行くまでの道程、土に藁を混ぜて練り、積み重ねられた土塀を数多く目にした。
それは有機的で、膨らんだりうねりが現れ、長い長い年月を感じさせた。
崩れそうになっていても直す様子はなく、近隣のひとびとの太古への尊厳と親しみが感じられた。
静かで悠久を感じさせる場所、こんなところを通って観る写真は、どんなふうに人のこころに吸い込まれていくのだろうか?と思いながら、
入江泰吉の常設展と、野村恵子×古賀絵里子の企画展示をゆっくり観ることができた。










2018/11/16

大阪 その境界線で

毎夕行く店に、建築家、隈研吾の『僕の場所』という本があったので、読んでみた。
その中に「境界人」について触れられている箇所がある。

隈研吾は大学入学直後、折原浩氏にマックス・ウェーバーの「境界人」という概念について教わる。
それによると、
ー誰でも境界人になれるわけではない。境界を境界であると認識するためには両側を移動しなくてはならない。
言いかえればどんな場所も何らかの意味で境界であるー
マックス・ウェーバーは都会と田舎を例にしているようだが、大阪の西成区は、まさに境界線がはっきりと存在している、そんな場所だ。

大阪の地形は南北に高台が短冊状に広がり、大阪城はその高台の縁に、見渡すように建てられている。そして高台の南側には昔ながらの寺町がひしめいている。
一方、短冊の西側は谷になっている。(かつては海だった)
地下鉄「谷町線」は、大阪城の西側の麓を南北に走る線だ。
大阪の人にとっては生まれたときから当たり前のようにある坂や谷なのだろうが、わたしから見るとその高低差を利用して街ができていることが実感できる。
特に顕著なのが、阿倍野区と西成区の境だ。
*あべのハルカスという2014年に完成した日本でもっとも高いビルディングが、阿倍野区の天王寺駅前にある。

一方、飛田新地(飛田遊郭)は、あべのハルカスと1キロと離れていない距離にある。
飛田新地と境界が混ざるようにして、釜ケ崎と呼ばれる日雇い労働者の集まる街があり、わたしはそこにある宿で寝泊まりしている。(釜ケ崎は、現在では安宿を目当てに海外からの旅行客が多い)

飛田新地のある西成区と、あべのハルカスのある阿倍野区の境界線は見事である。
あべのハルカスから坂を下っていくと、高層マンションが立ち並び、大学病院もあるのだが、急激に落ちるようになっている地形に出会う。
そこから向こうは飛田新地である。黒いくすんだ屋根瓦の木造長屋の2階が、足元より低い位置に広がっている。
そして、そこには越えてはいけないと思わせる心理的な線がはっきりと存在する。
阿倍野区に住む子供は、あの階段を絶対に下りてはいけないと幼い頃から教えられると書かれたものを読んだ。

だいぶ大阪の街に慣れてきたわたしでも、
この街のコントラストは「すごいな。。。」と歩く度に思う。

そして毎日のように境界を越えて行ったり来たりしている。

*あべのハルカス
あべのハルカスは、阿倍野区に建ち、
「晴るかす」ー心を晴れ晴れとさせる、という意味で命名された。















2018/11/11

大阪 梅田




いつもなら絶対に貰わない興味のないチラシを受け取ったり、東京での生活では手放せないウォークマンは、こちらに来てからまだ一度も使っていない。
そして今日は梅田で、路上ライヴに思わず聞き入ってしまった。
若い男の子が昔の歌謡曲を歌っていた。
のびやかで、風が通るような少し切ない歌。
どこかで聞いた曲だなぁと考えていたら、後に「夏の終わりのハーモニー」だと思い出した。

働く人や歩いている人を見たり、喫茶店で隣のテーブルの人の会話を聞いたり観察していると、だんだん大阪弁が喋りたくなってウズウズしてくる。
声には出さず、言いたいことを頭の中で大阪弁で言ってみる。大体言える、O.Kだ。

父方の親戚がすべて関西に居たので、小さい頃から預けられたりして、関西にはよく行った。
だから関西弁は記憶に染み付いている。
わたしが大阪弁を使う機会が訪れることはないと思うが、人との関係性のために生まれたような、そして歌を歌っているようなこの言語は、こちらの思考さえも変えてくるような気がしている。





2018/11/10

大阪 なみはや大橋にて


ひとつきほど前に読んだ柴崎友香の『ここで、ここで』の中に「なみはや大橋」という橋が登場する。
(なみはや大橋ー大阪市の大正区と港区を結ぶ尻無川に架かる橋。全長1,790メートル、水面上高さ45メートル。
幅100メートルの航路を通すため橋の両端は急勾配になっている)

小説の中で、主人公が「なみはや大橋」を登っていく。
途中、あまりの高さになっていることに気がつき、急に恐怖心が芽生え、怯えで腰が立たなくなり、そこにヘタヘタと座り込んでしまった、という件がある。

それを読んでどんな橋なのか興味がわき、登ってみたいと思った。

快晴の今日、大正駅前からバスで鶴橋4丁目の終点を目指す。
バス停から少し歩き、IKEAの駐車場近くから「なみはや大橋」へ登頂を開始した。
最初からかなりの上り坂、ちょうどトップの高さに差し掛かる辺りは、橋が海側へ弧のようにカーブを描いていて、特に見晴らしが良い。
真下を覗くと、尻無川が内海へ注ぎ込むところの分岐点で、両岸には工場の屋根や歩いている人の姿まで、豆粒のようではあるがくっきりと見えた。
光が当たるとビリジアンに見える水面に、一瞬体が吸い込まれそうな錯覚をおぼえる。

しかし、腰が立たなくなるというようなことには残念ながらならなかった。

大阪市の全貌を海側から臨むロケーションになっている橋の上から、この街を眺める。
高層ビルが樹のように林立しているけれど、程よく隙間があって、エネルギーが東京のように集中しすぎてはいない。
山の存在も、都市が無限に広がっていくことを食い止めているのだろう。

ふだんの大阪の街をこうして歩いていると、
オリンピックをはじめ、プレッシャーに晒され続けている東京に比べ、はるかに肩の力が抜けている。
歩きタバコがそれほど厳重に取り締まりがされていない大阪では、まだそれは当たり前。
少し前の東京もそうだったよな、と振り返るが、何年前のことだったかまったく思い出せない。

























2018/11/09

大阪 西成で、


西成区に宿を構えているわたしは、撮影に出掛ける朝、かならずこのあたりをぐるっと歩くことを日課にしている。
写真が撮れても撮れなくても。

今日が雨だということは前からわかっていた。
午後3時頃まで雨が降り続く予報だったが、ほとんど降っていないような細かな雨だったり、ときおり雲間から太陽が顔を出すこともあり昨夜からの雨が深く染み込んだアスファルトは黒い光を反射させ、輝いていた。
わたしの前を、修道女の方が歩いていく。
三角公園から何メートルかの所に、小さく質素な平屋の教会があった。
道にたむろしているお父さんのひとりがシスターに向かって「おはようございます」と声を掛ける。
商店街で働く人も「この間はありがとうございました」などと挨拶をしている。
わたしまでほっとした気持ちになった。

ここでわたしは何を撮ろうとしているのだろう?
と考えたとき、ひとつは今朝のようなことなんだろうと思っている。

残りの大部分のことは写真だけが知っていて、そしてまだ闇に潜んで沈黙を守っている。













2018/11/08

大阪

木漏れ日の間からのすこし強い光線を浴びて、空を、空気を、樹の影を感じていた。
目の前を川が流れている、速くはない。
確実に、寄って集まってくる、まるで束のように。
みなもに、この街の時間の流れを見ていた。

街に対して正面切ってぶつかるような取り組み方をしていた頃が懐かしい。

今は、溶けることができなくても、せいぜい水滴のようになって見たいものに張り付いていたいー
変化の振動を聞きながら中之島の芝生に座っていた。





大阪

大阪市の市街中心部、大阪環状線の内側は、碁盤の目状に南北、東西に道路が作られている。
そして南北を走るのは○○筋、東西を走るのは△△通りと呼ばれ、ひとつの筋は大体4キロ前後で、慣れてしまうとたいへん歩きやすい街である。そして内海へ注ぐ大小の川が、河口に向けてますます本数を増やし、それらを渡すための橋や渡船があって、それがとても個性的なのが大阪だと、そんなふうにわたしは感じた。
徒歩や自転車のための通勤、通学用に、無料の渡船が住之江区、西成区、大正区、港区、此花区には幾つもみられる。
小説や映画の舞台になりそうな風景が、大阪にはたくさんあった。





2018/11/07

大阪

大阪で写真を撮ろうと思う動機は幾つかあったのだが、気持ちがはっきりとしていなかった。
今年の8月に下見に訪れたとき、大阪環状線の内回りに乗った。
大阪を発車し、福島、野田、西九条、弁天へと続き大正駅に差し掛かったときの、車窓からの風景によって
大阪を撮りたいという気持ちが決定づけられてしまったと言っても過言ではない。
そこは、尻無川が大阪湾へ流れ込む河口の2,3キロ手前で、まだ川幅もそれほど広くなく、水面はおとなしかった。
川沿いには古い船着き場と小さな工場が立ち並び、年季の入った堤防の外側には川よりもはるかに低い位置に、ほこりを被ったような瓦屋根の町が沈みこむように潜んでいるのが見えた。
戦後もしかしたら戦前から変わっていないのでは?と思えるほどの時が止まった川沿いの町が、そこにあった。
この風景がいきなりわたしの前に現れて、方向付けてしまったのだった。






2018/11/05

何でもない・ぼんやりとした


何年か前、オーダーメイドの鞄をつくる職人さんの話を聞いた。

それは、注文を受けてから納品は一年掛かるということ。

そのあいだ、職人はそのひとのことを考え、素材を選び、デザインをし、手作業で制作をする。

まさに世界にひとつの、作品のような鞄だ。

代金のことはよく分からないが、何て贅沢なことなのだろう、と思った。

しかしわたしの胸に響いたのは、出来上がった鞄そのものに対してではなく
職人さんが留めていた時間のことだった。

その、ずっと考えている―という状態は、何かが降りてくるのを焦らずに、ふさわしい時期が来るのを待っている・・・・・とてつもなく豊かな時間だ。

わたしもそんな仕事がしたい、と心底願うのだ。






2018/10/18

HP不通の件(復旧いたしました)

復旧しました。
2018年7月25日より不通になっておりました由良環HPのサイトは復旧いたしました。

自宅のネット環境のトラブルとHPのドメインの有効期限切れで、長期間不通になってしまったことをお詫びいたします。
                               (2018.12.18)
                                                                                 由良 環



ただいま、ブログ以外のHPの内容が閲覧不可になっております。由良環HPをご覧くださった方にはご迷惑をお掛けしております。

現在、原因を調べ、復旧を目指しております。

HPアドレスの移動および変更はしておりません。

ネット上で、そのような案内のURLが表示されることがありますがアクセスしないよう、お気をつけください。
                                (2018.10.18)
                                                 由良 環



                                                     

2018/08/12

ステイトメント/都市の距爪—ハバナ—


 「都市の距爪-ハバナ-」のために

                        由良環                


 

 

                                    
キューバの首都、ハバナのホセ・マルティ国際空港に降り立ったのは2017817日だった。
市街地に着いたのは午後7時近かっただろうか。
激しいスコールの後、涙を流しているような街の光景を
見た。
水たまりからは蒸気がたちのぼり、それは建物をキラキラと輝かせ、暗くなりかけた雨上りのストリートをそぞろ歩く人々の姿は実に幻想的で、わたしの脳裏に鮮明に焼き付いている。
前の2週間ほど、同じテーマでの撮影をするためにメキシコシティに滞在していたのだが、ストリートで撮影することが予想以上に困難で、量、質ともに十分な撮影ができなかったという悶々とした思いを、わたしはひどく持て余していた。
(しかしそのことがハバナでの撮影の助走となり、加速させたということに、ずっと後になって気がついたのだった)

 ハバナの街に、恐らくこれまで訪れたどの都市にも感じたことのないオーラのようなものをわたしは読み取った。
ここでは人種もルーツも異なる人々が一緒に暮らしている。
(移民や奴隷など人々のルーツは多様であるが、キューバは世界で唯一人種差別のない国と言われている)
それは人々のしなやかな身体から発せられる独特の高揚感や躍動感から端を発し、人のエネルギーが都市という器からはみ出して街中に溢れだしている、というイメージだった。
その姿はシンプルで飾り気がなく、人間のもつ原初のエネルギーがほとばしる在りように、わたしは打たれた。


また、キューバでは個人がものを所有するという感覚が極めて薄く、そのため街も道も皆のものであり(中国でもそうであるように)路地を居間のように捉えてくつろいで過ごしているひとびとの姿を多く目にした。
家の前で近所の子供たちが玉蹴りなどをして思い切り遊んでいる、そのようすを多くの大人たちが石段や壁際で思い思いの姿勢で穏やかに眺めているといった風景は、日常的に目に入ってきた。
彼らの内と外の差がきわめて少ない、隠し事のないあからさまであっけらかんとした生活スタイルは、わたしがこの都市を理解することの大きな助けになっていた。


 日が経つにつれて、キューバの国とハバナの都市が抱える経済的な矛盾や格差について、わたしは徐々に気になり始める。
これまでわたしはいくつかの国に滞在して撮影を行ってきたが、その都市での庶民的な水準の生活をするということを自らに課していた。
それは、街やそこに暮らす人々と同化したいと願ってのことなのだが、ハバナでは土台無理な話であった。
キューバでは外国人旅行者が使う兌換ペソ(CUC)とキューバ人の使う人民ペソ(CUP)2種類の通貨が存在し、1CUC26.5CUPという法外な格差を示していた。
しかし民泊や個人タクシーの運営で、外国人観光客を相手に富を増やしていく人々が一部に存在し、市民の間に徐々に経済格差が広がっていくことは誰の目にも明らかだった。その先の、格差による社会の歪みのようなものがどうしても懸念されたからだ。
そういった自分の力ではどうすることもできないキューバ社会の格差や矛盾に対する苛立ちや悲しさのようなものが、日々わたしの中に募っていった。



ハバナでの最初の4日間は旧市街を撮り歩いていたのだが、
5日目にふと新市街へ行ってみようと思い立つ。
そこは地元の人々が働き、生活をする、およそ観光地とは程遠い市街地や住宅街が続いていた。
ここでわたしは、ハバナの街独特のにぶい時間の流れというものを初めて体感した。
街の時間に呼吸を合わせ、街から発せられるものを受け止めるようにしてそれに向き合い、ゆっくりと撮った。
潮の匂いの風を受け、太陽に焼かれ、記憶に痕跡を残すように風景を身体と感覚に焼き付けるように・・・・・。
そして新市街で過ごした時間の中で、新たなハバナ像というものがわたしの中に芽生えてくるような感覚をおぼえたのだ。



メキシコシティを経てハバナへの旅の約1ヶ月間、繰り返し読んでいた大江健三郎氏の『「雨の木」を聴く女たち』がある。
小説の舞台はメキシコ、日本、ハワイなどで、それは複雑に物語が絡み合った連作小説集なのだが「世界はどこに行ってしまうのだろうか?」という大江氏の立てた強い問いを、旅の間中わたしはヒリヒリと感じていた。
そして「世界の終り」とか「死と再生」というこの本の核心であろうと思われるメッセージに対するひとつの返答を、この国でみたような感覚をわたしは後に持つことになる。


人と人とが関係し合い、ともに生きていくこと。
―都市の中で根をおろした人間のあるべき姿―を、わたしはハバナで見出だすことができたように思う。

そしてそれは写真活動を通して立ち上がってきた、きわめて個人的な感覚によるものである。

 

 

 

 



2018/07/16

展示終了のご報告

由良環写真展
都市の距爪―ハバナ—(2018年7月3日~7月15日/櫻木画廊)は
無事終了いたしました。
お出かけくださった方々と
展示に協力してくださったみなさんに、こころから感謝いたします。これからも都市空間でさまざまな出来事に出会い、感受しながら写真を撮っていきたいと思います。

Ⅰ部(7月3日~7月8日)     撮影:湊 雅博





Ⅱ部(7月10日~7月15日)

写真とことばの重なる時間

都市の距爪—ハバナ—
写真とことばの重なる時間

トークイヴェント(2018/7/7)ゲスト:川島紀良さん

写真家の川島紀良さんをお招きし
都市の距爪—ハバナ—について、ハバナの旧市街の写真を見ていきました。
Ⅰ部では旧国会議事堂を囲むファサードでの作品が多く、コロニアル建築の天井の高さや、風雨にさらされ続けた建築物、そこに生きるひとびとの間で起こっていること。
そして「溝」、「ドブ」について、話が及んだことはおもしろい展開でした。

朗読会(2018/7/8)ゲスト:岡安圭子さん ―リルケを読む―

リルケの詩と手記を15~16編、岡安圭子さんに朗読していただきました。
ハバナの写真に囲まれた岡安さんの身体から放たれることばたちは立体的に、そして時空を超えて、わたしたちをどこかに連れて行ってくれるようでした。
リルケのことばが持つ或るキーワード「待つ」や「孤独」といったことばはもはや空間に溶け、
人が生きることの本質があぶりだされるような時でした。

トークイヴェント(2018/7/15)ゲスト:川島紀良さん

ふたたび川島紀良さんをお迎えして、Ⅱ部の写真について話し合いました。
背景が黒く潰れた、人物の入った2点の作品について、
瞬きをしたときに見えるような情景のようなものだという川島さんのことばが非常に印象的で、ひとは現実と夢、そして死のあいだを無意識に行ったり来たりしているのかもしれないと、わたしは今思い始めています。

川島紀良さんと。             撮影:仁平 寿枝

2018/05/30

由良環写真展「都市の距爪—ハバナ—」のお知らせ

由良環写真展
都市の距爪—ハバナ—
櫻木画廊(台東区上野桜木2丁目15-1)
2018年7月3日(火)-7月15日(日)
7月9日(月)休廊
11:00-18:30[最終日17:00まで]
Tamaki YURA
PhotoExhibition
3-15 July.,2018
SAKURAGI FINE ARTS

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Ⅰ部73日-78日             
Ⅱ部710日-715
*展示の掛け替えを行います
*作家は毎日15時以降、在廊いたします。

写真とことばの重なる時間
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トークイヴェント                                                                                朗読                                                 
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ゲスト:                                                                                                ゲスト:
川島紀良[写真家]                岡安圭子[朗読家]        
---                       
                                      
7月7日[土]17:00-              7月8日[日]17:00- 
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7月15日[日]15:00-         
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[トークイヴェント]


世界の都市を撮ることをわたしが続けているのは、都市、東京への理解と認識を(自己に)浸透させるための布石を打つような作業なのかもしれない。
そんな中、長年にわたり東京を中心に日本のあちこちで人物や風景を撮り、それについて考えたり文章を書いている
川島紀良さんをお招きします。
川島さんとは、自己と他者、都市との3つの相関関係についてお互いの写真を介在させながら、写真作品から立ち上がってきたハバナを見ていきます。
川島さんと由良にとって、都市空間とは?人を撮る事は?という命題を掘り下げていきたいと思います。
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[朗読]

リルケ(1875-1926)について—わたしは昨年知ったばかりの詩人であり作家です。
ですが、リルケの残したことばとその生き方は芸術家としての姿勢を明確に打ち出し、生涯それを貫いたものでした。

「芸術家にとって必要なのは、作品を生み出すことであり、それを成熟させることのみである。
そしてそれは沈黙の中でしか行われない。」
このことばに私の心は打ち抜かれ、同時に強い共感をおぼえました。
今回友人で朗読家の岡安圭子さんに、わたしの選んだリルケの詩を朗読していただきます。
岡安さんがハバナの写真作品から受けた感触を、リルケのことばに投影して朗読してくださいます。
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どなたでもご参加ください。(各回とも60分程度)
席は十分ありますが、小さな会場ですので早目の到着をおすすめします。


                                                                                        
                  
                 
 
 
 
 
 [櫻木画廊へのアクセス]

◆JR各線日暮里駅より徒歩10分

JR日暮里駅改札口から西口を出て、谷中霊園を抜け、ゆるく左折し道なりに直進、マルグリート菓子店を右手に見て、    谷中交番と、SCAI THE BATHHOUSEの交差点を左折。  

そのまま30メートルほど直進した左手。

櫻木画廊     東京都台東区上野桜木2-15-1  

                   tel:03-3823-3018

 

◆東京メトロ千代田線:

 根津駅1出口

 千駄木駅1出口より各13分