2019/10/24

写真のこと、そして日々。(8)

―暗室での時間—
久しぶりに暗室に入った。
実に3ヵ月以上振りだ。
わたしの暗室にはエアコンがない。
それなので夏は液温の調整が難しいので、なるべく入らず済ませるようにはしていたが、それにしてもこんなに空けたのはいつ以来だったかな・・・とちょっと思い出せない。

そしてまたすぐに戻ってくる、感覚。
薄暗い中での動線やプリント作業の手順など。
それと共に、溜まっていた記憶や一時保留にしていた考えるべきことがドッと押し寄せてきた。

頭の中の記憶を司る部分が、暗室に入るとどうも反応してしまうらしい。

走っている時も同様だが、こちらは正統派の課題が浮かんでくる。
いま何を優先すべきとか、いま迷っていることはどうすべきだとか、現実の問題に則した課題を走りながら検討するような感じだ。
そしてやがて走り終わる頃には、問題解決とはいかないまでも、考えが整理されていることが多い。

一方暗室で浮かんでくることは、もっとマイナーなことだ。
あのときどうだったとか、誰が何を言ったとか・・・。そのときは気にしていなかったようなことで、一見してどちらでも良いようなことの記憶が、ポツリポツリと湧いてくる。

暗室の時間とは、無意識の領域を刺激するのか、夢の中のような時なのかな―


                                                                                                                                                                                     Osaka,2018

2019/10/21

写真のこと、そして日々。(7)


そうだ、聴覚、だと確信した。
以前、五感のどの感覚が際立っているかということを写真家の友と話したとき、「耳かな・・・?」と何となく答えたことは間違いではなかった。

今夏、まだ電気が開通していない家で3週間ほど過ごしたとき、家中のあらゆる窓を開け放ち、風通りを良くすることに、まず力を注いだ。
破けた網戸を何枚張り替えたか、そして一階で寝ていたので、同じ大きさの窓の網戸を二階から一階へ付け替えたり、網戸そのものが付いていない窓には簾を付けたりした。
そして家の窓の多さに驚いたものだ。

昔、インドのニューデリーの中産階級のお屋敷にひとつき間借りをしたことがある。一泊が30ドル近く、インドの物価からするとかなりハイクラスの貸部屋だったと思う。そして冷房器具は扇風機だけであった。
季節はまだ冬から春にかけてだったのだが、何ともじんわりと暑い・・・。
しかし、風が通るように建物はよく設計されていて、それがずっと私の中で印象に残っていた。

風を通してあげるように我が家の窓に手を加えたお陰で、暑くて寝苦しいと感じた日は僅か2.3日だったと思う。

夜、網戸を介してだけれど、家中の窓が開け放たれているため、あらゆる音が聞こえてくる。
蝉の大合唱は8月中旬を過ぎるころから、やがて鈴虫の美声に移行する。風が葉を揺らす音、トタン屋根の壊れたパーツがギシギシ軋む音、坂を急速に上ってくる車の音や、夜にはしゃぐバイクの音などが、眠りに落ちる寸前までわたしにささやき続けた。
初日、真夜中にハクビシンがウチの縁側に上がって喧嘩をしているような激しい鳴き声を聞いた。
ちょっとしたカルチャーショックだった。

そしてそうだ、わたしは幼少期からずっと暗闇の中、音に包まれて何百時間もしかすると何千時間を過ごしていたのだな・・・と思いだす。

聴覚(音)ともう一つ挙げるとするなら、気配を感じるような鋭い感覚も持っていると思う。
触覚とも違うし、それを第六感と言って良いのかどうかはわからないが、それは空間に包まれているときに発揮されるような身体感覚なのだ。

隈研悟氏が『僕の場所』の中で、建築についてこんなようなことを言っていた。
ー音楽やことばは、地球の反対側ほどの遠くの人に伝えることに長けたメディアであるが、建築はそうではない。
そこの場所に行かなければ絶対に感じ得ないものがあるのだーと。
その件にはわたしも賛成する。
建築は、視覚的なものではない。どんなによく撮れた映像を見ても、その建築の本質は伝わらないからだ。映像によって伝わるのはその建物の情報の一部分と言って良いかもしれない。
それはなぜかー(特に)優れた建築の内部に入ると、何とも言えない感覚に襲われた経験がわたしは何度もあるからだ。それはちょうどわたしが今夏、我が家でひとり横になっているときに体験した、その感じに近いものがある。
包まれている感じ、建築がわたしに発信している感覚とでもいうのだろうか。

そんなことをこの夏感じながら、わたしが建築に興味を持ったことは、ごく自然の成り行きだったこと、そして今は写真で何ができるだろうか、ということに思いを巡らせていた。



                                                                                                                                                                         Osaka,2018



2019/10/16

写真のこと、そして日々。(6)




永遠のごとく止まっていると感じた世界が流れ出した。
それも勢いく・・・・・。
そして、わたしは見事にそれに流されている、、ような気がする。
それは自らが望んで流されているのか、本当に流れがきて飲み込まれているのか、それがよくわからないでいる。

しかし流されることを望んでいる部分は確かにあるのだろうと、薄々感じてはいる。

いつも辿り着く思考の先ーそれは写真とのこと。
ー写真と自身のカンケイ、そして人とのカンケイー
わたしのテーマと考えるべき問題は、そのことに尽きるのだろうと思った。





                                                                                                                                                   Osaka,2018

2019/10/07

写真のこと、そして日々。(5)


わたしが生まれ育った故郷は、第一次産業とそれ以外の半々の暮らしが今も続いている。
東京のように貨幣経済が中心ではないので、人足の返礼として、自ら育てた食物が返ってくる。

そのことが、東京生活何十年も経たわたしには、甚だ新鮮なことであった。

東京だと、とても自分では買えないような立派なブドウやリンゴ、それに好物の枝豆は房ごともらえ、初めてなつめの実を口にし、その奇妙な食感にわたしは病みつきになった。


そしてよくよく考えてみると、都市というのは何と不可思議で特殊な区域なのだろう・・・、と改めて驚嘆する。

複雑に絡み合ったコードのような街と人。
それらが織りなす無限のドラマ。それは光を、そして闇をも生み出し続けている場所なのではないだろうか。
そしてひとと街とがダンスをしているその行先は、だれにも分からない・・・・・。

その一筋縄にはいかない、何とも名状しがたい都市の作用のある一部分に惹かれ、ずっとわたしは街の写真を撮ってきたのかな、と思う。

そしてそれが、故郷に帰り、また東京に戻る度にジワジワと浮かび上がってきてくれることは、何とも不思議である。
山の頂上で視界が開けたときのようなーそんな単純な話ではないのだけれど、何か自分に必要な感覚のような気がしている。




                                                                                                                                   Osaka,2018