2021/10/07

ギャラリートークを終えて

大日方さんとのトークで印象的だったことは2つあります。
ひとつは、パリの写真について最後に語っていた言葉です。
「厳しい関係とは限らず、無関係の者同士が都市って交差し合う訳じゃないですか。その時に生まれる何か・・・パルスの交わし合いみたいなものを、どの写真からも感じます。それはどの国でも違う現れ方をしていて、今の段階で僕はそう見ていて、それが面白いなぁ、と思っています。ー」
これはわたしが作品を作る上で最も意識し、苦慮した部分のことに触れていると思います。場所や街や人々に対して、自分をどう馴染ませて行くか、ということを念頭に街を歩き撮影をしていました。
そのため「どの国でも違う現れ方をしている」という大日方さんの見解はうれしい驚きでした。

ふたつめは[ギャラリートークの記録]の最後の大阪の写真についての部分です。
大日方さんは大阪の写真の中での話をされていた。あくまでも写真の中に限った話だったのだけれども、私はいつしか大阪の街に、人々に、それを置き換えて聞き、考えていました。
単に私の読み違い、理解不足だったとも言えるのですが、そのズレが面白く、ずっと尾を引いています。
それは大日方さんと私の立ち位置を明確にしてくれ、なかなか興味深いギャラリートークになったと思っています。

この作品の写真で起こる人と人との交錯や掛け合いが、トークの中でも起こったことをうれしく思います。
(下記をクリックするとトークの文章を読むことができます)

   2021年10月6日 由良環

ギャラリートークの記録 


2021/09/20

展示終了のご報告

由良環写真展「Partirー出発」が無事終了しました。
緊急事態宣言下において、多くの方に観に来て頂きギャラリートークを行うことができたこと、皆さまのご協力と応援に感謝の気持ちでいっぱいです。
会場に来ることが叶わずメッセージを下さった方々にも、こころよりお礼申し上げます。

   

                      会場撮影/湊 雅博

             



                                  

       



2021/08/08

由良環写真集『Partir』上梓












由良環写真集『Partir』が完成しました。
4の国と6の地(ネパール、パリ、ハバナ、大阪)でー。

この作品の撮影で私が最も興味をひかれたことは、人が反応する姿です。
(写真を撮る)私に対する反応、人と人とが反応し作用し合うその立ち振る舞いは、生の根元的な魅惑に溢れていました。それはキラキラと輝きながら砕け散る小さな破片の様で、それを見たい一心でずっと歩き続けてきました。

人と場所との呼応、その痕跡をもう一度記憶に擦り付けるように筆圧をかけて描いています

落葉を一枚づつ大事に拾って掌に重ねていった、そんな趣の本になりました。

Partirー出発

写真:由良環
執筆:日高優、由良環
翻訳:Fontaine Limited

デザイン:秋山伸+上妻森土/edition.nord
プリンティング・ディレクター:前川孝雄/サンエムカラー
印刷・製本:サンエムカラー

発行:BOOKS白水沢/2021年8月8日発行
¥3.637+税[¥4,000]

*写真集はShopページでご注文頂けます。(送料無料)




 


2021/06/13

由良環写真展のお知らせ


 

由良環写真展 Partirー出発

2021年9月9日(木)~9月15日(水)

AIDEM PHOTO GALLERY [SIRiUS]

10:00-18:00 日曜休み(最終日は15:00まで)

東京都新宿区新宿1-4-10アイデム本社ビル2F 03(3350)1211

東京メトロ丸の内線「新宿御苑」駅下車徒歩2分/東京メトロ丸の内線、都営新宿線「新宿三丁目」駅より徒歩7分

http://www.photo-sirius.net

<ギャラリートーク>

9月11日(土)16:00-17:00

大日方欣一(フォトアーキビスト)・由良環(写真家)

大日方欣一氏を招いて、写真展会場でクロストークをします。

参加費無料

*新型コロナウイルスの感染予防のため、完全予約制の上、少人数で行います。(人数制限を設けています)

*定員に達しましたので、受け付けを締め切らせて頂きます。

参加ご希望の方は、下記のメールアドレスまで、お名前とご連絡先をお知らせ下さい。

books.shiromizusawa@gmail.com














2021/01/18

宇波彰さんへ

 宇波彰さんがこの1月6日に亡くなられた。

この方との不思議な出会いと関係性は、印象的と言う他ない。

朗読家の岡安圭子氏から贈られた本『旅に出て世界を考える』(宇波彰著:論創社)の中からTOPOPHILIA(トポフィリアー(場所への愛))という概念を知り、自身の写真集を『TOPOPHILIA』と命名したのだった。

「TOPOPHILIA」という言葉を写真集のタイトルにしても大丈夫か、という(岡安さんの友人ではあるけれど)見ず知らずのわたしからの手紙に対し、宇波さんはすぐにお電話を下さった。「問題はないけれど、本を読んだ方が良いです」というお返事だった。

「本」というのは、イー・フートゥアン著の『TOPOPHILIA』だ。

TOPOPHILIAという概念を提唱した文化人類学者のイー・フートゥアン氏の書いたこの本は、こんな機会がなければわたしにはあまり縁のない類の内容だった。いわゆる、やわらかい学術論文である。

理解が追い付かない部分も時に現れてきたが、読み進めるうちに次第にその内容に引き込まれた。

8年を経た今も、この本のラストに書かれてある行が、ふとわたしの脳裏によぎることがある。

ーひとは、自然豊かな場所で思い切り息を吸い込み、自然と一体となってリラックスする時も必要、その一方で、N,Y近代美術館の一室で、現代美術の作品を前にするような心地良い緊張感のある時の、両方が必要だーと。(イー・フートゥアン氏は中国系アメリカ人)

いま、こころからわたしはそのように思うのだ。

2014年、中国へ撮影旅行に出かける前に宇波さんにお手紙をしたところ、中国は好きで20回以上も行かれたとの旨。そして好きな場所が幾つか記されていて、そのひとつに黄山ー山東省とあった。調べてみるとそこは水墨画のモデルとなるような風光明媚な場所であった。都市をテーマに写真を撮っていたわたしは、いつかそこに行ってみたいなぁと、かなり羨ましく感じたことを覚えている。

仏文学科を卒業されているのに、アメリカ合衆国とフランスが嫌いだとおっしゃったことばも、印象的だった。(文化ではなく、国政として、とのことだと思う。それにはわたしも同感だ)

宇波さんが自宅で行っていらっしゃった、月に1度の講義、そのレジュメをいつも送ってきて下さり、東京造形大学出身の画家の作品についての評論を書かれた際にコピーを送って下さったり、新聞の誌面でのお仕事、面白い版形の、若い人が作っているという自主制作冊子にノーギャラで寄稿したりと、その活動の幅は様々な垣根を悠々と越え、独自のスタンスを貫いていらっしゃったように思う。

宇波さんが亡くなられたと聞いてもあまりピンと来ないのは、既に昔から宇波さんのことばや魂が、わたしのこころに住んでいるからなのだと思う。

2019年にネパールからお葉書したのを最後に、宇波さんとの文通は途絶えた。というのも、ネパールという国は、首都の中央郵便局から出した手紙さえ届かない、それも仕方のない国なのだ。

それならばわたしから再度お手紙すれば良かったのだとも思うのだが、わたしはもう十分満足してしまったのだ。

2018年の7月、台東区の櫻木画廊でのわたしの写真展の中、岡安圭子さんによる朗読会(「リルケを読む」)が行われた。宇波彰さんも若き日に熱中したとおっしゃっていたライナー=マリア=リルケのことば、ハバナのモノクローム写真に囲まれた空間、そこに宇波さんも居られた。

そのときー岡安さんがリルケに、彼女自身の魂が入っていったような感じに、わたしは襲われた、あの時あの場所で・・・・・。


宇波さんとの会話を、わたしはこれからも続けていく。