2019/11/02

写真のこと、そして日々。(10)


2018年のハバナの展示で、写真の隣に置きたいこととして、リルケを題材にした。
ハバナの写真とリルケは直接的な関係はないのだが、その時期にわたしが通りがかった大きな出会い、そして出来事として、ぜひリルケを写真展と併せてみたいと思った。
ロシア、そしてヨーロッパを旅した詩人だったので、ハバナの写真で大丈夫だろうか・・・というちっぽけな心配はまったく不要だった。
それだけリルケのことばはわたしの内側に響いたのだろう。

それらは単に文学のみならず、芸術全般に行きわたるようなものとなっていると思う。
そしてリルケが詩人だからこそ-ことばの幅、深さがあるからこそ、写真のこととしてわたしは拾い、抱き、感じ入ることができるのかもしれない・・・・・。


いま大阪の写真を振り返りながら、一度忘れ、またジワジワと浮かび上がってきた一年前の記憶と感覚を、リルケのことばと共になぞっている。


マルテの手記』より

詩。ああ、詩というものは、若いころに書いたものにろくなものはない。
それは待つということが大切だ。そうして一生かかって、それもたぶん長い一生を倦まずたゆまず意味と甘味とを集めねばならない。その果てにようやくたぶん十行の良い詩を書くことができるのであろう。なぜなら、詩はひとの言うように感情ではない。[感情ならはじめから十分あるわけだ]—、それは経験なのだ。

一行の詩句を得るためには、たくさんの都会を、人間を、物を見なければならない。はじめての土地の、なじみない道のことを、思いがけない出会いや、もう久しくその近づいてくるのが見えていた別れを思い出すことができねばならない、—まだよく意味が明らかにされていない幼年時代のことを、また、両親がぼくたちをよろこばせようとして持ってきたものが、ぼくたちにはなんのことかわからず(ほかの子どもならよろこぶものにちがいないものだった)、両親の心を傷つける破目になってしまった思い出や、実に奇妙な始まり方をして、思いがけない深い重い変化を伴う子供の病気のことや、ひっそりとつつましい部屋の中ですごす日々の事を、海辺の朝を、海そのものを、多くの海の事を、高い天空をざわめきながら、星々とともに飛び去って行った旅の幾夜さの事を、—そしてたとえ幸いにも、そういう一切のことを思い出すことができても、それはまだ十分ではない。ひとはまた、その一夜もほかの夜に似ることのなかった多くの恋の夜の思い出を持ち、陣痛にあえぐ女たちの叫びと、生み終えてかろやかに、しろじろとして眠っている女たちの思い出を持たねばならない。
しかしまた、死んで行く人々の枕辺にはべり、死んだ人と一つの部屋にすわって、あけた窓から高くなり、低くなりしながらきこえてくる外の物音に耳傾けた経験がなくてはならないそして思い出を持つだけでも、まだ十分ではない。思い出が多くなれば、それを忘れることもまたできなければならない。忘れた思い出がいつかふたたび戻ってくる日を、辛抱強く待たねばならない。なんとなれば、思い出はそれだけでは、まだ何物でもないのだ。それがぼくたちの内部で血となり、まなざしとなり、身のこなしとなり、名もないものとなってはじめて、いつか或るきわめてまれな時刻に、一つの最初の詩の言葉が、それらの思い出のただなかから立ち上がって、そこから出ていくと考えられるのだ。
    (『人生の知恵Ⅵ リルケの言葉』  高安国世:詩編 彌生書房)より抜粋