2017/12/31

メキシコシティ (19)


日本のことを考えるために海外に住んでいるという小説家を知っている。
それほど、自国を離れ外国に身をおくことで見えてくる
〝日本のこと″がある。

海外にいくことは、その行先の国のことを知るというよりもむしろ、
日本について考えるよいきっかけになっていることを
わたしも毎回実感する。



2017/12/30

メキシコシティ (18)


ひとは多面を持ちあわせる、そして都市も
それを撮る人間も、そうだ。

写真とは、そういった見えないものの点を結び付けていける
ものなのだと思う。



2017/12/29

メキシコシティ (17)


海外の都市にいると、永遠にこの時が続くように感じるときがある。
身体と魂が分かれ、透明人間になってずっとその街を彷徨っているような感覚だ。

いや、そうありたいという願いなのかもしれない。




2017/12/28

メキシコシティ (16)


何かこちらに知らせないことを皆が共有しているように感じるのは、こちらに気を遣っているからか、
或いはそれが教えられないようなことなのか。


2017/12/27

メキシコシティ (15)


メキシコシティの、砕けていて形式ばらないのどかな都市像は、どこかわたしの幼年期を掘り起こす手掛かりになっている。

きちんと舗装されていない、砂利と砂でできた家の前の坂道。
父の使いで往復20分も掛かる商店にたばこを買いに行っていたこと。(あのころセブンスターが180円くらいだったかな?)
自宅の庭の手製の焼却炉で、燃えるごみを燃やしていたこと。そしてそれは子供の仕事だったこと。

いま考えると、不便ながらも生き生きとした生活だったなぁと、メキシコシティを入り口に静かに思い出すことができている。



2017/12/26

メキシコシティ (14)


道端で軽食をとれる屋台のようなお店が街中至る所にある。
トルティーヤ(トウモロコシの粉をこねて作った丸い薄焼きのもの)の具は野菜中心で、ひき肉なども入っていて、とてもヘルシーで元気がでる軽食だ。
色んな具材を選べるから嬉しい。

わたしは食べるものに特に好き嫌いは無く、看板に載っている5個で30ペソ(160円程)で様々なバリエーションの具が乗っているものを下さいと、いつもお願いする。
それでも美味しい屋台は大体混んでいて、座る場所がない時は寂しくその場を立ち去ったりする。
わたしのひいきの屋台は、その回りにはカウンターがあり、せいぜい5,6人しか掛けることができない。
男性などは物足りないのか次々と食べては注文するから、席が空くのは結構時間が掛かるのだ。


2017/12/25

メキシコシティ (13)


人種の混ざりあった人々が住むメキシコシティ。

眼の、白い部分が、離れたところから見ても沈まずに漂っていて、時にはっとするように澄んでいる。
ちょうど、蛍の放つひかりのようだと思った。

このひかりに導かれるようにして、わたしは都市の中へ入っていけたのかもしれない。

 
 

2017/12/23

メキシコシティ (12)



はかなさ、あやうさ、不安定さ
そんな大都市の抱える痛み
それを隠さずに、この都市は正面から受け止めている。

そのようにメキシコシティが見えるのは、なぜだろう?
わたしは考える。



2017/12/22

メキシコシティ (11)



都市と人の距離が近い街とは、どんな条件が関っているのだろうか。

別の都市のことを考えながら、メキシコシティに想いを馳せる。



2017/12/21

メキシコシティ (10)


手の平にすっぽり入ってしまう小さな木のフレームは
妙に厚ぼったい手彫りの、実に粗野な姿だった。

Lagunillaの蚤の市では、ガラクタの様に見えていた。

東京に戻り、自宅のリビングの棚の上に置いてみた。
すると、既製品のどのフレームよりもそれは生き生きとした異彩を放っている。


2017/12/20

メキシコシティ (9)



その都市の魂は、あらゆるところに隠れていることは
既に知っているはずなのだ。

あとは、興味が先入観に勝るか否かの問題です。



2017/12/19

メキシコシティ (8)


CUAUHTEMOC―下町で。
メキシコシティの表層と闇、
メキシコ人や地元の人にしかわからないこの都市の影の部分を
わたしは推し量ろうとしていたのだと思う。




2017/12/18

メキシコシティ (7)


色々なものがスープに放り込まれ、ごちゃまぜになって煮込まれている。
この街の、並外れている雑然とした様は、
食によって言い表すことができる。

スープの味はやはりメキシカンチリだろう。




2017/12/15

メキシコシティ (6)


メキシコシティは親しみやすい人、町、ものに囲まれているような所だと思う。

特にメキシコ人、彼らは
心やすく、もったいぶったところがまるで見られない。

この性質はどこから来ているのだろう・・・?と
滞在中わたしはずっと疑問で、それは今も続いている。

2017/12/14

メキシコシティ (5)


もうひとつの下町CUAUHTEMOCは、メキシコシティの南南東に位置し、いくつかの顔を持つ。

人の住む場所、市場、そして職人問屋街だ。
車や機械を整備する店、釘やネジなどの部品を扱う専門店に加え衣料品、食料品などの小売店が軒を連ねる。

ここは庶民的で生活感があふれ、活気のある界隈だ。




2017/12/13

メキシコシティ (4)


メキシコシティで気になったことのひとつに、
人々が連れ立っている、何人かの集団で歩いている。
ちょうど、日本の三箇日のような光景が日常的にみられることだ。

家族でも友人でも同僚でも、人と一緒にいることがこの国の人にはごく日常のことのようだ。



2017/12/12

メキシコシティ (3)


SAN RAFAEL地区は、ソカロ(中央広場・メキシコシティ随一の観光スポット)からの帰り道に偶然見つけた場所だった。

その日ソカロへは往路はメトロで来たのだが、帰りは歩くことにしていた。
中央郵便局で用事を済ませ、アラメダ公園、革命記念塔を過ぎ、いかにも観光地というメインストリートを、少しの面白味も見出せず、とぼとぼと歩いていた。
そしてふと、大通りから脇に入ったところに晴れ晴れとした路地裏が見えた。
わたしの嗅覚が何かを捉えた。

それから下町の中へじわじわと入り込み、目に映るものは相当楽しくなってきたのだ。

ポリスに道を聞いたころには、だいぶ歩いた後だった。


2017/12/11

メキシコシティ (2)


*メキシコシティの市街地中心部はそれほど巨大ではなく
市街地の要所は半径3キロ以内に集中し、
東から西、南から北へと、2,3時間もあれば歩けてしまう。

その中でも私が特に気に入った場所は中心部より西の
SAN RAFAEL地区と、南南東のCUAUHTEMOCだ。

それぞれ趣の異なる下町の風情が漂っている。
労働者や学校に通う子供たち、路上で語り合い、散歩する
地元の人々が、素の姿を見せてくれる。







*メキシコシティは人口885万人(首都圏まで含めると2,000万人とも言われる)
アステカの時代には湖上に浮かぶ大きな都市だったが、スペインが植民地にすると
アステカ帝国の神殿や宮殿を壊し、その石材でスペイン風の市街地を築き、湖を埋め立てて完成した。
メキシコシティは標高2,240メートル、温帯気候に属する。

2017/12/10

メキシコシティ (1)


メキシコシティでの撮影を終えてはや4ヶ月。
今年の8月4日から16日までの滞在だった。

フィルム現像、ベタ焼きと段階と時間を経て現れてくる写真とともに
この都市のこと、人々の事を丁寧にゆっくり振り返っていきたい。

9月19日にはメキシコ中部地震があった。