2019/02/20

ネパールへの旅

カトマンドゥでの日々~3~

ー複雑な地形と民族から成る、ネパールー
ネパールの国土は北海道の2倍弱、ヒマラヤ山脈を背にする高山と、インド平原に連なる低地からなる。
多くの民族と言語があり、その数は24とも96とも100とも、参考文献によって書いてあることが違い、わたしはまだその辺りのことをよく理解できていない。
ネパール語を共通語とし、現在学校では子どもたちに英語で他の科目を教える授業がメインとなっているようだ。
それでは現代の子供たちは、学校では英語を、友達との会話はネパール語を、家族や親族血縁とは自分の民族のことばで話すのだろうか・・・・・?

なぜこんな事を記したかといえば、
カトマンドゥに居ると、実に多種多様な顔立ちの人と日々すれ違うからだ。
日本人と言っても遜色のないようなチベット、モンゴル系の顔立ちの人もよく見るし、インド系はもちろん、ペルシャ系の顔立ちから、東ヨーロッパ系の顔立ちまで、広すぎて、複雑すぎて、民族何たるかが、よく掴めないでいる。
また、1962年に廃止されたカースト制度は、いまだに根強く残っていると言われている。
幼い頃から親や地域から教えられた価値観を、間違っていると感じても、それを自分の中から剥ぎ取ることはなかなか容易なことではないはずだ。

しかし今回わたしを南ネパールのハリオンに案内してくださった3人は、それを飛び越えてきた人たちだった。

このような複雑な背景を持った国、ネパールで
わたしが本当に見たり、感じたいのは、こういう人たちのことーその信念に基づく行動と、それが人や社会に与える影響ーそのことについてなのだと思った。
それは大阪、西成に居たときも同じだ。
何かわたしが直接社会福祉活動等に参加をするわけではないのだが、彼らのやっていることを見たり、彼らと話をすることによって、精神に入りこんでくるほんの小さな、ささやかな何かーそれが細い糸でどこかの回路に繋がっていて(それがどこでどうなってやって来るのかは分からないのだけれど)
わたしが写真を撮ることをさせてくれているような気がするのだ。