2019/07/03

ネパールへの旅-カトマンドゥ 11-



時間と記憶のカンケイ Ⅱ

東京から故郷のある町まで高速鉄道を使うと僅かに一時間半余り。だから車内販売は省略されてしまったことを最近知った。

高すぎると思いながらも、ポットから注いでくれる熱いコーヒーは飲みたくなるし、ビールもお弁当もできれば車内で買いたいと思う。

第一、一時間半では、ビールとお弁当、その後のコーヒーを頂いた後、余韻を愉しんでいる暇などはない。

三重か和歌山のあたりで、ポマードをたっぷり付けたテカテカの髪の背広を来た男性がいたなぁ、とか、18歳、沖縄からの帰途、関西から名古屋までの車内、隣の席の人とずっと話していたなぁ、と何十年経っても覚えているのは、そうしたこころに引っかかる出来事が幾つも重なっているからに相違なく、そういう意味に於いて、車内販売の担う役割はとても大きかったように思う。

その点、カトマンドゥから地方に向かって発車されるバスの旅は、日本とは比較にならないほど、出来事満載のものだった。

シートが壊れていてずっと踏ん張って座っていないと前にずり落ちてきてしまうものだったときもある。
ヤギと一緒に乗ってきたお婆さんや、農作業用の大きな籠を背負ったおじさんも普通に乗り込む。
そして途中下車して取る食事や、ドキドキのトイレ休憩、疲労困憊しながらもモモを食べて美味しかったな、という思い出もある。
バスが発車してから「待って~!」と、追いかけてきた女性もいた。女性も車掌も別に慌てていないところをみると、ネパールではよくあることなのだろう。

そう考えると、ネパールのバスの旅は幾つもの事柄がテンコ盛りで、記憶に残らない筈はないのだろうな、という人間味溢れるものばかりだった。