2019/02/17

ネパールへの旅

~上田達さんの写真集『紫の空』から
 マイディ村へ~

翌朝7時前に部屋を出て、ひとり、村を散策する。
こんな山の村でも、学校に行く子供たちは本当に朝早い。
(カトマンドゥでも、制服を着た子供たちが7時前に登校する姿をよく見かけたのだが)
(山の)上の方に登ったり、急坂を下ったり、
村を歩きながらわたしは耳を澄ませ、
日本では見られないその植生の勢いと不思議さに圧倒され、菩提樹のたくましくどっぷりとした幹と枝ぶりに魅了された。

朝8時、予定が変わり3人だけでバッドリさんの家を捜すことになる。
10分も歩かないうちに、斜面のきつい畑の中を下った先にバッドリさんの家があった。
とても小さな家だ。
30メートル程離れた隣家の人に聞くと、今は誰も住んでいないが、少し先に両親の家があることを教えてくれた。
山の斜面を利用して作った段々畑を下ったり藪こぎしたり、人の家の軒先を通りながら歩くこと更に10分、遂に辿り着く。
そしてその家は、上田達さんの『紫の空』の中にあるマイディ村の写真の家とそっくりだった。
同じ地域なので似た家かもしれないという疑念をもちながらも、バッドリさんの高齢のお母さんと若いお嫁さん(お孫さんの奥さんか?)と5歳くらいの男の子がそれぞれ朝の仕事や身支度をしている様子をじっと見ていると、そのうちにバッドリさんのお父さんが山の方から戻ってきた。
同行のネパール人ジャーナリストがお父さんに色々話を聞いてくれている。
バッドリさんは外国に出稼ぎに行っていること、その奥さんと子供たちはカトマンドゥに住んでいること。
その間お母さんは、わたしたちにチヤを出してくれたり、掃除をしたり、時に笑顔をこちらにに向ける。
その深く刻まれた顔の皺は笑うと一層そのひだを表すこととなり「嘘偽りのない、こころからの・・・」ということばがぴったりな表情をする人たちだと思った。
それから、お母さん作ってくれたダルバートを頂きながら、長い時間ここに居たように思う。
斜面に作られたこの家は、村のメインストリートに出るまでにも坂道を登ったり下ったりと30分ほどだろうか、時間が要る。
自給自足の生活をベースに、家族みなそれぞれが自分の役割を果たして生活している。
そして何より丁寧な暮らしをしていることが一目でわかるような家であり、家族だった。

カトマンドゥに戻り、この家に上田達さんが泊まったということを『紫の空』を上梓した上田敦子さん(達さんのお母さん)が送ってくれた写真から、ほぼ確認することができた。

達さんがこの家で過ごした時間が思い浮かぶようだった。
そしてあのような生き生きとした、純粋な写真を遺したのだと思った。