「木について -Hakodate,Tokachi,Nagano–」 由良環
いつのころからだろうか、木の真摯な存在を気に留め、それを確実に意識するようになったのは・・・。
きっかけは数年前。
実家のケヤキの大木を切るか切らないかの問題が持ち上がってからだと思う。
管理が大変過ぎるので切ろうという意見は肉親から。
どうしたものかと思っていた頃、近所に住む床に伏している或る方が、窓辺でこの木を朝に夕に目に触れることを頼りに生きていることを知った。
木を切ることに反対だったわたしはその話を聞いて、判断は間違っていなかったことが確認できたようで安堵した。
同時にそれは、暗闇にぽつんと灯を見たようだった。
木は、灯の役割もするのだということをおぼろげに認識し始めたのはその頃からだったように思う。
頻繁には庭の手入れに行けないわたしに代わって、今でも「今年はアプリコットがたくさん実をつけたね」とか「竹藪に鶯が住んでいたんだよ」などとうちの庭のことを近所の人が報告してくれると、こころの一番やわらかい場所に小さな花弁がひらりひらりと舞い降りてくるような景色が浮かぶ。
それはやさしさに満ち、幼年期に還ったような、懐かしく穏やかな気持ちにさせてくれるのだ。