2018/12/13

西成にて

大阪市、西成区に居を構えていた2.3週間のあいだ、ずっと一人だったが、常にまわりに人が居る気配があった。
人が居る、というのは単に物理的な状況を意味する訳ではない。

わたしがお世話になった〝ココルーム″は、詩人の上田假奈代さんが代表を務める、NPO法人
「こえとことばとこころの部屋」の運営する、広い庭とカフェのあるゲストハウスだ。

ココルームでの滞在は、わたしにとって安全で、こころ温まる、鳥の巣のようなイメージだった。
実際にここでは鳥を飼っていて、インコとオウムの中間くらいの大きさだったので「太っちょインコ」と勝手にわたしは命名していたが、ピーちゃんと呼んでいる、ココルームによく遊びに来るお父さんがいたから、その子はピーちゃんという名前なのかもしれないし、そのお父さんも勝手にそう呼んでいただけなのかもしれない。


西成区に居ると、時間軸がいわゆる“世間”とは異なっていることに気が付く。
早朝から銭湯はやっていて、喫茶店(モーニングは300円~500円)も早くから開いている。
午前6時、7時位にいつも盛況なスナックのような飲み屋の前をわたしは毎朝横目で見て、通り過ぎる。
かなりの安価で作りたての総菜を売る店も7時前にはいつも開いていた。
三角公園に行く途中の煙草屋さんは日の出と共に開いて、店先に座っている店主(おじさんかおばさんのどちらか)の姿を確認すると、なぜかわたしはほっとした。
ここの人を早朝から見守っているんだ・・・そんな感じを受けたからだ。

夕方、大阪市西成区の動物園前一番街のアーケードの通りはそれなりに活気づく。
入り口のガラス戸がガタガタで閉じないような古い建物に入っている、カウンターだけの趣ある飲み屋を何軒か通り過ぎながら、わたしが男性ならふらっと入ってしまっただろうと、通る度いつも同じことを思った。


昨年キューバを旅したとき、新しく建てられたばかりの五ツ星の白いホテルを見上げながら思った。
このホテルのバルコニ一で、キューバ人の月給の一ヶ月分(3,000円程)の豪華な食事をひとりで食べるのと、
ハエを手で払いながら皆で食べる、決して美味しいとは言えないけれど温かい食事のどちらを選ぶかと考えたとき、すぐにわたしの答えは後者だと思った。(ハエを払いながら食事をすることはこの国では一般的)
そんな問いを常に突き付けてくるハバナ―という都市がわたしの中に脈々と生きている。
キューバでのことは、あれからずっと続いているのだ。




相対的にしか都市を見ることができないわたしが考えたことは、大阪を撮るに当たり西成区に拠点を置こう思った。
ここで写真を撮ることは、倫理的、治安的にも、最も困難だと思われたからだ。

毎朝わたしは西成の太子や萩之茶屋の三角公園、あいりん地区職業安定所などに向かった。
大概の人にじっと見られることにも、少しづつ慣れていった。
写真はほとんど撮れないのだが、そこから大阪市内の別の場所へ移動し一日歩き、夕方また西成区・太子に戻ってくる―そんな生活を変わらず続けていた。

そういったことから、写真を撮るという目的がなければこの町に滞在するということはなかっただろう。
自分が見たいもの、撮りたいものを捜していく途中、西成区に立ち止った、という感覚だ。
逆に言えば、写真がきっかけで、大阪市・西成区に少しの期間、居ることができたのだと思っている。

「1,000円しか所持金がないおじちゃんが、自分にご馳走してくれようとした」
西成に滞在した旅の人のブログに記されていた言葉だ。

そんなことが決して不思議ではない感じが、確かにこの町にはあると思う。

わたしはこの旅で、この町をただ歩いただけなのだと思う。
そっと触れるようにして。
それだけでも、刺さるような感覚や、ずしりとこころが重くなるような時もあった。
人のやさしいことばや、明るさに触れることも多かった。
その体験で十分だと、今思っている。