―生きる―という問いに向けて
この作品とは少しだけ歩幅を合わせることができたように思う。
もうじき私の旅は終わろうとしている。
それは日常を生きながらの旅だった。
次はどんな旅ができるのだろうか・・・。
予感はあるが確信はまだない。
河口の岸辺から、私はやがて波そのものに惹かれるようになっていた。
波を見ていると、これ以上の被写体はないのでは・・・と思う。
アスファルトのこちらに対する無碍な突き放し方・・・
その冷たさと弱さと少しのやわらかさが、
私は気に入っている。

人は風景写真を観て何を考えるのか・・・。
いや、
何かを考えるために風景写真はあるのかもしれない。
力を抜くことの大事さが、ここ最近ようやくわかってきた気がする。
人としても、作品作りに於いても然り。
言葉をくれる人がいる。
私が羽田を撮る意味を深く探るよう
手を貸してくれるのだ。
私だけの世界から他者の視点や言葉が届き
また作品が膨らみをみせる。
この変化は、
考えてみればそれは面白いことだと思う。
ここに通い始めたころを思い出す。
目にするものすべてが新鮮で、同時に畏怖の念を抱いていた。
私はずっと羽田の潜在的な大きさを感じていたのだ。
心の中でつかえている些細なわだかまりも
比較的大きな問題も
ここでは同等になってしまう。
大きな流れの中にも
自分だけの波を感じ、それを受け止め、表したいと思う。