助走は長い方だと思う。
思えばこれまで助走しかしてこなかったのかもしれない。
表現するということを考え続けて、はや25年近くになる。
完成度の高い作品を出したいとは思うが
ひとつに完結してはいけないと思っている。
何か含みや次の展開、示唆がある作品をつくりたいと
ずっと思っている。
2014/09/27
2014/09/14
ずっと見ていた風景 3
実家のケヤキの大木は裏庭の奥まったところにあって
ふと思い立って近づいてみるときがある。
ケヤキは孤高の輝きをまとい
神聖な雰囲気さえ漂わせている。
幼いころは鳥の巣箱を幹に掛けて
友達のように仲良く遊んでいたのに、
今はどうしてひとりでこんなに大きくなってしまったのだろう・・・と
少しさみしく思いながら
私は見上げるだけだ。
2014/09/11
ずっと見ていた風景 2
よく写真家の心象風景は育った環境が大きく影響するというが
では他の何が心象風景に影響するのか逆に聞いてみたい。
頭の片隅にある懐かしい子供の頃の記憶は
風が通り抜けるのが得意だった我が家の内部の造りのように
ス-ッとあらわれては、一瞬でどこかに消えてしまう。
好きだった南東向きの小さな部屋。
トラ色のペルシャ柄の絨毯が敷き詰められていて
それを見るとなぜか不思議な気分になった。
玄関はいつも暗くて、どうにかならないかな・・・とずっと思っていたが
今住んでいたら、屋根をくり抜いて天窓を作っているだろう。

ずっと見ていた風景 1
実家に庭の手入れのためしばらく滞在してひとつ気が付いた
ことがある。
それは私は18年間、家の中から見える風景を長い時間見てい たことだ。
家そのものを見ていたのではなく、窓越しに見える風景を見て いた。
当たり前と言えば当たり前の事なのだが
1階や2階、東側や南側に色んな窓やガラス戸があり
そこから切り取られた風景は、全部違っていた。