2014/04/06

内野雅文回顧展・新潟市

とどまらぬ長き旅の・・・
           
内野雅文写真展/砂丘館 ギャラリー(蔵)ほか/
19,Nov-15,Dec,2013/新潟市

  2008年1月1日、大晦日の京都で撮影中に倒れ、34歳で亡くなった写真家、内野雅文さん。
  彼の回顧展を観るため新潟を訪れたのは、2013年師走。

  遺作「KYOTO」のシリーズを始め、人々や風土を35ミリ・モノクロームで追い続けた「うりずん」
「東京ファイル」、カラー写真の「車窓から」
 そして彼の代表作でもあり、問題作とも言える「ケータイと鏡」
 これらの作品が、*砂丘館の味わいある日本建築の部屋の中―床の間や廊下にひっそりと
しかし確かな光を放ちながら展示されていた。
 動線の一番奥まったところにある「蔵」を改装したギャラリーには、大きなサイズの作品や、シリーズものがまとまって展示されている。
 内野さんが東京造形大の在学中に撮った写真は、古いものでは、私は20年振りに見るプリントで、懐かしい。
 阪神淡路大震災のあった年、私たちは大学3年の冬だった。
 「被災地をどう撮るか?」と彼は模索したのち、4×5のリバーサルで被災地の中心から少し離れた小さな町を選び、丹念に記録した写真は力作だった・・・。
 あの時分(私は)彼には4×5の撮影スタイルは合わないと思っていたが、今見るとそうでもないな・・・などと勝手な感慨にふける。

 今回の展示は、清里フォトミュージアム所蔵のプリントと、石井仁志さん(企画ディレクター)が直接預っていたプリントから構成され、シリーズによっては、点数不足のものもあった。
 しかし砂丘館本館と「蔵」の変化に富んだ空間を利用して、展示はうまくまとめられていたと思う。
 内野さんの写真を何より大事に思う石井仁志さんと、大倉宏さん(砂丘館館長)の温かい眼差しが伝わってくるような作品の配置、構成になっていた。

 内野さんの死から丸5年が過ぎた。
 彼の死は本当に遺憾だ。でもこうして新潟の地で彼を知らない多くの人が写真を観て、考え、その写真とともに時を過ごしている。
 
 この日(12月7日)は「蔵」のスペースでギャラリートークがあった。
 2階の会場は「KYOTO」のモノクロ写真の作品で埋められていた。
 「ストリートスナップショットをめぐって」というテーマで、この展覧会の企画者である石井仁志さん(20世紀メディア評論・メディアプロデューサー)が、松沢寿重さん(新潟市美術館学芸委員)と対談し、進行役を甲斐義明さん(新潟大学人文学部准教授)が務める。
 主に新潟出身の写真家、牛腸茂雄さんの写真論とスナップショットについて話は終始したが、後の質問コーナーで客席にいた新潟大学人文学部の教授で*総合プロデューサーでもある原田健一さんから「もっと内野さんの写真の背景について語ってもよいのではないか?」との意見が出たが、それは正しいと思った。
 会ったこともない若い写真家の作品を観て、それについて論じろ、というのは専門家とはいえども難しい事なのではないかと思う。更にはギャラリートークなどの公の場において、軽はずみな発言もできないという気持ちも分かる。
 しかし、内野さんの回顧展の空間でのギャラリートークなので、もっと彼の作品について触れるべきだと思った。論じるなどと形式的な事でなくて良いから・・・。

 このような内容のギャラリートークであったが、全体にはとてもレヴェルの高い、内容の濃い写真論に終始したと思う。三人の方がそれぞれの立場で話し、個々の写真に対しての情熱を感じることができた。

 内野さんも会場の隅で聞いていたと思う。






*砂丘館は戦前の日本住宅で、旧日本銀行新潟支店長役宅として使われていた。
約15年前に新潟市が取得。10年ほど前に芸術、文化施設としてスタートしている。


*この展覧会「内野雅文写真展・とどまらぬ長き旅の・・・」は2013年“にいがた地域映像アーカイブ
クインテット”という名称で、―新潟大学人文学部、新潟県立生涯学習推進センター、新潟日報社、
砂丘館、新潟市歴史博物館みなとぴあ―これらの主催で、新潟市内5ヶ所の展示施設で連携して写真の展示や映像、そしてシンポジウム等が行われた。(2013年11月~12月)
内野雅文さんの回顧展はその企画の一つとして石井仁志さんによって企画され、
砂丘館で展示された。
                           (総合プロデューサー:原田健一さん、石井仁志さん)