マイディ村は、いくつもの山が連なる、その頂上付近や斜面に畑や家を造成しており、村のメインストリートを軸に、山嶺に沿って延々と細く長い道、そして道沿いには家々が続いている。
遥か向こうの山肌にも、同じく急斜面を細く区切って作った段々畑の景観を臨むことができ、おそらくそこもマイディ村という名称なのだと思った。
山間のそうした村の人口は多くないのだが、村の端から端までが長大に延び、徒歩で村中を移動することは一日仕事であろうと容易に想像ができた。
いくつかあるマイディ村のバスの停車所の終点で降りたのは、正しかった。
マイディ村に到着したその日はすっかり日が傾き、急いでその辺りでホームステイできる家を捜した。そして翌日にはバッドリさんのお家を訪問し、バッドリさんの両親とその親族に会うことができたのは、この旅に同行してくれた小川さんとビカスさん(ネパール人ジャーナリスト)のお陰だと、旅が終わり暫く時間を置いてから、遅れ馳せながらわたしはようやく気付いたのだった。
そしてマイディ村は、わたしのなじみ深い長野県の戸隠村のようなものかな、と思った。
広大な山間部の戸隠村で、情報が少ないまま徒歩で一軒の家を捜すことは、たいへん骨の折れることだとすぐに理解できたからだ。