横須賀上町「ハナトイト」での由良環写真展『WATER ROAD』が始まりました。
横須賀中央駅から西口を出て、県道26号線を山手の方に登り、道なりに7分ほど歩きます。
セブンイレブンのはす向かいになります。
作家在廊日
・4/26(土)15:00-
・4/29(火・祝)15:00-
・5/3(土・祝)11:00-(16:00-トークがあります)
・5/4(日・祝)15:00-
・5/10(土)15:00-
横須賀上町「ハナトイト」での由良環写真展『WATER ROAD』が始まりました。
横須賀中央駅から西口を出て、県道26号線を山手の方に登り、道なりに7分ほど歩きます。
セブンイレブンのはす向かいになります。
作家在廊日
・4/26(土)15:00-
・4/29(火・祝)15:00-
・5/3(土・祝)11:00-(16:00-トークがあります)
・5/4(日・祝)15:00-
・5/10(土)15:00-
WATER ROAD-大阪市西成区三角公園あたり- 由良環写真展
企画:阿部明子
期間:2025年4月25日(金)-5月11日(日) 水/木 休み
場所: ハナトイト Gallery and Art Space
所在地:〒238-0017神奈川県横須賀市上町1-45-2F
京急線「横須賀中央」駅西口を出て、山手の方へ徒歩7分。上町商店街並び
連絡先:Atelier FAM代表 石井俊輔 080-8902-9319
Open:11:00-18:30
◆トークイヴェント
2021年の「Partir」展に続き、大日方欣一さんをお招きして写真について語りあいます。
5月3日(土・祝(憲法記念日))16:00-17:30 *17:30~会場内で懇親会あり(差し入れ歓迎)
参加費¥500(学生300円・中学生以下無料)
大日方 欣一(フォトアーキビスト・九州産業大学 芸術学部 写真・映像メディア学科教授)
+
由良 環 司会 阿部 明子
*参加ご希望の方はお早めに会場においで下さい。(先着20名)
<展示に際して>作者のことば
2015年にリフレクション写真展(湊雅博さん企画)で知り合った阿部明子さんが家族で神奈川県三浦市に移住して早数年・・・。
阿部さんは「三浦写真を観る会」なるものを自宅で定期的に開催しています。
その中のひとりで、服作りをお仕事とされている石井俊輔さんが、自身の構える店の二階にギャラリーを作りたいと阿部さんに相談し、こけら落としとして私の写真展を開催する運びとなりました。
石井さんがデザインから縫製までを手掛ける、素材と風合いを生かしたオリジナリティ溢れる洋服と、厳選された古着を売るショップになっています。(atelier FAM)
また同じ店内には「Maree Chanter」が。こちらは橋本梨沙さんが営む花屋さん。エキゾチックで独特な美をたたえた花束が評判で、古い什器やガラスの置物に囲まれた店内は異国にタイムスリップしたような気持ちにさせてくれます。
古くてどこか懐かしい空間を抜けて階段で2階に上がると、「ハナトイト」へ。
オープンは4月25日11:00~になります。
春の横須賀へ、海と街と写真を観にいらっしゃいませんか。
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WATER ROAD-大阪市西成区三角公園あたり-©由良環 |
フィルムフォトのアクチュアリティー
The Actuality of Film Photography
由良 環 船木 菜穂子 小平 雅尋
小平 雅尋/ Masahiro Kodaira
モノクロームのスナップショットによる根源的な風景の探求を通じて、自己と世界の関係性を探る。代表作に『ローレン ツ氏の蝶』(シンメトリー 2011)、『他なるもの』(タカ・イシイ フォトグラフィー/フィルム 2015)がある。近年は新たな アプローチとして、いつも同じ時間に現れる青年を定点観測した『同じ時間に同じ場所で度々彼を見かけた』(シンメトリー 2020)や、コロナ禍の自室の生活をセルフポートレートしたモノクロームと、その部屋の窓に見える光景のカラーフォト を組み合わせた『杉浦荘 A 号室』(シンメトリー 2023)を出版。サンフランシスコ近代美術館に作品が収蔵されている。
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東京アートミュージアム〒182-0002
東京都調布市仙川町1-25-1
TEL:03-3305-8686
FAX:03-3305-7491
小平雅尋
船木菜穂子
由良環
2021年10月6日 由良環
会場撮影/湊 雅博
2021年9月9日(木)~9月15日(水)
AIDEM PHOTO GALLERY [SIRiUS]
10:00-18:00 日曜休み(最終日は15:00まで)
東京都新宿区新宿1-4-10アイデム本社ビル2F 03(3350)1211
東京メトロ丸の内線「新宿御苑」駅下車徒歩2分/東京メトロ丸の内線、都営新宿線「新宿三丁目」駅より徒歩7分
http://www.photo-sirius.net
<ギャラリートーク>
9月11日(土)16:00-17:00
大日方欣一(フォトアーキビスト)・由良環(写真家)
大日方欣一氏を招いて、写真展会場でクロストークをします。
参加費無料
*新型コロナウイルスの感染予防のため、完全予約制の上、少人数で行います。(人数制限を設けています)
*定員に達しましたので、受け付けを締め切らせて頂きます。
参加ご希望の方は、下記のメールアドレスまで、お名前とご連絡先をお知らせ下さい。
books.shiromizusawa@gmail.com
宇波彰さんがこの1月6日に亡くなられた。
この方との不思議な出会いと関係性は、印象的と言う他ない。
朗読家の岡安圭子氏から贈られた本『旅に出て世界を考える』(宇波彰著:論創社)の中からTOPOPHILIA(トポフィリアー(場所への愛))という概念を知り、自身の写真集を『TOPOPHILIA』と命名したのだった。
「TOPOPHILIA」という言葉を写真集のタイトルにしても大丈夫か、という(岡安さんの友人ではあるけれど)見ず知らずのわたしからの手紙に対し、宇波さんはすぐにお電話を下さった。「問題はないけれど、本を読んだ方が良いです」というお返事だった。
「本」というのは、イー・フートゥアン著の『TOPOPHILIA』だ。
TOPOPHILIAという概念を提唱した文化人類学者のイー・フートゥアン氏の書いたこの本は、こんな機会がなければわたしにはあまり縁のない類の内容だった。いわゆる、やわらかい学術論文である。
理解が追い付かない部分も時に現れてきたが、読み進めるうちに次第にその内容に引き込まれた。
8年を経た今も、この本のラストに書かれてある行が、ふとわたしの脳裏によぎることがある。
ーひとは、自然豊かな場所で思い切り息を吸い込み、自然と一体となってリラックスする時も必要、その一方で、N,Y近代美術館の一室で、現代美術の作品を前にするような心地良い緊張感のある時の、両方が必要だーと。(イー・フートゥアン氏は中国系アメリカ人)
いま、こころからわたしはそのように思うのだ。
ー
2014年、中国へ撮影旅行に出かける前に宇波さんにお手紙をしたところ、中国は好きで20回以上も行かれたとの旨。そして好きな場所が幾つか記されていて、そのひとつに黄山ー山東省とあった。調べてみるとそこは水墨画のモデルとなるような風光明媚な場所であった。都市をテーマに写真を撮っていたわたしは、いつかそこに行ってみたいなぁと、かなり羨ましく感じたことを覚えている。
ー
仏文学科を卒業されているのに、アメリカ合衆国とフランスが嫌いだとおっしゃったことばも、印象的だった。(文化ではなく、国政として、とのことだと思う。それにはわたしも同感だ)
宇波さんが自宅で行っていらっしゃった、月に1度の講義、そのレジュメをいつも送ってきて下さり、東京造形大学出身の画家の作品についての評論を書かれた際にコピーを送って下さったり、新聞の誌面でのお仕事、面白い版形の、若い人が作っているという自主制作冊子にノーギャラで寄稿したりと、その活動の幅は様々な垣根を悠々と越え、独自のスタンスを貫いていらっしゃったように思う。
ー
宇波さんが亡くなられたと聞いてもあまりピンと来ないのは、既に昔から宇波さんのことばや魂が、わたしのこころに住んでいるからなのだと思う。
2019年にネパールからお葉書したのを最後に、宇波さんとの文通は途絶えた。というのも、ネパールという国は、首都の中央郵便局から出した手紙さえ届かない、それも仕方のない国なのだ。
それならばわたしから再度お手紙すれば良かったのだとも思うのだが、わたしはもう十分満足してしまったのだ。
2018年の7月、台東区の櫻木画廊でのわたしの写真展の中、岡安圭子さんによる朗読会(「リルケを読む」)が行われた。宇波彰さんも若き日に熱中したとおっしゃっていたライナー=マリア=リルケのことば、ハバナのモノクローム写真に囲まれた空間、そこに宇波さんも居られた。
そのときー岡安さんがリルケに、彼女自身の魂が入っていったような感じに、わたしは襲われた、あの時あの場所で・・・・・。
宇波さんとの会話を、わたしはこれからも続けていく。
「人間至る処青山あり」ということばの放つイメージが昔から好きだ。意図せずに転地を求められた(半分は自分から求めた)若くない知人に、このことばを贈ったのは3、4年前だったか・・・。
大阪から離れて東へ向かいながら、車窓から見える京都の山(というよりも、丘それか、古墳かもしれない)の表面に生えたやわらかく、ふわりとした藪が目に入る。角が削がれた感じがなんとも長閑で、これはこれで美しいのだな、と思う。
故郷の景観だけが特別に美しいと思うこと何て、到底できない。
ノートを見ると、2年前に大阪で書いたことばがあった。
ー街とは、ひとりの人間にとって親のようなものだ。好きだったり嫌いだったり、そのもとを離れることもできるし、居続けることもできる。そうして年齢とともに、街への見方も変化していくー
初めて撮影のために滞在した2018年の大阪から早いもので2年。まだ撮影を終えられないでいる。
今年に入ってからは、コロナ渦の中での撮影で、大阪で暮らし、働く人の心の動きのようなものを感じることができているように思う。
ずっと昔、大阪出身で東京で暮らしている人に「本当の大阪の人は品が良いのですよ」と言われたことがある。たいへん失礼ながら、そのころはメディアなどから植えつけられた一方的な大阪のイメージを持っていたわたしには、それは簡単には信じられなかった。
しかし今大阪の街を歩いていると、実感としてそのように思う。
撮影をしながらわたしはとてもゆっくり歩いている。急に止まっては撮れないし、そのようにしたら、挙動不審者になってしまうからだ。そしてゆっくり歩かないと見えてこないこともある。(1日の終わりに近づくと単に足が疲れているという理由でもあるのだが・・・)
そうすると、自転車に乗った人や慌てて歩いてきた人に必然的にこちらが道を譲ることが多くなる。その瞬間「ごめんなさい」と、やさしく、やわらかく、もの静かに言葉を掛けてくるご婦人が昨日だけでも三人はいた。
その声の発し方、タイミング、ボリュームなどが本当に素晴らしい。この方達は普段から言い慣れているのだと感じた。
大阪は、都市としてのボリュームが大き過ぎないことが、この街を「人間の街」たらしめていると、わたしは思う。
柴崎友香氏の小説の中で「大阪、この街が大好きだ」という行を目にして、はっとしたことがある。同時に、人にそう思わせる街とは一体どんな要素が揃っているのだろうか?とも思案した。
大阪市内の其々の地域性や特性を体感としてざっくりと認識でき、自由に移動できる範囲内に、この街(大阪市)の体積は何とかおさまっているとわたしは思う。丁度良い大きさの都市ーと聞くと、パリやローマの街も頭をよぎる。
そしてきっとそれは自転車でも市内を隅から隅まで駆け抜けることができるような距離感であると思う。
山や海に囲まれているため、街がこれ以上膨張することを自然の力が阻止したのだが、それで良かったとわたしは思う。
今、大阪市民は大きな過渡期にいる。
大阪都構想を進めるか反対かの選択を、市民は迫られている。
都市の機能だけが先走った街に未来はない。どうか良い部分をずっと変えないで、守っていってほしい。
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Osaka,2018 |
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