2020/05/20

monochrome

モノクローム写真を撮り、それを続けている理由が、この何ヵ月か庭とその周辺をずっと見て過ごしていたからだろうか、ふと浮かんだ。

真冬から春へ・・・そして初夏へと移り変わる自然の変化は実にドラマチックだ。体感する日の気温差は、想像以上に激しい。
そして春に近づくにつれ、茶褐色だった地面は、弱々しい黄緑色の草たちが顔を出す。それらはやがて逞しく地面を覆い始め、茎や枝は太く固く力を増していく。
そして無数の緑色は、徐々に淡い色から、青に近く、深く変わっていく。

そう、色は変化していくものだ。

だからこそ、変化しないこと、ものをわたしは撮りたいのだと思った。
それは何かーものごとの成り立ち、そこに在ること、存在するということ。
モノクロームとは光、もの、影、そのシンプルなハーモニーのみで命を与えられる。
そして頭の片隅に何ものかを持っていて、
更にそれと被写体がうまく融合すると、真価を発揮する。

では、カラーの映像表現とは何だろうか?
カラー表現とは、まるで氷や水の上を滑っていること、それが止まらないような景色がわたしには浮かんでくるのだ。
同時に、そのものに入り込む、一緒くたになる、ものと混じり合っていく行為のような気がする。

ものと対峙して、それを見つめているイメージのモノクロームに対し、そこに飛び込んで混ざりあっていくのがカラーだとー。
庭を見つめながら、ふとそんなことを思った。