2019/04/28

ネパールへの旅―ハリオン 10―



2泊3日、ハリオンでの日々。
立て続けにさまざまな出来事が身に起こり、わたしはただそこに立っているだけの人、だった。

頭の中で物事を組み立てたり、考えたり、ことばで返すということは間に合わなかったし、叶わなかった。

そんな激しい流れの渦の中にわたしはいたように思う。

ハリオンでの時間は幼年時代の体験に近いものかもしれないと、いまその時間を振り返りながら、じわじわと感じるのだ。







 



2019/04/24

ネパールへの旅―ハリオン 9―


孤児院のこどもたちとのおだやかな時間。

不可触民とされているひとびとの住む地域でおこなわれた、
子どもたちに向けた小川さんとサパナさんによるおりがみ教室。

フェスティバルで出会った地域のひとびとと、食べたり飲んだり踊ったりした夜。

ごく僅かな滞在の日々で、一体どれくらいのひとびとと出会ったことだろう・・・。

そのことの意味や、与えられた影響―まだ消化できてはいないけれど、日本で日々を送っているうちに、すこしづつだけれど、整理できるようになってきた。

それはどうだったのか、わたしは写真に聞いているようなところがある。

写真を撮った自分がまるで別人物かのように・・・。







 
 
 

 
 
 
 


2019/04/21

ネパールへの旅—ハリオン 8—

お祭りというのは、どこの国や地域でも似たような空気がながれているものかもしれない。

ハリオンでのフェスティバルの写真を見ていて、小池昌代の随筆中のくだり、深川の水掛け祭り*での、多感で危うい思春期のころの記述が、思い出された。

この日はだれもが、ソワソワ、ワクワクといった非日常的で特別な感情を持っても良い日—なのだろう。


*小池昌代が育った江戸、深川に古くから伝わる夏祭り。











ネパールへの旅—ハリオン 7—

この地域のフェスティバルの会場の中では
夕方くらいから様々な催しが行われ、子どもたちのみならず
若者や大人にとっても、それは楽しいハレの日になっていることがうかがえる。








2019/04/18

ネパールへの旅—ハリオン 6—

彼女がわたしたちにチヤを出してくれ、サロージさんと話しこんでいる。

わたしたちは家の前のちょっとしたスペースで、この辺りの土地でしか見られないような果物の実を見てあれは何だろう、などと話をしながら風に吹かれていた。
彼女は時折訪れるお客さんに対応したり、わたしたちのためにサトウキビをお土産にと収穫し、運びやすいように加工してくれたりと、動き続けている。

フィルムを交換している姿を見て、サロージさんが、なぜフィルムで撮るのかとわたしに聞いてきた。
「これはモノクロフィルムで、現像からプリントまで全部自宅で出来て効率が良いから、そして大きくプリントを伸ばした時、とても美しいから」などと説明していると、彼女がじっと好奇の目でわたしを見つめ、結婚しているのかと聞いてきた。
「Yes」と答え、今度はわたしが彼女の歳を聞いた。
そしてわたしたちはほとんど同年代だということが分かった。

同じ女性として、わたしの生き方が不思議な感じがするということは、容易に想像できる。

家族のため、子どものため、人のためにずっと働く女性―そしてネパールの女性は大方そうなのだろう。。。





 


ネパールへの旅―ハリオン 5—


時折雨の降りしきる中、サロージさん運転のジープは次の集落へ。
サロージさんのプロジェクトで10年前に知り合った
もと生徒の女性の住む家へと向かう。

そこは立派な家々から成る集落で(その家は彼女の夫が友人たちと何人かで建てたとのこと)
彼女が小売店を営み、家、畑、納屋などがある、穏やかでのどかな一帯だった。












2019/04/14

ネパールへの旅-ハリオン 4-


コミュニティハウスを出て、集落をぐるっとまわり、家々や、わたしたちを出迎えてくれたひとびとを眺めながら歩く。

こどもたちは、海外のメーカーの衣類を身に着けていて、ひとめでセカンドハンドの寄付の品という事が想像できた。
そして裸足の子がほとんどだった。

しかし、ものを持たないひとびとが貧しいとは限らないと、今、本当に思う―
それは子どもたちの表情が如実に物語っているためで
こんなにも感じの良い好ましさと、謙虚さと、好奇心に満ちあふれているからーだ。



 
 
 

ネパールへの旅―ハリオン 3-



100パーセント非識字のひとびとの住む集落での滞在は、ほんの僅か20分くらいだったと思う。

コミュニティハウスの中でサロージさんが子供たちに何か話しかけている時間がほとんどで、
その間わたしは必死にシャッターを押した。
(開放値で、シャッタースピードが良くて30分の1という条件の悪さだったにも関わらず・・・)

おそらく、もうこんな景色ーひとびと、状況には出会えないという直感から・・・だったと思う。


いま、できてきた写真を見てみると、なぜこんな見ず知らずの人間に対して
警戒心のない澄んだ表情ができるのだろうか、ということにはっとして気が付いている。
もちろん、彼らのサロージさんへの信頼の証なのだろうが、それにしても・・・・・。










 
 
 
  

ネパールへの旅―ハリオン 2―

ハリオンでの二日目の朝、激しいスコールとともに、雹まで降った。
空から落ちてきた雹は、手に取ると数ミリから一センチまでになるほどの大きさで、こんな経験は後にも先にも一度きり、そんな気がした。

「乾季の今、雨でさえ珍しいのに加えて雹まで降るなんて、何てこと・・・!」と
同行の小川さんは幾度も言った。

100%非識字のひとびとの住む集落へ、サロージさんが車で案内してくれる。

そこには、床は土、壁は木と土、屋根は藁とわずかなトタンで作った家が集落を形成していた。

ジャングルを切り開いて作ったようなところ、
その集落の中心部にサロージさんの活動によって建てられた
コミュニティハウスがあり、勉強を教えたり、図書館のような目的で使うとのこと。
といっても、本はどこにも見当たらない)



 


2019/04/11

ネパールへの旅―ハリオン 1―

ハリオンに着いたのは2月8日の15時過ぎ。
宿泊予定のホテルの部屋に通され、荷物を置き、隣の建物の1階のカフェに行くとSaroj(サロージ)さんがわたしたちを待っていた。

ここはインド国境まで20キロほどの街で、インドからの物資輸送車などがひっきりなしに行き交い、そのホテルは幹線道路に面していた。

カトマンドゥとは明らかに違う気候、植生、それにひとびとの顔だち。
ボワンと膨張した空気が、南国であることを伝えてくる。







2019/04/08

ネパールへの旅-Introduction-

ちょうど2ヶ月前、南ネパールのハリオンに居た。
2ヶ月・・・というとひとは多くのことを忘れてしまうけれど、彼らはわたしのことを憶えていてくれるだろうか。

ジープの屋根で揺られる中、写真を撮ってほしいと言われて撮った。
けれどもこれはすぐに見られるデジタルカメラではない。
そのことで彼にがっかりされた。

「ごめんね、」と思いながらも
こうしてフィルムを日本に持ち帰り、現像を終え、プリントに着手しようとしている。

その時間は、自身の記憶や精神の沼で発酵に要する最短とも思える、決して省くことのできない貴重なものなのだ。

ネパールにいる間、ざらざらとした現実を生きている様な気持ちだった。
物事の表面がささくれ、嫌でも記憶に引っ掛かってくるような日々だった。

一方で、わたしが写真を通して見たネパールは、どんなものだったのだろうか。