2017/08/30

中米への旅 -ハバナ 19,August-

<ハバナ 19,August>

今日からハバナで写真を撮る。

朝食後、宿から海まで行ってみる。
徒歩で約10分、海まで行く間の路地に人々がたむろす様子があまりにも良すぎて、ブローニフィルム10本(100枚)は
すぐに撮り終えてしまう。
(数に限りがあるので)少しセーブしなくては
マズイ・・・と思った。









中米への旅 -ハバナ 18,August-

<ハバナ 18,August>

今回の私の旅の大きな目的の一つ、キューバの首都、ハバナのカーサ デ  アジア(アジアの館)での「ENTRE FRONTERAS」の展示が始まる。
日本写真協会賞・新人賞受賞作品の世界巡回展は、初めて
ハバナでの*展示が実現した。



 

*企画、主催:日本写真協会・カーサ デ アジア
 後援:在キューバ日本大使館
この展示は、2013-2015までの3年間の日本写真協会賞・新人賞受賞作家(各年2名・計6名)の作品を世界の都市で巡回する企画である。

日本の写真を通して写真文化の理解と発展を目的としており、特に日本の写真の認知度がそれ程高くない国や都市で行っている。
現在モスクワの、ロシア国立東洋美術館でも同じ展示が行われている。


今日はカーサ デ アジアで「ENTER FRONTERAS」の開会式があった。
カーサ デ アジアの館長で、今回の展示のディレクターであるテレシータ・エルナンデスさんと、在キューバ日本大使館の伊藤ヒカルさんの挨拶があり、それぞれスペイン語、日本語に通訳される。

開会式には、ハバナの写真家や写真が好きな方はもちろん、日本に興味のあるハバナ市民の皆さんが60名も来てくださった。
私はキューバ国営テレビ局のインタビューを受けたり、ハバナの写真家や地元の方々とお話しでき(スペイン語の通訳は日本大使館の方が引き受けて下さる)心に刻まれる忘れられない時間となった。

◆展示作品について

西野壮平さんのジオラマの作品(チラシ右上)は、ハバナと東京の2作品で、これは誰が見てもとても楽しい。
また、清水哲朗さん(チラシ左上)と石川竜一さん(チラシ右下)の作品は、個人的な思いを写真にこめているにも関わらず普遍的で、キューバの人々の心に直に訴えてくるように(私には)思え、ここでも私は写真の持つ力を改めて感じたのであった。

特に石川竜一さんの作品は沖縄を舞台にしているからだろうか・・・沖縄とハバナの風土の共通点も手伝ってか、この地にすっかり溶け込んでいるように思える。

斎藤陽道さん(チラシ中央右)と中井靖也さん(チラシ中央左)の作品は、ふたりの作品の質は全く異なるのだが、共通して日本独特の要素が際立っていた。
斎藤さんの写真は、日本を包む虚無感というベールや、今の時代の空気感を表していると私には思え、それは、キューバの社会とは一線を画している。
中井靖也さんの撮る「鉄道写真」というジャンルは日本固有のもので、鉄道が発達していないキューバでは、たいへん珍しい、異国情緒のある写真になっている。
日本で見ると何も気にならなかった視点が、キューバで展示を観ることでこのように浮き上がってくる事実は、とても面白いと思った。
(モスクワではまた違った見え方がするのだろう)

私の作品(世界の10都市の比較都市論としての作品)は、
ハバナ市民の方々の頭にすんなりと入ってくれたようだ。
日本ではコンセプチュアルで複雑な作品のように捉えられることが多いが、実は至ってシンプルなメッセージの作品である。
それがキューバの人に伝わったことは嬉しかった。

同じ写真でも、環境によってその見え方が変わること、
キューバと日本での写真の見え方の違い・・・これはとても不思議なことだ。

そう、写真とは生きものである。


テレシータ・エルナンデスさんと伊藤ヒカルさん





2017/08/29

中米への旅-ハバナ 17,August -

<ハバナ 17,August>

今朝は5時半に起床してメキシコシティからキューバの首都、
ハバナへと移動する。
飛行機に乗っている時間は2時間半と短いのだが、ハバナの空港で荷物の引き取りに1~2時間(荷物を引き取るゲートを間違え延々と待っていたのだ)
その後外貨からキューバ通貨の*CUCに両替するために2時間以上列に並び、民泊の手配してくれたお兄さんのタクシーで旧市街の宿に着いたのは19時過ぎだった。

今日は本当に長い1日だった・・・。
でも、ハバナ旧市街の想像を超えた風景を目にし、すべての疲れが吹き飛ぶような気がした。

ここは都市というより夢の世界かな・・・?
ひとつのユートピアを形成していると思った。


*キューバの通貨は外国人が使うCUCとキューバ国民が使うCUPの2つがある。
CUC1=CUP25







2017/08/17

中米への旅 -メキシコシティ Ⅻ-

<メキシコシティ Ⅻ>

2週間弱のメキシコシティ滞在が今日で終わろうとしている。
生活しながら街と人の撮影をすることで、私なりにメキシコシティのエッセンスを感じとることができたように思う。
この都市では、人が生き生きとしている、表情や目が、やわらかい人が多いと感じた。

マフィアが警察より強力だという事前情報を聞いていたので、
どれだけ大変な都市なのかと、どぎまぎしながらこの地に降り立ったのだが、少し拍子抜けする位穏やかな人々がいた。

もちろん撮影に関してはすべて順調だったとは言えない。
時に、あまり見かけない姿の東洋人が下町に現れ、フラフラ歩きながら大きいカメラで写真を撮っている姿は良く思われなくて当然である。

しかし私も大義があるので撮らなければならない。

人物を撮った写真はほぼ全てノーファインダーなので、どんな風に撮れているのか私自身予想できないが、それ故に楽しみである。

*明日はキューバへ発ちます。
キューバではネット環境が悪く、ブログの更新は難しいと思いますが、帰国後綴りたいと思います。




2017/08/16

中米への旅 -メキシコシティ Ⅺ-

<メキシコシティ XI>

私の敬愛する建築家の一人、*ルイス・バラガンの自邸がメキシコ市内にあり、予約制で見学することができる。
(入場料300ペソ=約1,800円)
昨日予約のメールを入れてみたところ「今週は予約でいっぱいです」との残念な返事がきた。

それならば外観だけでも観に行こうと宿を出たが、目的の住所に辿り着くが、バラガン邸がどうしても見つからず、諦めてその場を後にすることに…。

行きはメトロ(雰囲気が良くないので極力乗らないようにしてる)
で来たのだが、帰りは歩くことにする。

あまり期待せず、初めての街、初めての道を気の向くまま歩いて行ったのだが、ふと私の写欲にスイッチが入った。
通り、人、街の雰囲気のすべてが良い。

ここはサン ミギュエル チャプルテペックと言って、市内随一の広大なチャプルテペック公園の南に隣接し、コンデサ地区(若者に人気のお洒落なエリア)とタクバヤ駅(危険なエリア)に挟まれた地域だ。


どちらかと言えば貧しい人々が多く住む地域だが、それほど寂れている訳ではない。
個性の際立った3つのエリアに責められ、とても微妙なバランスの上に成り立っている地区のように私には思えた。

恐らく私は、こういう何とも形容し難い地域や場所が好きなのだな…と一人勝手に納得した。

今日の思いがけない“場所との出逢い”は、
自邸を観ることが叶わなかった事への、バラガン氏の天国からの温情だったのかな?と思うことにした。

*ルイスバラガン邸
2004年に世界文化遺産に登録される。
*ルイス・バラガン(1902-1988)
20世紀を代表する建築家。1980年 プリツカー賞受賞。








2017/08/15

中米への旅 -メキシコシティ Ⅹ-

<メキシコシティ Ⅹ>

メキシコシティに来て初めての脱力感、無力感に襲われる。
私のこれまでの経験から、初めて滞在する所は(海外でも日本でも)最初の3,4日が最も大切で、10日を過ぎる辺りから、自分を取り巻く風景が当たり前のものに見えてきてしまう。
そうすると新鮮な感動がないので、考え方を切り替えて別の方法で撮影を進める事になるのだが…。

私は当初、メキシコシティをどういった切り口で捉え写真を作品化するか?ということばかり考えていた。
それ自体はとても大事な事なのだが、それ一辺倒だと(例えば)ビーチに来てずっと経済の勉強しているような事になってしまう…そんな気がしている。

Selesteさんや、彼女の友人たちとの時間、道端で会ったフォトグラファー、旦那さんが日本人だという上品なメキシコ人の女性など、この10日間での出来事…人との出逢いやそれによる場所との出逢いが、私の中でどう咀嚼されて形となって出てくるかな…と今は考えている。


2017/08/14

中米への旅 -メキシコシティ Ⅸ-

<メキシコシティ Ⅸ>

今日はCelesteさんと二人の友達MiguelとMuetroと四人でメキシコシティ、市北部のLagunillaの日曜市へ。

日曜にしか開かれていない割には本格的で、日本で言えば上野のアメ横と古物市が合わさった感じ。
そして市(マーケット)はとても長く入り組んでいて、簡単に迷子になってしまいそうだ。
食べ物、衣服、小物、伝統工芸品、アンティークからガラクタまで何でもあり、散髪やタトゥーの店まである。

市場の活気、モノと人、様々な音や臭いの渦が混ざり合い、
うねりとなって市場を覆っている。
「これがリアルなメキシコだよ」と、Celesteさんは何度も私に」言った。

私一人では不可能だったと思う。
こんな印象的な体験をさせてくれた彼らに感謝します。







2017/08/13

中米への旅 -メキシコシティ Ⅷ-

<メキシコシティ Ⅷ>

メキシコシティで過ごし早10日が経とうとしている。
限られた人々だけど、私がコミュニケーションを取ったメキシカンのことを考えてみると、フランスやドイツなどのヨーロッパの都市の個人主義の徹底した感じとは何かが違う。

人に気を遣ったり、心配したり、穏やかな性質は、むしろ日本人に近いのでは?と思ってしまう。

日本人と決定的に違うのは、人と人の距離の近さ、ボディタッチの多さだ。
話すときの顔の距離がとても近い。
知り合いと会ったとき、女性は(相手が男性でも女性でも)ハグして片方の頬を軽く付け合う。

男性同士は肘を曲げてお互いの手のひらを軽く叩きつけるように握り合い(或いは握手し)その後、片方の頬を軽く付けるという、カッコイイ挨拶が定番だ。



2017/08/12

中米への旅 -メキシコシティ Ⅶ-

<メキシコシティ Ⅶ>

メキシコシティの季節は(日本で言えば)今は秋かな?と思う。
一年中温暖で気温の変動が日本のようにきれいな山型グラフにはならないメキシコシティ。4.5月が一番気温が高くて、現在8月は雨季のため気温は低めとのこと。
今日は最高気温25℃最低気温15℃との発表だが、私はそれよりずっと暑く感じる。
標高が高いから(2.250m)日差しがとてもきつく、それで暑く感じるのかも知れない。

朝、私は決まって半袖Tシャツとトレーニング用パンツを履いて宿を出るのだが、すれ違う人々はジャケットや皮ジャン、薄手のダウンを着ている人までいる。
ブーツを履いている女性も結構見かける。

本当にそんなに寒いのかな?と疑問だが、人種、民族の違い、毛穴の数の違いがあるから感じ方は人それぞれなんだなぁと思う。





2017/08/11

中米への旅 -メキシコシティ Ⅵ-

<メキシコシティ Ⅵ>

アルゼンチンの写真家、SelesteURREAGA(セレステ・ウレアガ)
さんは来日歴2回、今秋*もセルバンテス文化センター東京*にて写真展を行う。
今日は彼女の住むフラットに遊びに行き、その後、メキシコのミュージシャンへのインタビューとポートレートの撮影の仕事を見学させてもらった。

ラテンの国の人々と日本人は正反対だと彼女は頻りに言うが、
それでも毎年日本に来るということは、彼女が日本に惹かれる部分があるのだと思う。
日本人の内面の部分を見たいのかもしれないな、と思う。

お仕事を見せてもらい、色々な話をして、彼女はとても情熱的で素敵な写真家だと思った。





*セレステ・ウレアガさん写真展
2017年11/8~12/8セルバンテス文化センター東京にて角川英治さんと二人展を開催予定。

*セルバンテス文化センターは、スペイン政府がスペイン語とスペイン語圏の文化の普及のために設立。東京都千代田区六番町2-9




2017/08/10

中米への旅 -メキシコシティ Ⅴ-

<メキシコシティ Ⅴ>


メキシコの建築は2,000年以上に渡って形作られ、様々なスタイルが混ざりあっている。
プレヒスパニック様式、モリスク様式、ユダヤ様式、コロニアル様式、19世紀のフランススタイル、アールデコ、アールヌーボー、そしてルイス・バラガンなどの前衛的な建築デザイン。

メキシコシティでは、角のまるい建物が多く見受けられる。
私は建築のデザインとして、角のまるい建物がとても好きである。



中米への旅 -メキシコシティ Ⅳ-

<メキシコシティ Ⅳ>

撮影を始めて4日、だんだんと街や人の様子が見えてきた。

人々の服装、食べる物、歩き方、話し方、表情、そして目の奥に宿るもの…。
この都市の人々が大事にしていることは何だろうか…と撮影をしながら私は考える。













2017/08/08

中米への旅 -メキシコシティ Ⅲ-

<メキシコシティ Ⅲ>


街を歩いていると、じっと見つめられることがよくある。
推測するに、数少ない東洋人の顔や立ち姿や肌の色が物珍しいのだと思う。
大人はちらっとこちらを見てくるのだが、じっと見つめてくるのは大抵少年だ。
そのためこちらも自動的に彼の顔を見ることになるのだが、
沈んだ焦げ茶色の滑らかな肌と、吸い込まれるようなグレイの瞳は、人種の血が混じり合ってきたこの国の歴史のことが直に伝わってくるようだ





2017/08/07

中米への旅 -メキシコシティ Ⅱ-

<メキシコシティ Ⅱ>

偶然通り掛かった(宿の)近所の古本屋に、心ひかれて思い切って入ってみる。

店のご主人に「観光旅行ですか」と聞かれたので写真家です、と答えたところ、二階の写真集のコーナーに案内してくれた。
二階はロフトの作りになっていて、近くでは二人の店員さんが古本の修復をしていた。

あまり重い本は旅程が長いので避け、薄い本を選んで買った。
イタリアの写真家NiloCaprettiのもので、1996年にメキシコで展覧会があったときの図録とのこと。
タイトルは『LaCiudad』で日本語に訳すと「都市」である。
こんな都市の捉え方もあるのかという、この写真家の独特な視点は、またも写真の奥深さを知ることとなり、この旅が始まったばかりで先の見えない私の心はグラグラと揺れる。





2017/08/06

中米への旅-メキシコシティ Ⅰ-

<メキシコシティ Ⅰ>
メキシコシティへ着いて2日目。
今日は近所の散策と道を覚えるために、ただ歩くのみに徹した。
メキシコシティの第1印象は、簡素な建物も歴史的な建造物も、ほこりをかぶったように古ぼけていて、昔の映画のワンシーンを見ているような、そんな雰囲気の街だと思った。
そして、人は穏やかである。

タクシーの運転手さんも安宿のフロントのお姉さんも、自分の英語がイマイチですみませんと謝ってくる。
そんなことないですよ、と彼らの謙虚さに私の方が恐縮する。

大江健三郎氏の小説『「雨の木」を聴く女たち』の中にも、私の叔母のメキシコ旅行紀の写真にも登場していた、濃いピンク色の南国の花ブーゲンビレアが、淡い土壁に映えてはっとするような色香を漂わせている。















2017/06/17

展示を終えて


今回の展示期間中、4人の写真家とトークセッションをしました。
写真を言葉で語る必要はあるのか?という意見もありましたが、私は敢えて映像を言語化するという事をしたかったのです。

今回の展示作品の中で行きつく果ては羽田の水際の写真です。ではなぜこの場所が私は気になったのか、拘って撮ったのか、行きついたのかが、展示が終わってからもずっと自分の頭の片隅にありました。

19~21歳ころ、大学にはあまり熱心に通わず、真剣に作家活動をしていました。私は絵(抽象画)を描いていて、線や円柱を様々な表現で延々と描いていました。
今考えますと〝形と色″〝線″〝境界線″に対する問題を、その当時絵画によって追求していたのだと思います。
今回の羽田の水際の写真は、過去に絵画でやろうとしていた平面における境界線への純粋な追求が露出していると思います。
(繰り返し同じモチーフを描き続けることは、TOPOPHILIAの仕事にも共通する手法です)

もうひとつは、私が他者(社会)に向かう時の立ち位置の問題です。
今回の水際の写真は、地面と水面が対角線上に切られ、そのキワ(せめぎ合い)の状況は写真によって様々ですが、だいたい半々の面積が取られています。
私が望む社会に置かれた自分の場所-即ち私が問題としたいことが、内側に籠ることではなく、社会の中へどんどん入っていくことでもない、ちょうど向かい合っているまさにその瞬間を常に選び、立っていたい-抽象的な概念ですが、私には他者(社会)に対してずっとそのイメージがあります。
その概念が、今回の羽田の水際(特に地と水の面積が半々で占められているという点)の写真に出ているのではないかな、と思っています。

私が羽田で水際に行きついた事とその構図についてこのように分析しましたが、5年後に考えは変わるかもしれないし、死ぬ間際には別の捉え方になっているかもしれません。

しかし作品を「言語化する」ということがひとつ前に進むことのように思え、今この文章を書いています。

この企画を進めて下さった湊雅博さん、写真について一緒に考えてくれた四人の写真家の方々
企画を快諾して下さった表参道画廊の里井さんには、この場を借りてお礼申し上げます。

















2017/06/13

展示終了のご報告

「重力の辺」(じゅうりょくのほとり)が終了しました。

当初私は羽田の土地の神秘性に導かれるように撮影してきましたが、気が付けば自身の内面を探るような作業に変化を遂げてしまったことを報告しなければなりません。

川島紀良さん(6月8日のトークセッションのゲストの方)より
「由良さんが羽田で遊んでいる」
という浮遊感を帯びた魅惑的な言葉が、この仕事をもっともよく表していると思います。

また、今回の展示に協力して下さったすべての方々に心から感謝いたします。



                写真:湊雅博


 
              

2017/06/12

トークセッション6/6 由良環×田山湖雪さん



写真:湊雅博
田山湖雪さんは、羽田の歴史や地勢を文献で調べ、多摩川の上流域の青梅まで遡って実際に見に行きました。それは彼女が静岡県藤枝市で撮っている作品、瀬戸川を遡る仕事にもリンクしているのですが
いつの日か彼女が東京や、そこの河を撮る序章のような気が
(私は)しています。

田山さんが見せてくれた藤枝の新作は、緑の勢いや自然の力を感じる描写に満ち、それは彼女の精神性そのものを映し出しているようだと思いました。