カトマンドゥの雑踏の中で、感じたこと。
どの国の都市でも、わたしがストリートを歩いているときに、そこで働き、生きるひとびとの放つ、鋭さのようなものを感じたいと願う。
言い替えれば、わたしはそれを手がかりにして写真を撮っているのだと思う。
ここカトマンドゥのばあい、それが限りなくソフトに近かった。
日本に手紙を書いて投函したが、かなりの確率で届かなかった。人と待ち合わせをしても、遂に現れなかった。
緩すぎる国の仕組みや、人々の時間に対するルーズさは、別の意味ではひとを許すことにも繋がっているのではないだろうか。
これほど写真家冥利に尽きる国はない。