2018/02/06
ハバナ (8)
ハバナは、わたしに力を抜くことをさせてくれる場所だったようにおもう。
あっけらかんとした空気、途切れることのないおだやかな日常。
だからひとりで力を入れても仕方がないと思えてくる。
そして時に、向こうから明るさやあたたかさをポンと投げてくる。
2018/02/05
2018/02/04
ハバナ (6)
すべての動物の回遊(旅)は、今いる環境に不都合を感じていることが発端になっていて
動物の旅の衝動は、いやな場所が耐えられず脱出することが原初の形だそうだ。(魚類学者・塚本勝巳氏の談より)
人間の場合もそうなのか、自身に問うてみる。
確かに動物的本能がそうさせている部分は多々あると思う。
しかし、好奇心や社会的興味といった人間に備わった別次元の希求がそれらと複雑に絡み合い、旅への原動力になっているように思う。
そして東京-戻ってくる場所-その存在が、わたしのなかで
否定することも、すんなり受容することもできない位置に、
いつもいるのだ。
2018/02/03
ハバナ (5)
ハバナでの滞在から5ヶ月が経ち、やっとこの都市におこっていることを整理し、何とか呑みこむことができるようになってきた。
それはキューバ社会の仕組みや歴史、気候、産業、人種、文化など今のわたしの環境とはまるで異なる多くの事が一度に押し寄せてきたからだと思う。
スムーズに直ぐにそれを受け入れることができずに、わたしはいくつもの出来事や要素をバラバラに抱えたままの状態で持ち帰り、妙な中途半端で消化不良の心持ちでいたのだった。
ハバナでの撮影のフィルム現像が終わり、プリントをする段階に来た今、ようやく感得しあらたに作り上げる準備が整ってきたのだと思う。
そしてそこからは、実に多くの気付きを与えられている。
2018/02/02
2018/02/01
ハバナ (3)
ハバナの旧市街では、異なる時代の建物がいくつも混在していて修復作業が全然追い付いていないと、カーサ・デ・アジアの館長でディレクターのテレシータ・エルナンデスさんが、石畳の旧市街をゆっくり歩きながら説明して下さった。
そんなことを遠い昔のことのようにわたしは思い出している。
そして瀟洒なコロニアル建築の建物の前を過ぎたとき、ここは妊婦やシングルマザーが相談に来る施設で、費用はすべて無料だとも教えてくれた。
(キューバは医療費も教育費も無料)
2018/01/31
2018/01/30
ハバナ (1)
ハバナはスペイン語でLa Habana(ラ・アバーナ)と呼ばれ
キューバ共和国の首都、カリブ海最大の島である。
わたしが訪れた8月17日からの10日間は一年でもっとも暑い季節、髪も眼も肌もじりじりと焼かれ、太陽の近さを実感として感じた。
この島はカリブの真珠と呼ばれている。
そしてひとびとは、強くしなやかなその肢体は輝きを放ち、わたしの目を休ませなかった。
5ヶ月置いた今、わたしが切り取ったハバナを振り返っていきたい。
2018/01/28
メキシコシティでの撮影を振り返って
この旅で、はじめてわたしはラテンアメリカの地に足を踏み入れた。
帰国して、思いがけずメキシコ在住のアーティスト
*矢作隆一氏の個展が11月に東京であり、観に行く機会を得る。
そして8月にメキシコでお世話になったセレステ・ウレアガさんの来日と再会、彼女の展示に関わることで、多くのことがラテンアメリカと日本の間で繋がっていくような感覚をおぼえた。
メキシコシティでの撮影を振り返ってみると、撮りにくさ、撮影の難しさを改めて感じる。
それ故写真に表出されてくる事柄もあるとは思うのだが、
都市の闇の部分をこれほど感じさせる街を、わたしは他に知らない。
反面、メキシコ人の陽気さと穏やかさが際立ち、彼らの優しさや明るさが私の旅を支えてくれたことは間違いない。
*矢作隆一氏
メキシコ・ハラパ在住の彫刻家。
矢作氏の個展「再-futatabi」は創形美術学校(豊島区西池袋)のガレリア・プントで行われる。(2017年11月4日-18日)
今回の展示は、国が定めた新規制基準に基づく審査を経て初めて2015年8月11日に再稼働を始めた、九州電力川内原子力発電所の付近で採集をした石と、その模刻作品をそれぞれ展示したもの。
沈黙する石、そこに込めた矢作氏のメッセージはたしかな響きとなって伝わってくる。
来日時矢作氏は、広島平和記念公園を訪れ、メキシコの大学生たちが作った千羽鶴を捧げた。
(以下、中国新聞より)
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=77874
2018/01/25
メキシコシティ (41)
メキシコ人の、すこし優柔不断な面、何か強く言われたらしたがってしまう場面を実際に何度か体験し、また、目撃したこともある。
それは、国民性といえるようなものなのかもしれない。
その部分、わたしにはとても好感が持てた。
2018/01/24
2018/01/23
2018/01/22
2018/01/21
2018/01/20
2018/01/19
2018/01/18
2018/01/17
メキシコシティ (33)
一見不自由とも思われるRZの大きさや重さ、かまえる位置を逆手にとり、
相手に気が付かれないように、違う方向を見てシャッターを切る。
ノーファインダーの撮影をここまで駆使したことは初めてだった。
それくらいメキシコシティは、写真を撮ることを遠慮させるような空気が漂っている。
2018/01/16
2018/01/15
2018/01/14
2018/01/13
2018/01/12
メキシコシティ (28)
フィルム現像、ベタ焼き、セレクト、テストプリントという複数の工程を経ることにより
あの日、あの場所でわたしが感じていたことや、感触が
ほかの多くのものを引き連れて、徐々にゆっくりと浮き上がってくるようだ。
ひとつの写真作品をつくりあげることは、
醸造する作業に近いのでは、と最近思い始めている。

2018/01/11
2018/01/10
2018/01/09
2018/01/07
メキシコシティ (24)
メキシコシティの町に、人に、わたしは何を見ていたのだろうか。
写真によってすこしずつ明らかになることがある。
その内容に触れ、はっとすることもあるのだが
それはずっと前から、すでにわたしの中に在ったもののように思える。
2018/01/06
メキシコシティ (23)
フィルムで写真を撮ることは、未来の自分に託す手紙のようだと思った。
像が潜める時間は、長い時で一年もそのままのときがある。
出来てきたネガを見て、過去をすこし距離をもって眺めたり、写真を感じる目に変化をおぼえたりする。
まったく変わらない感覚を、しっかりかみしめる時もある。
その時間が厚みとなって、それに助けられるようにわたしはまた手紙の続きを書き始める。

2018/01/05
メキシコシティ (22)
わたしはこれまでいくつかの都市で、ストリートを撮ってきた。
パリでは人の佇まい、中国ではもののつくりだす影、
そしてこの都市では、人々の目を見ていたように思う。
こちらが彼らに頻繁に見られるから、ということもあると思うのだが、なめらかな褐色の肌に
(目の)白の部分がたおやかにうかび上がる。
じっと見入ってしまうような、
ひきつけて離さないような力があった。
目の奥がやさしい、と感じるような人もたくさんいた。
メキシコシティ (21)
突然わたしの目が勝手に動き出す。
かれらは何をしているんだろう・・・と。
こちらの想像力を膨らませてくれるような街角や、人々が見たい。
うまくゆけば写真におさめたいという一連のこころの動きは
いつでもある。
ゆっくりと進むか、ギアチェンジをして加速するかは、その都市をふらふら歩いた時の感触できめていく。
メキシコシティでは、ストップをかける別の力をかんじていた。
2018/01/01
2017/12/31
メキシコシティ (19)
日本のことを考えるために海外に住んでいるという小説家を知っている。
それほど、自国を離れ外国に身をおくことで見えてくる
〝日本のこと″がある。
海外にいくことは、その行先の国のことを知るというよりもむしろ、
日本について考えるよいきっかけになっていることを
わたしも毎回実感する。
2017/12/30
2017/12/29
2017/12/28
2017/12/27
メキシコシティ (15)
メキシコシティの、砕けていて形式ばらないのどかな都市像は、どこかわたしの幼年期を掘り起こす手掛かりになっている。
きちんと舗装されていない、砂利と砂でできた家の前の坂道。
父の使いで往復20分も掛かる商店にたばこを買いに行っていたこと。(あのころセブンスターが180円くらいだったかな?)
自宅の庭の手製の焼却炉で、燃えるごみを燃やしていたこと。そしてそれは子供の仕事だったこと。
いま考えると、不便ながらも生き生きとした生活だったなぁと、メキシコシティを入り口に静かに思い出すことができている。
2017/12/26
メキシコシティ (14)
道端で軽食をとれる屋台のようなお店が街中至る所にある。
トルティーヤ(トウモロコシの粉をこねて作った丸い薄焼きのもの)の具は野菜中心で、ひき肉なども入っていて、とてもヘルシーで元気がでる軽食だ。
色んな具材を選べるから嬉しい。
わたしは食べるものに特に好き嫌いは無く、看板に載っている5個で30ペソ(160円程)で様々なバリエーションの具が乗っているものを下さいと、いつもお願いする。
それでも美味しい屋台は大体混んでいて、座る場所がない時は寂しくその場を立ち去ったりする。
わたしのひいきの屋台は、その回りにはカウンターがあり、せいぜい5,6人しか掛けることができない。
男性などは物足りないのか次々と食べては注文するから、席が空くのは結構時間が掛かるのだ。
2017/12/25
メキシコシティ (13)
人種の混ざりあった人々が住むメキシコシティ。
眼の、白い部分が、離れたところから見ても沈まずに漂っていて、時にはっとするように澄んでいる。
ちょうど、蛍の放つひかりのようだと思った。
このひかりに導かれるようにして、わたしは都市の中へ入っていけたのかもしれない。
2017/12/23
2017/12/22
2017/12/21
メキシコシティ (10)
手の平にすっぽり入ってしまう小さな木のフレームは
妙に厚ぼったい手彫りの、実に粗野な姿だった。
Lagunillaの蚤の市では、ガラクタの様に見えていた。
東京に戻り、自宅のリビングの棚の上に置いてみた。
すると、既製品のどのフレームよりもそれは生き生きとした異彩を放っている。
2017/12/20
2017/12/19
2017/12/18
2017/12/15
メキシコシティ (6)
メキシコシティは親しみやすい人、町、ものに囲まれているような所だと思う。
特にメキシコ人、彼らは
心やすく、もったいぶったところがまるで見られない。
この性質はどこから来ているのだろう・・・?と
滞在中わたしはずっと疑問で、それは今も続いている。
2017/12/14
メキシコシティ (5)
もうひとつの下町CUAUHTEMOCは、メキシコシティの南南東に位置し、いくつかの顔を持つ。
人の住む場所、市場、そして職人問屋街だ。
車や機械を整備する店、釘やネジなどの部品を扱う専門店に加え衣料品、食料品などの小売店が軒を連ねる。
ここは庶民的で生活感があふれ、活気のある界隈だ。
2017/12/13
メキシコシティ (4)
メキシコシティで気になったことのひとつに、
人々が連れ立っている、何人かの集団で歩いている。
ちょうど、日本の三箇日のような光景が日常的にみられることだ。
家族でも友人でも同僚でも、人と一緒にいることがこの国の人にはごく日常のことのようだ。
2017/12/12
メキシコシティ (3)
SAN RAFAEL地区は、ソカロ(中央広場・メキシコシティ随一の観光スポット)からの帰り道に偶然見つけた場所だった。
その日ソカロへは往路はメトロで来たのだが、帰りは歩くことにしていた。
中央郵便局で用事を済ませ、アラメダ公園、革命記念塔を過ぎ、いかにも観光地というメインストリートを、少しの面白味も見出せず、とぼとぼと歩いていた。
そしてふと、大通りから脇に入ったところに晴れ晴れとした路地裏が見えた。
わたしの嗅覚が何かを捉えた。
それから下町の中へじわじわと入り込み、目に映るものは相当楽しくなってきたのだ。
ポリスに道を聞いたころには、だいぶ歩いた後だった。
2017/12/11
メキシコシティ (2)
*メキシコシティの市街地中心部はそれほど巨大ではなく
市街地の要所は半径3キロ以内に集中し、
東から西、南から北へと、2,3時間もあれば歩けてしまう。
その中でも私が特に気に入った場所は中心部より西の
SAN RAFAEL地区と、南南東のCUAUHTEMOCだ。
それぞれ趣の異なる下町の風情が漂っている。
労働者や学校に通う子供たち、路上で語り合い、散歩する
地元の人々が、素の姿を見せてくれる。
アステカの時代には湖上に浮かぶ大きな都市だったが、スペインが植民地にすると
アステカ帝国の神殿や宮殿を壊し、その石材でスペイン風の市街地を築き、湖を埋め立てて完成した。
メキシコシティは標高2,240メートル、温帯気候に属する。
2017/12/10
メキシコシティ (1)
メキシコシティでの撮影を終えてはや4ヶ月。
今年の8月4日から16日までの滞在だった。
フィルム現像、ベタ焼きと段階と時間を経て現れてくる写真とともに
この都市のこと、人々の事を丁寧にゆっくり振り返っていきたい。
9月19日にはメキシコ中部地震があった。















































