2017/03/30
2017/03/23
2017/03/22
2017/03/21
2017/03/10
2017/03/09
2017/03/08
羽田 (100)
言葉をくれる人がいる。
私が羽田を撮る意味を深く探るよう
手を貸してくれるのだ。
私だけの世界から他者の視点や言葉が届き
また作品が膨らみをみせる。
この変化は、
考えてみればそれは面白いことだと思う。
2017/03/07
2017/03/06
2017/03/05
2017/02/28
2017/02/27
2017/02/26
2017/02/24
2017/02/23
2017/02/22
2017/02/21
2017/02/20
2017/02/19
2017/02/02
羽田 (87)
写真に添える言葉は、とにかくできるだけ写真に寄り添うように・・・と思ってきたけれど
それはほぼ不可能だと分かってから楽になった。
写真のための言葉は、その絵を観て思案するよりも
なぜその写真を撮ったのか、過去の自分に戻り自問自答すると、さらっと書けることがある。
2017/02/01
羽田 (86)
羽田で撮影していると、時折無性に物質的なモノを撮りたくなる。
まるで無意識の世界へ浮遊している自分を現実の世界へ引き戻す儀式のようでもある。
そんな時は、コンクリートの柱や強固な鉄骨さえ
やわらかく見え、ガソリンの甘い匂いが懐かしく思える。
2017/01/31
2017/01/30
2017/01/29
2017/01/28
2017/01/27
羽田 (81)
羽田を撮り始めてから2年余り、
気が付いたら羽田と私の心の距離は、相当近いものになっていた。
写真を撮り作品を組み立てていく過程で、ただの風景が意味を持ち始める。
羽田の存在が、自分の歴史に組み込まれていくような感覚を憶えている。
それは
羽田空港周辺のような名もない場所だとしても、同じことなのだなぁと・・・。
2017/01/26
羽田 (80)
「映画はどんな内容の映画でも、内へと向かい
写真はどんな表現でも、外へと向かう特性がある」と・・・。
これは学生時代、映像表現の講師が言っていた言葉である。
かなりざっくりとした概念ではあるが、当時良く理解できたことを覚えている。
映画表現にも少なからず興味のあった私だが
この言葉で「私は写真だな・・・」と直感した。
2017/01/25
羽田 (79)
アンリ・ベルクソンは
人が生きること(生の持続)と、映像の本質の関係性に鋭く言及し持論を展開しているのだが
私が写真をやっていること、そしてなぜ自分が写真を選んだのか、ということを
こんな形で説得力を持って紐解かれていくことは、驚きである。
2017/01/24
羽田 (78)
私はつい“快”を感じる「撮る」方にばかり重きを置いていたけれど、それではいけないと気が付き始める。
写真家はただ写真を撮るだけのマシーンではダメだと思う。
それを吟味して、選んで、意味を考えて、言語化して・・・
というかなりしんどい作業が必要になってくる。
それに少しづつ慣れてくると
すべての写真の見え方が俄然違ってくる。
2017/01/23
羽田 (77)
この場所を拠り所としている人々が一目で見渡せる場所がある。
昔ながらの小さな船で漁に出る漁船、ただぼんやりと海を眺める人々、野良猫に餌を運んでくる人
それから釣り人たち。
それらはあまりに自然で
まるで彼らの毎日の日課のようでもある。
そして自分のような観点でここに思いを寄せている人間も、いる。
2017/01/22
2017/01/21
羽田 (75)
羽田の多摩川河岸工事が進む様子が視界に入ってくると
時代の流れを感じずにはいられない。
場所の様子が変化してもしなくても
羽田を撮る意味は私にはある。
だが東京湾沿岸のここ2,3年の変化は
かなり急激なものになるだろう。
2017/01/01
2016/12/31
羽田 (73)
羽田のだだっ広い地に独り佇んでいると
それだけで穏やかな気持ちになる。
この一年は羽田と時間と空間を共有し
その世界観に自分が包まれているような感覚だった。
河口付近、岸に波が押し寄せる様子をずっと眺めたり
かつての滑走路に草がキラキラと生い茂る姿が目に入るだけで(無理に撮影しなくても)私の気持ちは満たされた。
2016/12/12
羽田 (72)
12月はほかの月とは何かが違う感じがするのはなぜだろう。
様々な人の発した印象的な言葉が、私の頭に浮かんでは消えていく。
残るのは後悔と満足、惰性と新たな発見。
その流れる時間と空間の中でも
作品を作り出していくことが、年を取るということかもしれない。
2016/11/03
展示終了のお知らせ
都市の距爪—パリ— 由良環写真展は
無事終了いたしました。
日高優さんとのトークショー(2016年10月30日)では
私のこれまでの作品の変遷と今回の作品に至った経緯
なぜ都市を撮るのか、パリへの切り込み方について
そして場所への愛(TOPOPHILIA)などについて
日高さんの鋭い分析と考察を交えて話がされました。
日高さんとトークショーについての打ち合わせは約2ヶ月前から始まりました。
日高さんから私への幾つかの投げかけにより
私が作品について継続して深く考え続けたことは
とても貴重なことでした。
日高優さんと、私の仕事に対して理解し協力してくださった方々に改めて感謝申し上げます。
撮影 : 湊 雅博
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2016/09/15
2016/09/13
2016/09/10
2016/09/04
羽田 (68)
すべての芸術の表現はローマ時代までにすべてやりつくされた・・・
というが、写真はローマ時代にはなかった。
「写真はまだ始まったばかりのメディアで、今からだと思う・・・」
というある人の言葉を聞いて、私は安心した。