2017/01/31
2017/01/30
2017/01/29
2017/01/28
2017/01/27
羽田 (81)
羽田を撮り始めてから2年余り、
気が付いたら羽田と私の心の距離は、相当近いものになっていた。
写真を撮り作品を組み立てていく過程で、ただの風景が意味を持ち始める。
羽田の存在が、自分の歴史に組み込まれていくような感覚を憶えている。
それは
羽田空港周辺のような名もない場所だとしても、同じことなのだなぁと・・・。
2017/01/26
羽田 (80)
「映画はどんな内容の映画でも、内へと向かい
写真はどんな表現でも、外へと向かう特性がある」と・・・。
これは学生時代、映像表現の講師が言っていた言葉である。
かなりざっくりとした概念ではあるが、当時良く理解できたことを覚えている。
映画表現にも少なからず興味のあった私だが
この言葉で「私は写真だな・・・」と直感した。
2017/01/25
羽田 (79)
アンリ・ベルクソンは
人が生きること(生の持続)と、映像の本質の関係性に鋭く言及し持論を展開しているのだが
私が写真をやっていること、そしてなぜ自分が写真を選んだのか、ということを
こんな形で説得力を持って紐解かれていくことは、驚きである。
2017/01/24
羽田 (78)
私はつい“快”を感じる「撮る」方にばかり重きを置いていたけれど、それではいけないと気が付き始める。
写真家はただ写真を撮るだけのマシーンではダメだと思う。
それを吟味して、選んで、意味を考えて、言語化して・・・
というかなりしんどい作業が必要になってくる。
それに少しづつ慣れてくると
すべての写真の見え方が俄然違ってくる。
2017/01/23
羽田 (77)
この場所を拠り所としている人々が一目で見渡せる場所がある。
昔ながらの小さな船で漁に出る漁船、ただぼんやりと海を眺める人々、野良猫に餌を運んでくる人
それから釣り人たち。
それらはあまりに自然で
まるで彼らの毎日の日課のようでもある。
そして自分のような観点でここに思いを寄せている人間も、いる。
2017/01/22
2017/01/21
羽田 (75)
羽田の多摩川河岸工事が進む様子が視界に入ってくると
時代の流れを感じずにはいられない。
場所の様子が変化してもしなくても
羽田を撮る意味は私にはある。
だが東京湾沿岸のここ2,3年の変化は
かなり急激なものになるだろう。